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2015/09/14

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (一二)

        一二

 

 宮司はそれから、私共と相挾んで置かれた、白絹を蔽へる長い低い檯に載せてある、奇異な遺物に私の注意を促がした。數百年前改築の際、此殿の礎を造るに當つて發見された金属製の鏡、縞瑪瑙と碧玉の曲玉、硬玉製の支那の笛、天皇や將軍から献納の名剱數口、壯麗な古代製の兜、鋭い刄がついて、肉叉形をした、双股の箭の根など。

 これ等の遺物を拜觀し、その縁起を少々私が承つてから、宮司は立つて『これから尊い火を燃やす古い火鑽を御目にかけませう』といつた。

 石段を下り、また拜殿の前を通つて、境内の一方にある殆ど拜殿と同じ大いさの廣い館に入つた。私共が案内された室の一端に、立派な桃花心木製の長卓子を置き、その周圍に桃花心木裂の椅子を並べて、客の接待に備へてあるのを見て、私は愉快なる驚きを受えた。私も通辯人も、それそれ椅子に就くやう、指示された。して、宮司と神官達もまた卓子に向つて椅子に就いた。それから、侍者が三尺ほどの長さの綺麗な靑銅の臺を私の前へ据ゑた。雪白の布で入念に卷いて、何だか長方形のものが、その上に安置してある。宮司が卷いた布を取り除けると、東洋での最も原始的形狀の火錐を私は見たのだ。單に堅い白い厚板で、長さ約二尺五寸、その表の緣に沿つて錐で開けた孔が列んでゐて、孔の上部は板の側へ裂けてゐる。孔へ嵌めて置いて急に兩手の掌で揉むと火を起す木片は、もつと輕い白色の木で造つたもので、長さ二尺ばかり、普通の鉛筆位の太さである。

[やぶちゃん字注:最後の「普通の鉛筆位の太さである。」の末尾は底本では「太さでるあ。」である。誤植と断じて訂した。]

    註。伊勢神宮に用ひらるゝ火鑽は、

    構造が一層複雜で、たしかに杵築

    のが示すよりは、遙かに一層進歩

    した機械的知識を現してゐる。

 

 傳説はこの珍しい簡單な器具の發明を神々に歸し、近代科學は人類の幼稺時代に歸してゐる。私がまだこの器具を調査してゐる間に、一人の神官が長さ約三尺、幅一尺八寸、兩側の高さ四寸、中央はやゝ高くて、龜の甲の如く寫形をなせる、輕い、大きな木箱を卓へ載せた。これは錐と同一の扁柏の材で造られて、二本の細長い棒が傍に置いてある。私は始めは別の火錐かと思つた。しかし誰人もそれが、實際何であるかを想像し得ないだらう。それは琴板と呼ばるゝ最も原始的樂器の一つだ。小さな棒は、それを彈ずるために用ひられる。宮司が一寸合圖をすると、二名の神官は床の上に笛を置き、その兩側に坐つて、小さな棒を取上げて交互に悠々と蓋を打ち始めた。同時に頗る奇異で單調な音を唱へる。甲はたゞあんあんといふ音を唱へ、乙はおんおんと、これに應ずる。琴板は棒がその上に落ちる毎に鋭く、單調で、空虛な音を發して、あんあんおんおんの聲に合する。

    註。この次に杵築へ行つた時、私は琴板が一種原始的な調子合せ機械としてのみ使用さるゝことを知つた。最初の訪問の節、私が聞かなかつた眞正の誦歌に對して、それは正しい調子を與へる。眞正の誦歌、即ち古い神道の讃歌は、琴板を彈じて始められる。

 

[やぶちゃん注:「肉叉形をした、双股の箭の根など」「肉叉」は「にくさ」と読み、以下の原文を見ればわかる通り、フォークのこと。江戸後期から明治期にかけての語である。「双股の箭の根」は飛鳥や獣の足を射切るのに用いる先が二股に分かれていて内側に刃を持つ雁股(かりまた)の鏃 (やじり) のことか。

「桃花心木」「たうくわしんぼく(とうかしんぼく)」と音読みするが、これも原文で一目瞭然、高級家具用木材として輸入される、ムクロジ目センダン科マホガニー属 Swietenia のことである。中南米に分布する。ウィキの「マホガニー」によれば、現在では過剰伐採により減少傾向にあり、植林によって増やしているが、『近年、マフィアやギャングが私有地や国立公園に自生する樹木を違法に伐採し資金源にしていることから、一部ではワシントン条約の附属書IIに登録され、板材や原木を輸出入するには盗難品ではないという生産者の証明書類が必要である』とある。同属は現行の中国語でもこう書く。

「三尺」約九十一センチメートル。

「火錐」「ひきり」と訓じているものと思われる。

「二尺五寸」七十五・七六センチメートル。

「二尺」六十・六センチメートル。

「幼稺」「えうち(ようち)」と読み、「幼稚」に同じい。「稺」も幼(おさな)い・稚(いとけな)いの意。

「長さ約三尺、幅一尺八寸、兩側の高さ四寸」長さ約九十一センチメートル、幅五十四・五センチメートル、両側高十二センチメートル。」

「扁柏」檜(ひのき)のこと。球果植物門マツ綱マツ目ヒノキ科ヒノキ属 Chamaecyparis obtusa は中国語では「日本扁柏」と称する。因みに私は球果(きゅうか)植物門 Pinophyta(シノニム:Coniferophyta)というタクソンを今回始めて見たが、これは所謂、旧来の裸子植物門の中で、その種子の形状が傘状構造に包まれている類を指し、マツ門とも称し、スギ・ヒノキ・マツ類などの針葉樹植物はこのグループに含まれるという。即ち、現行では裸子植物門をソテツ門・イチョウ門・球果植物門の三群に分けるのであった。苦手な植物系とは言え、実に私の智は時代遅れなのであった。

「琴板」「こといた」と訓ずる。ハーンは楽器と読んでいるが、本来は恐らく神降ろしのための神器で、辞書では琴占(ことうら)に用いる長さ約七十五センチメートル、幅約三十センチメートル、厚さ約三センチメートル余りの檜(ひのき)の板とあり、笏(しゃく)で叩いて神降ろしを行うとある。琴占とは古代の占いの一つで、琴(この場合は実際の楽器としての古代の琴)を弾いて神霊を迎え、神が憑依した人の口から出る託宣によって吉凶を占うことをいう。辞書では後世になると実際の楽器の琴の代わりにこの琴板を笏で叩いて占うようになったとある。またここで「笏」とあるが、本来の笏は束帯の着用の際に右手に持つ細長い板を指すが、ウィキの「笏」を見ると、『饗宴の際に音楽に合わせて左に自己の笏、右に他者の笏を持って右の笏で左の笏を打ち付ける笏拍子(しゃくひょうし)という即席の打楽器として使われることがあったが、後世にはより分厚く作られた拍子専用の笏が作られることもあった』とあり、それのみ(というか笏一対)で打楽器としても用いられていたことが判る。不思議なことに、よほど神聖なものか、この叩くだけの琴板の画像をネット上に見ることは出来ない。見れないと見たくなる。どなたか画像をお示し戴けると助かる。

「眞正の誦歌」「古い神道の讃歌」神楽歌のこと。]

 

 

Sec. 12

The Guji then calls my attention to the quaint relics lying upon the long low bench between us, which is covered with white silk: a metal mirror, found in preparing the foundation of the temple when rebuilt many hundred years ago; magatama jewels of onyx and jasper; a Chinese flute made of jade; a few superb swords, the gifts of shoguns and emperors; helmets of splendid antique workmanship; and a bundle of enormous arrows with double-pointed heads of brass, fork-shaped and keenly edged.

After I have looked at these relics and learned something of their history, the Guji rises and says to me, 'Now we will show you the ancient fire-drill of Kitzuki, with which the sacred fire is kindled.'

Descending the steps, we pass again before the Haiden, and enter a spacious edifice on one side of the court, of nearly equal size with the Hall of Prayer. Here I am agreeably surprised to find a long handsome mahogany table at one end of the main apartment into which we are ushered, and mahogany chairs placed all about it for the reception of guests. I am motioned to one chair, my interpreter to another; and the Guji and his priests take their seats also at the table. Then an attendant sets before me a handsome bronze stand about three feet long, on which rests an oblong something carefully wrapped in snow-white cloths. The Guji removes the wrappings; and I behold the most primitive form of fire-drill known to exist in the Orient. [16] It is simply a very thick piece of solid white plank, about two and a half feet long, with a line of holes drilled along its upper edge, so that the upper part of each hole breaks through the sides of the plank. The sticks which produce the fire, when fixed in the holes and rapidly rubbed between the palms of the hands, are made of a lighter kind of white wood; they are about two feet long, and as thick as a common lead pencil.

While I am yet examining this curious simple utensil, the invention of which tradition ascribes to the gods, and modern science to the earliest childhood of the human race, a priest places upon the table a light, large wooden box, about three feet long, eighteen inches wide, and four inches high at the sides, but higher in the middle, as the top is arched like the shell of a tortoise. This object is made of the same hinoki wood as the drill; and two long slender sticks are laid beside it. I at first suppose it to be another fire-drill. But no human being could guess what it really is. It is called the koto-ita, and is one of the most primitive of musical instruments; the little sticks are used to strike it. At a sign from the Guji two priests place the box upon the floor, seat themselves on either side of it, and taking up the little sticks begin to strike the lid with them, alternately and slowly, at the same time uttering a most singular and monotonous chant. One intones only the sounds, 'Ang! ang!' and the other responds, 'Ong! ong!' The koto-ita gives out a sharp, dead, hollow sound as the sticks fall upon it in time to each utterance of 'Ang! ang!' 'Ong! ong!' [17]

 

16 The fire-drill used at the Shinto temples of Ise is far more complicated in construction, and certainly represents a much more advanced stage of mechanical knowledge than the Kitzuki fire-drill indicates.

 

17 During a subsequent visit to Kitzuki I learned that the koto-ita is used only as a sort of primitive 'tuning' instrument: it gives the right tone for the true chant which I did not hear during my first visit. The true chant, an ancient Shinto hymn, is always preceded by the performance above described.

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