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« 晩秋   立原道造 | トップページ | 追憶   立原道造 »

2015/09/29

初冬   立原道造

    初冬

 

けふ 私のなかで

ひとつの意志が死に絶えた‥‥

孤獨な大きい風景が

弱々しい陽ざしにあたためられようとする

 

しかし寂寥が風のやうに

私の眼の裏にうづたかく灰色の雲を積んで行く

やがてすべては諦めといふ繪のなかで

私を拒み 私の魂はひびわれるであらう

 

すべては 今 眞晝に住む

薄明(うすらあかり)の時間のなかでまどろんだ人びとが見るものを

私の眼のまへに 粗々しく 投げ出して

 

‥‥煙よりもかすかな雲が煙つた空を過ぎるときに

嗄(しはが)れた鳥の聲がくりかへされるときに

私のなかで けふ 遠く歸つて行くものがあるだらう

 

 

[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。底本の第二部、堀辰雄らが抄出した初期詩篇二十七篇の中の一篇。中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻脚注によれば、『四季』昭和一三(一九三八)年一月号に初出とある。まずは前掲の「晩秋」と期を一にして詠まれたものと考えてよい。同脚注には非常に興味深い事実が記されてある。なお、太字「諦め」は底本では傍点「ヽ」である。

   《引用開始》

道造の短い生涯における晩年の心象風景が、印象づけられる。彼の心は、寒々とした初冬を意識しつつ、寂寥の中に無の世界を見つめる。昭和十三年といえば、道造の死の前年で、彼の詩は、過去の抒情を拒み、「孤独な大きな風景」に直面して死の陰影を刻んでいた。第二連の「諦めといふ絵」について、彼は杉浦明平に次のように書き送った。「形而上学が僕にひとつの滅形を教えた、無という言葉はおそらく僕の血にとって諦らめという言葉ほどに理解された。カルル・ハイダアという十九世紀の画家が描いた絵に『諦め』という絵がある。灰色の雲が背景の空にうずたかく積みあげられている。遠景には暗い針葉樹林がかぎりなくつづいている、そし前景には葉をふるっている木の下に伏せた本を膝にのせてひとりの寡婦がものをおもっている絵である。僕は、写真版のその絵を見たとき、突然何か告白したい欲望を感じた。すなわち僕の『無』の理解について、あるいは僕の『故郷』について――」(昭和十三一月下旬)

 「薄明の時間のなかでまどろんだ人びとが見るもの」は、「無」の奈落であったろう。彼もまた打ち砕かれた鳥のように、故郷の空へ「遠く保つて行くもの」を自分の中に見たと、告白しているのである。

   《引用終了》

なお、謂わずもがな乍ら、この道造の言うところの「僕の『故郷』」とは魂の原風景としての故郷、「『無』の理解に」基づくところの「精神の僕の『故郷』」の意である。殊更に言うべき必要もないとは思うが、道造の生地は、日本橋区橘町(現在の中央区東日本橋)である。実はこの手紙、中村剛彦の優れた骨太の立原道造論「甦る詩人たち」の最終章「詩人にとって「死」とは何かに引かれており、そこでは前掲部分に続けて(中村氏の指示に従い、傍点部を太字で示した。空欄・改行はママである。

   《引用開始》

果たして 僕の經驗が 僕に何かを教へただろうか! 經驗からは 何も學ばなかつたといふ追憶が 僕を訪れることが出來るならば! ここに大きな諦らめ(3文字傍点付す)と 經驗(2文字傍点付す)との日本の血の あるひは 江戸時代の血の 誘惑がある。たたかはねばならない、そして 打ち克たねばならない。ここに 出發がある。

一切の戰ひは 日常のなかで 意味を以て 深く 行はれねばならない。決意した者のだれが 戰列を とほく空想したか! 僕らは すでに戰線についてゐる。

   《引用終了》

以下、中村氏は『相変わらず意味がよく分からない文体であるが、ここで立原が言う「形而上學』は『ハイデガー流の「形而上学」に類似する思考を示していると言え』、『ハイデガーの「故郷的(ハイムリヒ)」=「無」という存在の開示以前の状態といみじくも一致する。しかしそこからなぜか「日本の血の あるひは 江戸時代の血の 誘惑」へと接続する。杉浦的に見れば、これこそが「暗黒なる世界にうごめく民衆のため息」であり、立原の「ロマン(浪曼)主義」的「反動性」である』という解析に入ってゆく(詳細はリンク先を是非お読みになられたい)。ここには則ち、現実の死を目前にしつつ、しかも且つ前近代と近代精神の狭間に孤独に屹立せざるを得ない詩人の悲壮な孤独と決意が示されているというべきである。肺病病みの恋多きやさ男のイメージなど、実はそこには微塵もないことを我々は再度、確かめる必要があると私は思う。]

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