日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十二章 京都及びその附近に於る陶器さがし 風景スケッチ(その7)/朝鮮使節団一行との邂逅
各種の寺院は、非常に興味が深い。ある場所で我我は、奇妙な服装をした四人の娘が、三人の神官の歌う伴奏につれて、珍しい宗教的舞踊をやるのを見た。
[やぶちゃん注:神楽と巫女舞である。位置や社名が特定されていないのが残念である。]
奈良では鹿が、森から出て来て町々を歩き廻る。私は手から餌を与えようとした。彼等は宮島の鹿程馴れていず、すくなくとも私は、彼等から十フィート以内のところ迄行くことが出来なかった。私にいくつかの握飯を売った老婆は大きにがっかりし、一生懸命に鹿達を私に近づかせようとしたが、駄目だった。日本人だと何の困難もなしに餌を手からやるが、鹿は外国人を即座に識別する。
[やぶちゃん注:これ、不思議! 奈良公園の鹿は西洋人を識別する?!
「十フィート」三メートル。]
私は和歌山を出た時と同じ人力車夫二人を連れていたが、彼等は実によく走った。彼等ほ二十九マイルの距離を、途中二回短時間休んだばかりで、走り続けた。我々が休んだある場所で、建物によっかかつていた高い木造の衝立が風で吹き倒され、梶棒を握っていた車夫が、それが人力車の上に倒れて来ることを防ごうとして均衡を失った為に、人力車は後方にひっくりかえり、私は鞄と、陶器を入れた箱もろ共、投り出されて了った。こんな時決して怪我をしない私は、無事に起き上ったが、二人は笑止な位、お互いを叱り合った。だが私が、事実この出来ごとを、笑っているのに気がつくと、彼等は私が久しく聞かなかった位気持よく、そして満足気に哄笑し、その後数マイルにわたって、私は彼等が思い出しては笑うのを聞くだけで、微笑することが出来た程である。
[やぶちゃん注:「二十九マイル」四十六・六七キロメートル。
「数マイル」一マイルは一・六キロメートルであるから、十キロメートル程か。]
図―684
図―685
私が神戸から来た汽船には、東京へ行く数名の朝鮮使節がのっていた。彼等は愉快な、温情に富む人人で、私はすぐ彼等と知合いになった。私はひそかに彼等を写生した。彼等のある者が日本語を話すので私は非常に多くの質問を発し、そして返答を了解することが出来た。彼等の中の二人が大きな眼鏡をかけていたが、私はその鏡玉(レンズ)を色硝子(ガラス)だろうと思っていた。彼等の許しを受けてそれを調べると、驚いたことに、それ等は鼈甲のわくに澄明な煙水晶をはめ込んだ物であった。私はまた彼等に射道に於て如何に矢を外すかを質ねたところが、それは日本の方法と同じで、腕当てを使用するのと、弓と弦とを回転させることを許さぬ点とだけが違っていることを知った。朝鮮の煙管(きせる)には日本の煙管よりも余程大きな雁首がついている。政府の役人は、両側と、背面は肩まで、さけ目のある上衣を着、すべての朝鮮人と同じく衣服の色は白い。図684は、上衣を脱いだ一人の朝鮮人を写生したものである。股引は非常にダブダブで、膝のところで別れている。その下で足を、綿を一杯につめた靴下の中に押し込む。あまり沢山綿が入っているので、靴下は靴の上辺からはみ出す。夏には、この綿入りの品はやり切れぬことだろう。胴衣(ジャケット)は短く、前方にポケットが二つついていて、淡黄色の南京木綿に似た布で出来ている。肌着は無い。腕には手首から肘にまで達する袖がある。これ等は白い馬毛を編んだもので、布の袖を皮膚から離す目的で使用される。頭の周囲には、その直径が最も長い場所に、こまかく織った黒い馬毛の帯を、それを取り去ると額に深い線が残る位、きつくまきつける。これを身につけぬ時には、非常に注意深くまく。それは長さ約二フィート、幅二インチ半で両端に紐と、頭に結ぶ時紐を通す小さな黒い環とがついている。官吏帽の一つの型は二つの部分から出来ている。その一つは馬毛でつくった、簡単な袋みたいなもので、その内側にはてっぺんから、鼈甲製の留針(ピン)がぶら下り、これを頭上の短い丁髷(ちょんまげ)にさし込んで、帽子が飛ばぬようにする。この上からこれも馬毛でつくった、箱のような代物を重ねてかぶるのだが、それは両方とも図685に示す如く、外に張開している。もう一つ別の朝鮮人の絵から判断すると、最も普通な帽子は高帽で、山は幾分上の方が細く、辺は非常に広く、僅かにそつたものである。これは竹の最もこまかい繊維で出来、驚く程巧に織ってある。この帽子は高価で、十五円も二十円もする。図689はそれをかぶった老人である。
図―689
[やぶちゃん注:ここで詳述される朝鮮半島地域の民族衣装についてはウィキの「韓服」(同衣裳の韓国での呼称なので注意)などを参照されたい。私自身、不案内なので個々の注は省略させて戴く。
「澄明な煙水晶」原文“clear smoky-quartz crystals”。「煙水晶」は「けむりずいしょう」と読み、水晶の一種であるスモーキー・クォーツ(smoky quartz)のことでで、石英のグループに属する鉱物の変種。ウィキの「スモーキークォーツ」によれば、通常は『茶色や黒っぽい煙がかったような色』をしており、このような『色彩に発色する原因は、はっきりとは分かっていないものの、地中で天然の放射能を浴びたり、内部にアルミニウム・イオンが含まれるためであるとされている』。『落ち着いた色合いから良質のものは、宝飾品や念珠として加工されたり、置物や印鑑などの素材としても幅広く用いられている』。『天然の煙水晶は、結晶(クラスター)の状態では見つかるものの、宝飾品になるほどの高品質のものは決して安価ではない。天然石ビーズとして流通しているものの中には、いわゆるエンハンスメント(改良)と呼ばれる処理が施されているものが多数ある。安ければ安いほど、その傾向は強い。白水晶に人工的に放射線を浴びせて煙水晶にしたものもあれば、着色したものもある。その逆で、煙水晶を加熱処理して黄水晶(シトリン)として販売しているケースも度々見受けられる』。『かつては、トパーズの一種と誤認され、スモーキー・トパーズという名称で、高価な宝石材料とされていたこともある』とある。
「射道」ウィキの「朝鮮半島の武術一覧」の弓道によれば、朝鮮の古武術としてのそれは、『本来は弓術(グンスル)やファルソギ等と呼ばれていたが、日本の影響により「弓道(グンド)」という言葉も使われるようになった。現在韓国では国弓(クックン)、ファルソギ、弓術、弓道など多様な用語が使われている』とある。幾つかのネット記載を見ると、朝鮮に於ける弓術は古えより日本よりも遙かに優秀だったとされている。
「約二フィート」約六十一センチメートル。
「二インチ半」六・三五センチメートル。
「短い丁髷」原文は“top of the head”。個人サイト「釜山でお昼を」の「昔の生活と文化」の「昔の風景」にある「髷と断髪」によれば、『朝鮮時代の男子は結婚して髷(まげ)を結う事で一人前の男としてみなされ』、『結婚前は総角(チョンガー)と呼ばれる髪を後ろで束ねてい』たとある。『結婚式前の吉日に元服として髷を結う儀式が行われ』、その際には占い師が『示した方角に向いて座り、父親またはそれに準ずる人が頭のてっぺんを』三寸(約十センチメートル)ほど『円形に剃り、そこに髪を結い上げ』た。そして網巾(マンゴン)『とよばれる鉢巻で頭を締め上げて出来上がり、その上に冠(帽子)をかぶ』ったと記されてある。
「十五円も二十円もする」今までと同様、原文は“fifteen or twenty dollars”である。あるネット情報では五年後の明治二〇(一八九〇)年で一ドルは現在の二万円程度とあるから、これは現在の三十万円から四十万円相当となろうか。]
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