橋本多佳子句集「命終」 昭和三十六年(3) 奈良飛火野/山城棚倉/他
奈良飛火野
藤の森日曜画家に妻のこゑ
わが頭上無視して藤の房盗む
藤盗む樹上少女の細脛よ
女を飾る木よりぬすみし藤をもて
藤盗み足をぬらして森を出る
いなびかり髪膚をもつて堪へてをり
臆病なとかげが走り瑠璃走る
[やぶちゃん注:「飛火野」「とぶひの」と読む。狭義には奈良の春日山の麓の春日野の一部であるが、広義には春日野の別名でもある。地名は元明天皇の頃、ここに烽火(のろし)台が置かれたことに由来するという。]
山城棚倉
土中より筍老いたる夫婦の財
筍の穴が地軸の暗を見す
筍と老婆その影むらさきに
凭りて刻長し藤咲く野の一樹
[やぶちゃん注:「山城棚倉」京都府木津川市山城町のJR棚倉駅付近か。地名そのものは万葉以来の歌枕である。底本年譜の昭和三六(一九六一)年の項に、『初夏、山城の棚倉から筍を売りに来るお婆さんと親しくなり、美代子同伴、筍掘りを見せてもらう』とある。私などは筍掘りは初春のイメージであるが、夏の季語で、実際、三月下旬から五月下旬が筍狩りの季節だそうである。]
*
奈良白毫寺村
田を植ゑてあがるや泳ぎ着きし如
妻の紅眼にする田植づかれのとき
[やぶちゃん注:「白毫寺村」(びゃくごうじむら)は奈良市街地の東南部の、現在の奈良県奈良市白毫寺町。名は域内にある真言律宗高円山白毫寺に由来する。]
*
男女入れ依然暗黒木下闇
仔の鹿と出会がしらのともはにかみ
梅壺の底の暗さよ祖母・母・われ
一粒一粒漬梅かさね壺口まで
漬梅を封ぜし壺を撫でいとしむ
漬梅と女の言葉壺に封ず
金銀を封ぜし如き梅壺よ
梅干を封ぜし壺のなぜ肩よ
透ける簾に草炎の崖へだつ
稔、庭にDDTを撒く。
こがね虫千殺したり瑠璃の千
七月の光が重し蝶の翅
十代の手足熱砂に身を埋め
海昃りはつと影消す砂日傘
けふの果紅の峰雲海に立つ
乳母車帰る峰雲ばら色に
華麗なるたいくつ時間ばらの園
爛熟のばら園時間滞る
らん熟のばら園天へ蠅脱す
« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十二章 京都及びその附近に於る陶器さがし 風景スケッチ(その5) | トップページ | 月の光に與へて 立原道造 »