『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 底脱井
●底脱井
海藏寺の總門の右にあり。十井の一なり。昔上杉家の尼參禪して此井水を汲み。投機せし詠歌あり〔曰賤の女が戴く桶の底ぬけてひた身にかゝる有明の月〕此歌に依て底脱井(そこぬけゐど)と云傳ふとなり〔上杉の尼何人と云ふ事を知らず〕又一説に金澤越後守顯時か室落飾して無著と號し。佛光禪師に參して悟徹(ごてつ)す。時に投機の詠歌あり。〔曰ちよのうがいたゝくをけのそこぬけてそこぬけて水たまらねば月もやとらすちよのうは無著が幼名なりとぞ〕已上の二詠大同小異なり。前の傳は恐らくは無著か事をあやまり傳へしならんか。
[やぶちゃん注:これは「新編鎌倉志卷之四」の「海藏寺」の項の「底脱井」に手を加えて剽窃したものである。以下に引いておく。
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底脱井(そこぬけのゐ) 總門の外、右手の方にあり。相傳ふ、昔し上杉家の尼、參禪して、此井の水を汲むで投機す。歌あり。「賤(しづ)の女(め)が戴(いたゞ)く桶の底ぬけて、ひた身にかゝる有明の月」。此因縁に依て、底脱井と云傳ふとなり〔按ずるに、城の陸奧の守平の泰盛が女(むすめ)、金澤越後の守平顯時が室となる。後に比丘尼となり、無着と號す。法名如大と云。佛光禪師に參して悟徹す。投機の和歌あり。「ちよのうがいたゞくをけのそこぬけて、水たまらねば、月もやどらず」と云云。ちよのうは無着がをさな名也。此底脱井の事、無着が事をあやまりて傳へたるか。上杉の尼、何人と云事しらず。〕。
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この「ちよのう」は安達千代野(ちよの 生没年未詳)と伝えられ、安達泰盛の娘、北条顕時正室。千代能とも書く。ウィキの「安達千代野」に『父泰盛と安達一族は霜月騒動で滅ぼされ、夫である顕時は騒動に連座して失脚し、下野国に蟄居の身となる。千代野は出家して無学祖元の弟子となり、法名無着と号』したとあり、更に「仏光国師語録」に『「越州太守夫人」(千代野)が無学祖元に対して釈迦像と楞厳経を求めた記録がある』とする。更に、『同じ無学祖元の弟子で、京都景愛寺開山となった無外如大』という人物がおり、この僧が同じく無着という別号を用いたこと、加えて上杉氏の関係者でもあったことを記し、足利氏との関連から千代野と無外如大が『混同されたものと見られる』という錯誤を解明した記載がある。
「無著」「むぢやく(むじゃく)」と濁るのが普通。「無着」に同じい。この名を持つ有名な人物としては、ガンダーラ出身でインドの大乗仏教の論師と知られ、瑜伽唯識 (ゆがゆいしき) の思想家世親の兄でもあった無著(三一〇年?~三九〇年?)がいる。彼の名は梵語名“Asaṅga”の漢訳である。]