生物學講話 丘淺次郎 第十四章 身體の始め(4) 四 節の生ずること
四 節の生ずること
胎兒の身體が縱に延びて大分長くなつたかと思ふと、直にその中央部に若干の節が現れる。始は僅に三つ、四つの節が微に見えるだけであるが、忽ち節の數も殖え境界も頗る明になる。
[兎の胎兒
(左)第九日目 (右)第八日目]
[やぶちゃん注:本図と次の「十六日乃至十八日目に於ける子宮内の胎兒」の図は国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、やや明るく補正した(講談社学術文庫版の図は白く飛んで見難い)。]
[十六日乃至十八日目に於ける子宮内の胎兒]
圖に示したのは兎の第八日目と第九日目との胎兒であるが、體の中軸に當る處に脊髓があつて、その左右兩側に幾つかの節が見える。第八日目のものではその數が四つ、第九日目のものでは八つだけあるが、後には更にその數が殖える。人間の胎兒でも全くこれと同樣で、第十六日乃至第十八日位の胎兒を見ると、頭部を除いた外は全身に明な節が見えて居る。全體脊椎動物の身體は前後に竝んだ節から成るもので、魚類などではそれが最も明に見える。煮肴の皮を剝ぐと、その下の筋肉が恰も板を重ねた如くなつて居るのは、即ちかやうな節である。人間や獸類では、腕や腿を動かす筋肉が大きいために、胴の筋肉の節が十分に現れぬが、それでも腹の前面の筋肉、背骨の後の筋肉、肋骨の間の筋肉などには明に節がある。胎兒の若い時にはまだ手も足もなく、身體は單に棒の如くであるから、どこにも節が極めて明瞭に見える。
[十四日頃の胎兒]
[やぶちゃん注:本図は前と異なり、講談社学術文庫版のものである。]
節が生ずると同時に、身體の内部に體腔と稱する廣い空處が出來る。獸でも鳥でも魚類でも、腹面から切り開くと一つの廣い空處があつて、その内に肝・胃・腸・腎などすべての臟腑が藏つてあるのを見るが、この空處が即ち體腔であつて、これを圍む壁を體壁と名づける。腹の壁は體壁の一部であるが、これを切り開くと腸が現はれ、腸の壁を切り開くと初めて腸の内容物が見える。かやうに體壁と腸壁との間には一つの廣い空處があるが、これが即ち體腔である。しかるに動物の中には體腔の有るものとないものとがある。例へば「ヒドラ」とか珊瑚とかいふ類は、體の構造が簡單で、恰も湯呑か壺の如き形をして居るから、體壁を切り開けば、直に腹の内にある食物が現れるが、かやうな類には體腔はない。體腔のある動物と、ない動物とを比較すると、有る動物の方がすべての點で進んで居るから、體腔の有無によつて動物を高等と下等との二組に分けることが出來るが、人間の胎兒が十四五日頃から體内に體腔の生ずるのは、即ち下等の無體腔類から高等の有體腔類へ上りゆく所と見做すことが出來る。初めて體腔の出來る具合は動物の種類によつて多少異なるが、少しく進めば皆同樣になつてしまふ。最もわかり易い一例を擧げていへば、「なめくぢうを」では腸の壁から左右對をなした若干の袋の如きものが生じ後にこれが腸から離れ、互に相連絡し且擴がつて體腔となるのである。即ち體腔は初め腸の枝の如きものであつたのが、後に腸と緣が切れて獨立の空處となつたわけに當る。
さて動物の中で體が長くて澤山の節があり、且體腔を具へた種類は如何なるものがあるかといふと、まづ「みみず」・「ごかい」などである。「みみず」は體が圓筒狀で、前端と後端との區別があり、頭から尾まで悉く同樣の節から成り、これを切り開いて見ると筋肉質の體壁の内には廣い體腔があつて、體腔の内を長い腸が縱に貫いて居るが、これだけの點は、大體に於て人間の第十六日乃至第十八日目の胎兒にも「みみず」にも共通である。されば人間も胎内發生の途中には一度「みみず」・「ごかい」の類とよく似た構造を有する時代があるというて差し支はない。
[やぶちゃん注:またしても私の好きなヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」である。]
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