朝に 立原道造 / また晝に 立原道造
Ⅵ 朝に
おまへの心が 明るい花の
ひとむれのやうに いつも
眼ざめた僕の心に はなしかける
⦅ひとときの朝の この澄んだ空 靑い空
傷ついた 僕の心から
棘を拔いてくれたのは おまへの心の
あどけない ほほゑみだ そして
他愛もない おまへの心の おしやべりだ
ああ 風が吹いてゐる 凉しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるやうに ざはめいてゐる
あたらしく すべては 生れた!
露がこぼれて かわいて行くとき
小鳥が 蝶が 晝に高く舞ひあがる
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前の道造が最後に構想していた幻の詩集「優しき歌」の原稿(当時、中村真一郎が所蔵)をもとに推定された詩集「優しき歌」(「序」及び「Ⅰ」から「Ⅹ」のナンバーを持つ詩篇群)の第六曲。
中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻の、次に掲げた「また晝に」の脚注によれば、この一篇はローマ数字を外した「朝に」の形で、その「また晝に」とともに、
「優しき歌」
の総表題を附して、『道造の死の前年昭和十三年『四季』十月号に発表。ゆえに道造にとって、この二篇は、詩集『優しき歌』の基幹をなす作品であったに相違ないと考えられる』とある。
以下、表記上の幾つかの問題点を示す。
第一連四行目の冒頭の「 ⦅ 」の閉じる「 ⦆」がないのはママ。道造の詩篇にはありがちな余韻表記法である。
第二連二行目の「棘」は後続の諸選集は悉く「とげ」とルビを振る。疑義はない。ないが、私は神経症的にルビは不要と考えている。
第三連三行目「ざはめいてゐる」はママ。「ざわめく」は「ざわざわ」(騒騒)に基づく語であるが、これは元々オノマトペイア(擬声語)であり、「ざはざは」とは表記しない(「騒騒」は「ざわざわ」は「さわさわ」とも清音表記するが、清音で「さはさは」とすると「爽爽」でさっぱりとさわやかなさまを意味する。しかも「爽爽」は歴史的仮名遣では「さわさわ」とも表記する)。孰れにせよ、ここは「ざわめいてゐる」が正しい表記である)。後続の諸選集は「ざわめいている」となる。
第四連二行目「かわいて」はママ。後続の諸選集もママである。前注の「ざはめてゐる」が訂され、これがママであるということは、一つの可能性としては前の「ざはめてゐる」が本底本の誤植に過ぎない可能性を匂わせるが、私は全集を所持しないので確定的発言は出来ない。]
Ⅶ また晝に
僕はもう はるかな靑空やながれさる浮雲のことを
うたはないだらう‥‥
晝の 白い光のなかで
おまへは 僕のかたはらに立つてゐる
花でなく 小鳥でなく
かぎりない おまへの愛を
信じたなら それでよい
僕は おまへを 見つめるばかりだ
いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい
老いた旅人や 夜 はるかな昔を どうして
うたふことがあらう おまへのために
さへぎるものもない 光のなかで
おまへは 僕は 生きてゐる
ここがすべてだ!‥‥僕らのせまい身のまはりに
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。生前の道造が最後に構想していた幻の詩集「優しき歌」の原稿(当時、中村真一郎が所蔵)をもとに推定された詩集「優しき歌」(「序」及び「Ⅰ」から「Ⅹ」のナンバーを持つ詩篇群)の第七曲。
必ず、前掲の「朝に」の注を参照されたい。]
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