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2015/09/21

ブログ720000アクセス突破記念テクスト 火野葦平 千軒岳にて

   千軒岳にて   火野葦平

 

[やぶちゃん注:表題に出る「千軒岳」は過去の「河童曼荼羅」諸篇にも何度も出るが、不詳である。しかし恐らくは阿蘇山をモデルとすると考えてよいであろう(後述の「火山灰(よな)」の注を参照)。

 「天に沖する」とは、天に高く昇る、の意である。

 「數千尺」千尺は三百三メートルであるから、千八百メートル以上を指すと理解してよい。

 「火山灰(よな)」火山の噴煙とともに噴き出される火山灰の、九州全般及び特に阿蘇地方での呼称である。

 「軒昂」老婆心乍ら、「けんかう(けんこう)」と読む。人の意気が高く上がるさま、奮い立つさまの意で、現行では「意気軒昂」の四字熟語での使用が殆んどである。

 なお、本篇によってまたしても新たな生物学上の驚愕の新知見が示されていることに注目されたい。それは「河童の眼玉」は「いかなる高熱をもつてしても熔けることのない」物質であるという事実である。

 本テクストは本日、2015年9月21日に2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログが720000アクセスを突破した記念として公開する。 藪野直史]

 

   千軒岳にて

 

 草の葉を廂(ひさし)にしてこころよい晝寢のまどろみに落ちてゐた河童たちは、突然自分たちのからだが土の上に投げだされ、はつとおどろいた耳におどろおどろしく鳴る山の音をきいて、方角もわかたず思ひ思ひの方向に向かつて飛びたつた。鋸(のこぎり)のやうにぎざぎざのある千軒岳(せんげんだけ)の絶頂からは、天に沖(ちゆう)するごとく噴煙がまきあがり、炬大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩(ようがん)が、樹をたほし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。この豪宕(がうたう)なる火山の圈外(けんがい)に逃げだした多くの河童たちは、もはやそのすさまじい物音もほとんどかすかにしかききとることができぬ堤のかげに來て、はじめてその馬鹿々々しく大仰の自然の振舞を嗤(わら)つた。爆發の刹那に起つたはげしい地震のために、背中の甲羅にひびが入つたり、皿を割つたりした河童たちは、自然の愚劣な行爲に對しておさへがたい輕侮の念を抱いたのである。夜になるとなほ火を噴く山のために、空は眞赤に染まり、河童たちが水をのみにおりて行つた溪谷(けいこく)の谷川は血のながれのやうに見えた。勇氣のあるものはその水をのんだが、さうでないものは、川のながれが赤いのは赤いのではなく、ただ火山の光を映じて赤く見えるだけで、水はなんともなつてゐないのだといふことを信ずることができず、からからに咽喉がかわいてゐたのにもかかはらず水をのむことができなかつた。千軒岳は數日ののちに火を噴くことをやめたが、その擴がつた火口から火山灰(よな)をふくことをやめなかつた。千軒岳の裾野をふくむ高原の靑草は火山衣のため萎(しを)れ、河童たちが夏の強い日ざしを避けて晝間のまどろみのときの廂にした叢(くさむら)の多くは枯れた。降りくる火山衣が眼にしみて、河童たちは顏を洗ふためにたびたび谷間におりて行かなければならなかつた。また、うかつにうたたねをして居ると、火山灰が頭の皿にたまつて水分を吸收し、氣分が惡くなり力が拔けてしまふやうなこともあつた。地上が灰でざらざらと坐り心地がわるくなると、河童たちは牧場にゐる多くの黃牛(あめうし)の背中に休んだ。黃牛は河童が背中に乘ると、蠅を追ふ時とおなじやうに尻尾を動かしてこれを追ふ。輕くあしらはれたことで甚だしく自尊心を傷つけられた河童たちは、牛の背中をひつかいて飛び立つ。牧場の人たちはときどき黃牛の背中についてゐる奇妙な搔き傷がどうしてできたものか理解することができない。さうして熔岩でも降つて來て牛の背に落ちたのでもあらうかと、さかんに噴煙をつづけてゐる千軒岳のいただきをはるかに望むのである。河童たちはつひに千軒岳の噴火口の上を飛びあるくやうになつた。いたづらに千軒岳を遠望してゐることが彼等の矜持(きようぢ)に添はず、勇氣ある一匹の河童が或る日干軒岳の頂上に飛んで行つて、はるか高いところからその絶頂の火口を見下し、或る程度の高度を保つて居れば絶對に危險はないといふことを冒險の果に證明してから、多くの河童たちはいづれも千軒岳の眞上を飛翔(ひしやう)するやうになつた。それはあたかも無數の蜻蛉(せいれい)の群のやうに見えた。火口からは見あぐる高さに火山灰(よな)を噴きあげ、火山灰は風のまにまに山脈の上を這ひながれて行つたが、河童たちの飛んでゐるところには一片の灰も來ず、河童たちは澄みきつた靑空の中を悠々と自由自在に飛び交うた。或るものは口笛を鳴らし、或るものは木の葉落しをやり、或るものは唄をうたひ、或ひは眼下に見える柘榴(ざくろ)のごとき噴火口の中に糞尿をたれおとし、自然を征服した軒昂(けんかう)の氣を負うて、自分たちの眼下に屈從し果てた大自然の意氣地なさをさんざんに嘲笑したのである。そのやうな輕快な飛翔のつづけられた數十日かの後に、千軒岳はふたたびすさまじい鳴動とともに爆發をした。おどろおどろしく鳴りひびいたとどろきとともに、天に沖した火煙は、そのとき天にあつて輕快な亂舞をつづけてゐた多くの河童たちをこともなげに卷きこみ、山脈の膚に向かつて落下して行つた。逃れんとして飛びたつた河童たらもその熱氣にあてられ、力つきて木の葉のやうにはらはらと火口の中へ落ちて行つた。鋸のやうにぎざぎざのある千軒岳の絶頂からは、天に沖するがごとく噴煙がまきあがり、巨大な岩石が毬のごとく無數に飛び、煮えかへる轟音(がうおん)をとどろかして眞紅の焰が噴きあがつた。飴をとろかすやうに頂上の山形を崩し、いろいろの姿に變へながら溢れだして來た熔岩が、樹をたふし、草を燒き、眞紅のかがやきを長々と曳きながら、凹凸のある山腹の斜面をながれくだつて行つた。數千尺の高さに噴きあげられた煙の中に、嵐が生じ、雷鳴が起り、電光が靑白い焰のごとく間斷なく閃いた。燒けおちた河童たちを熔かし含んだ熔岩は、火のながれとなつて山腹をくだり、高原によどみ、しばらくの間たぎる焰となつて消えなかつた。そのときから永い年月がながれた。千軒岳の高原にはいちめんに熔岩の間から不思議なかたちをした靑黑い花が吹きいでた。その花は誰も名前を知らないが、雨のときにはいつぱいにその花びらをひろげてゐるけれども、千軒岳から火山灰(よな)でも降るやうな天候の時には、たちまちにして花びらを閉ぢてしまふのである。また、夜になれば、千軒岳の高原は無數の星によつて滿たされる。それはしかし星ではない。また螢でもない。熔岩の中に身體は溶けてしまつたけれども、いかなる高熱をもつてしても熔けることのない河童の眼玉のみが、鏤(ちりば)められた寶石のごとく、今もなほ夜ともなれば熔岩の中に靑白い光を放つのである。

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