日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十三章 習慣と迷信(2)
我国には、ほかのことでは学問があるのに、綴りを間違える人がある。日本でも同様なことがあり、それは漢字を正しく書き得ぬ学者である。普通の人間は、日本人が数千の漢字を覚え、その支那の名称と、それの日本語の同意語をも覚えていなくてはならぬことが、如何に途法もない重荷であるかを、考えた丈で目が廻る。こればかりで無く、それぞれの漢字に、草書と、印判の形と、正規な形とがあること、なお我国のアルファベットに、一例として頭文字のBと、それを書いた形と古い英国風の書体と、その他勝手な意匠をこらした俏字(やつしがき)があるが如きである。日本歴史を研究する外国人は、一人の歴史的人物が持つ、いろいろ違った名前に迷わされる。この事は有名な陶工や芸術家の名前で、屢々私を悩した。すべての武士は先ず閥族の名を持つ。これは彼等の先祖であるところの古い家族、あるいは封建時代に彼等が隷属した家族の名である。これを「姓」と呼ぶ。彼等はまた「氏」と呼ぶ家族名と、「通称」と称する、我々の洗礼名に当る名とを持っている。更に「号」という学究的な名が与えられ、その上に「字(あざな)」と呼ばれる、これも学問上の名さえある。これに止らず、「諱(いみな)【*】」という名もあり、為替、請願書、証文、契約書等にこれを用いる。これ丈で沢山だろうと思うが、中々どうして、死んでも名前には煩わされるので、僧侶によって「戒名」という名をつけられる。一例として、五十年前に死んだ有名な歴史家頼山陽【**】は、次のような名を持っていた。
* ヘップバーンの辞書によると、この
名は十五歳以後使用する由。
** この名前は、他の有名な学者の名
前と共にボストンの公共図書館に記して
ある。
姓――閥族名――源
氏――家族名――頼
通称――洗礼名にあたるもの――久太郎
号――学問上の名――山陽
字――追加的学問上の名――子成
諦――契約書その他の為の法律的の名――襄
戒名――死後の名――私の教示者はこれを知らない【*】。
* 私は、この種類の材料は一千頁を埋
める程沢山持っているが、記録しておく
時間がない。陶器に関する私の紀要は、
此日誌を踰越しているので、私は、日本
の陶器に就ての興味ある本を書くに足る
材料を持っている訳だ。
[やぶちゃん注:「私の教示者はこれを知らない」頼山陽は現在の京都市東山区の時宗黄台山(おうだいさん)長楽寺にあるが、何故か法名は捜し得なかった。彼は強烈な儒学者であり、法名を持っていない可能性もあるのかも知れない(写真で見ると墓には「山陽賴先生之墓」と刻してある)。識者の御教授を乞うものである。因みに「襄」は「のぼる」、号は外に三十六峯外史とも言った。
「ヘップバーンの辞書」既注。
「踰越」は「ゆえつ」と読み、乗り越えること、或いは、自分の分を越えることを指す。
「私は、日本の陶器に就ての興味ある本を書くに足る材料を持っている」モースによる日本陶器についての纏まった記載は、結局、この十九年後の、一九〇一年の“Catalogue of the Morse Collection of Japanese Pottery”(「日本陶器のモース・コレクション目録」を待たねばならなかった。]
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