小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (九)
九
河霧が消えると、湖上半哩足らずの沖に浮べる美しい小島が、際立つて現れた――低い、幅の狹い、一帶の地面で、數株の大きな松の蔭に祠がある。松は西洋のと異つて、巨大な、節だらけの、むしやくしやした、捩ぢくれた恰好をして、年古りた樫の木のやうに、枝を張つて聳えてゐる。望遠鏡で見ると、よく鳥居がわかる。鳥居の前に石で刻んだ二個の唐獅子がある。一個の頭は取れてゐるが、いつかの大嵐の際、顚倒して大波に撲られたのに相違ない。この島は辯舌と美貌の女神、辨財天の靈地であるから、辨天島と名が附いてゐるが、普通は傳說に因んで嫁ケ島と呼んでゐる、この島は、溺死した女の骸を載せて、湖水の底から一夜の中に、音も立てずに夢の如く湧上つたのだ。その女は非常に美しい、信心深い女で、しかも頗る薄命な身の上であつた。土地の人々は、何か神慮のあることと思つて、この島を辨財天に寄進し奉つて、祠宇を造營し、鳥居を建て、島の周圍には、大きな妙な形をした石で、壁を築いて固めた。して、こ〻へその溺死した佳人を葬つたのである。
空は今や見渡す限り靑々と、春風は肌を撫でてくれる。私は奇異な古い都會の中へ、逍遙に出でて行く。
[やぶちゃん注:くどいけれども、前の大橋で述べた如く、私たちは知らず知らずのうちに、ハーンの印象記の操作された時間の中に誘い込まれている。ここで彼と我々が眺める嫁ヶ島の景色も、まわ彼と我々を誘って松江の市街へと歩ませんとするのも――「春の」早朝の宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島であり、「春風」なのであるのである。決して、松江に到着して落ち着いた九月という初秋ではないのである。
「辯舌と美貌の女神、辨財天」この上述に疑義のある向きはウィキの「弁財天」を読まれるとよい。弁財天は元『ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī)』が『仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名である』が、『経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。弁天(べんてん)とも言われ、弁才天(弁財天)を本尊とする堂宇は、弁天堂・弁天社などと称されることが多』く、さらに面倒なことに『仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と』も『同一視される』ケースがある。『「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」であるが、既述の理由により日本ではのちに「辨財天」とも書かれるようになった』。但し、細かいことを言えば、『「辯」と「辨」とは音は同じであるが』、本来は全く『異なる意味を持つ漢字であり、意味の上では「辯才(言語の才能)」を「辨財(財産をおさめる、財産をつぐなう)」で代用することはできない』のである。ところが、あらゆる宗教信仰を自在に習合してきた本邦ではハーンの言うように「辯才」(「辯舌)と財宝神としての「辯財」を共有する「美貌の女神」として普通に広く認識されるようになったのである。
「辨天島」「嫁ヶ島」現行の地図では「嫁ヶ島」と記す。宍道湖東岸の祖師ケ浦の海岸線から約二百メートル西に浮かぶ東西に長く延びた、小さなソーセージのような形をした島である。松江大橋北詰からは南西に一・六キロメートルに位置する。サイト「松江城と周辺観光地案内」の中の「宍道湖」の「嫁が島」(よめがしま)によれば、全長約百十メートル・幅約三十メートル・周囲二百四十メートルの島で、面積は約二千六百五十七平方メートルとあり、『島の西側に弁天さまを祭る竹生島神社の小祠があり、東の端には鳥居もある』とある(ここの記載から見ると現在のこの小祠は島の東南一・一キロメートルの内陸、松江市浜乃木町の能代神社の境内社として位置づけられているらしい)。島には約三十本の『松があり風情を添え』るが、『大水害の折などこの松が完全に宍道湖に没』とあって、しかも、『小泉八雲も暇さえあれば、浜乃木の側に人力車を走らせてこのあたりからの夕日を堪能したといわれ』ているとある。なお、「湖上半哩足らずの沖」(「半哩」は「半マイル」)とあるが、一マイルは千六百九メートルであるから、その半分で八百四メートル弱となるが、どう考えてもこの距離感はおかしい。現在はその四分の一である。当時の湖岸がもっと内陸にあったと好意的に考え、現在の山陽本線直近が湖岸であったとしても三百五十メートル強はある。しかもその内陸側には寺社が確認出来るから、それより内側ではあり得ないと私は思う。これはもしかすると、この嫁ヶ島に通う船着き場からの距離ではあるまいか?(但し、現在は特定の神事の時以外は渡島出来ない) そしてこの距離に見合ったその渡し場の場所は、後に出る天神町の西南直近の湖岸の現在の大橋川河口の分岐した南側の河口左岸の灘町或いは右岸の祖師町辺りであったとするならば、極めてこの数値一致することになるのである。現地の識者の御教授を乞うものである(なお、一九七五年恒文社版平井呈一氏訳ではここは何と『三マイル』となっている。これは恐らく『半マイル』と書いた自筆原稿の判読を誤り、校正でも見落とされたものであろう)。
「普通は傳說に因んで嫁ケ島と呼んでゐる、この島は、溺死した女の骸を載せて、湖水の底から一夜の中に、音も立てずに夢の如く湧上つたのだ。その女は非常に美しい、信心深い女で、しかも頗る薄命な身の上であつた。土地の人々は、何か神慮のあることと思つて、この島を辨財天に寄進し奉つて、祠宇を造營し、鳥居を建て、島の周圍には、大きな妙な形をした石で、壁を築いて固めた。して、こ〻へその溺死した佳人を葬つたのである」これについては、「国立国会図書館レファレンス協同データベース」の「島根県立図書館」の事例「宍道湖に浮かぶ嫁が島の名前の由来や、元となった伝説について知りたい」の回答とデータに、「日本歴史地名大系 第三十三巻 島根県の地名」(一九九五年平凡社刊)に『「嫁ヶ島」には、「出雲国風土記」に「蚊島」とあり。また「雲陽誌」や「出雲鍬」では蚊島が嫁島と同じ読みのため、いつのまにか「よめ」というようになったと』している(「この場合は「蚊島」も「嫁島」も「かしま」と読んでいることを示す)とあり、また、島根県大百科事典編集委員会企画編集「島根県大百科事典」下巻(一九八二年山陰中央新報社刊)の「嫁ヶ島伝説」の項には二つ話を紹介しており、一つは『姑にいじめられた嫁が湖で水死したところ、一夜のうちにその嫁を乗せて島ができあがった、というもの。「嫁ヶ島」の名前の由来になったとする』とし、二つ目は、『姑にいじめられた嫁が湖に氷が張り詰めた寒中に、氷の上を渡って島の弁財天にお参りしたところ、小用を催し仕方なく氷の上で用を足したところ、氷が割れて湖中へ落ちて水死してしまった。人々は嫁を哀れみ、以後この島を嫁ヶ島とよぶようになった、とするもの』が載るとある。更に、石塚尊俊編著「出雲隠岐の伝説」(一九七七年第一法規出版刊)の「嫁が死んだ嫁が島」には、まさにこの二番目の伝承の異伝型と目される、『氷の張った湖の島の近くで嫁入り行列の嫁が用を足したくなったので、篭をとめて用を足したところ氷の穴から落ちて沈んでしまった、とする』伝承を載せるとある(最後にはまさにハーンの児童物からここでハーンが述べている伝説も併せて紹介されてある)。この伝承、何か隠れた重大な意味が潜んでいるように私には思われてならない。向後も意識して追跡してみようと思っている。]
Sec. 9
The vapours have vanished, sharply revealing a beautiful little islet in the lake, lying scarcely half a mile away—a low, narrow strip of land with a Shinto shrine upon it, shadowed by giant pines; not pines like ours, but huge, gnarled, shaggy, tortuous shapes, vast-reaching like ancient oaks. Through a glass one can easily discern a torii, and before it two symbolic lions of stone (Kara-shishi), one with its head broken off, doubtless by its having been overturned and dashed about by heavy waves during some great storm. This islet is sacred to Benten, the Goddess of Eloquence and Beauty, wherefore it is called Benten-no-shima. But it is more commonly called Yomega-shima, or 'The Island of the Young Wife,' by reason of a legend. It is said that it arose in one night, noiselessly as a dream, bearing up from the depths of the lake the body of a drowned woman who had been very lovely, very pious, and very unhappy. The people, deeming this a sign from heaven, consecrated the islet to Benten, and thereon built a shrine unto her, planted trees about it, set a torii before it, and made a rampart about it with great curiously-shaped stones; and there they buried the drowned woman.
Now the sky is blue down to the horizon, the air is a caress of spring. I go forth to wander through the queer old city.
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