何處へ? 立原道造
何處へ?
Herrn Haga Mayumi gewidmet
深夜 もう眠れない
寢床のなかに 私は聞く
大きな鳥が 飛び立つのを
――どこへ?‥‥
吼えるやうな 羽搏きは
私の心のへりを 縫ひながら
眞暗に凍つた 大氣に
ジグザグに罅をいらす
優しい夕ぐれとする對話を
鳥は 夙(とう)に拒んでしまつた――
夜は眼が見えないといふのに
星すらが すでに光らない深い淵を
鳥は旅立つ――(耳をそばだてた私の魂は
答のない問ひだ)――どこへ?
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認した。最後の「どこへ?」のかな表記はママ。
「Herrn Haga Mayumi gewidmet」は「芳賀檀(はがまゆみ)氏に捧げたる」の意。ドイツ語「Herrn」(ヘルン)は英語の「Mr.」に相当し、「gewidmet」(ゲヴィッドメット)は既注であるが再掲すると、“widmen”(ヴィトメン)の過去分詞形で「~に捧げる」(厳密には「捧げたる」)の意。
芳賀檀(明治三六(一九〇三)年~平成三(一九九一)年)はドイツ文学者(文学博士)で評論家。京都生まれ。国文学者芳賀矢一の子。東京帝大文学部独文科昭和三(一九二八)年卒。ドイツに留学した後、第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部及び岡山大学医学部の前身)教授に就任、昭和一七(一九四二)年退官後、関西学院大学、東洋大学、創価大学教授。『コギト』『日本浪曼派』『四季』同人としてドイツ文学に関する評論を発表、昭和一二(一九三七)年の「古典の親衛隊」が代表作。以後、「民族と友情」「祝祭と法則」などを刊行し、次第にナチス礼賛に傾斜した。他の著書に「リルケ」「芳賀檀戯曲集 レオナルド・ダ・ヴィンチ」「千利休と秀吉」、詩集「背徳の花束」、訳書にヘッセ「帰郷」「青春時代」、フルトヴェングラー「音と言葉」など(ここまでは日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」を概ね参照した)。ウィキの「芳賀檀」には、戦後は『父矢一の顕彰に努めたり、『日本浪漫派』復興を唱えたりしつつ、日本ペンクラブの仕事に精を出していたが』、昭和三二(一九五七)年、『国際ペンクラブ大会の日本招致について批判され、雑誌で、自分が東大教授になれなかった憤懣をぶちまけ』、『その道化じみた様子は、高田里惠子の『文学部をめぐる病い』で揶揄され』たとある。道造より十一歳年上で、角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」の注解には、道造の『晩年の詩に影響を与えた一人』とある。]
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