『風俗畫報』臨時增刊「鎌倉江の島名所圖會」 小動/腰越/滿福寺
●小動
小動(こゆるき)は。七里濱の盡(つく)る處。腰越の漁村に入る。海岸に枕める山岩をいふ。上に八王子の社あり。風濤の爲めに動くが如きを以て名く。
[やぶちゃん注:「八王子の社」八王子権現のこと。近江国牛尾山(八王子山)の山岳信仰に天台宗と山王神道が習合したもの。日吉山王権現或いは牛頭天王の眷属八神を祀る。文治年間(一一八五年~一一八九年)の源平合戦の際に佐々木盛綱が父祖の領国近江国八王子の宮を勧請したものと伝えられ、元弘三(一三三三)年五月の新田義貞鎌倉攻めでは、直前にここで戦勝祈願がなされたと伝えられている。明治の廃仏毀釈令まで八王子社と称した。現在は小動神社。]
●腰越
腰越は古の驛趾なり。今は腰越津村(こしこゑつむら)の中字腰越といふ。人家檐を連ね。往々魚を晒(さら)す。蓋し漁村なり。昔者源義經平氏を滅し。宗盛(むねもり)を執(とらへ)て以て歸る。此に至るに及て賴朝鎌倉に入るを許さず。乃ち書を大江廣元に貽りて其の冤を訴ふ辨慶をして之を草せしむ。世に腰越狀といふは是なりといふ。
[やぶちゃん注:「貽りて」「おくりて」と読む。]
●滿福寺
滿福寺(まんふくじ)は。龍護山と號す。眞言宗にて開山は行基。本尊は藥師と不動明王なり。相傳ふ義經此に宿(しゆく)す。故に彼の腰越狀は藏して本寺に在り。其の眞贋問はすして知るべし。庭傍(ていばう)の石泉は。辨慶の硯滴を取り者なりと。
[やぶちゃん注:……私の愛する寺、思い出の寺……
「腰越狀」「新編鎌倉志卷之六」の「滿福寺」の私渾身の「腰越狀」及び現代語訳、現在、満福寺に伝わる「腰越狀下書」と伝えられるもののテクスト化をご覧あれ。なお、これは私が三十四年前に満福寺を訪れた際に購入した縮刷された影印版を読み解いたものである。]
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