橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(21) 昭和二十一(一九四六)年 八句
昭和二十一(一九四六)年
大根ぬく南に雲多き日に
波の音芦火は消えてもすぐもゆる
寒牡丹寺苑野川を流れしめ
[やぶちゃん注:恐らくロケーションは長谷寺であろう。]
木枯や鳥屋に卵のあたゝかく
炭ひきて心しづかになりゆくを
鶯や沼辺は雨のしげりきなり
衣ほどく鋏小さゝよ野分中
[やぶちゃん注:以上、『馬酔木』掲載分。]
佐保山陵
松蟬や妃の陵をうちかさね
[やぶちゃん注:「佐保山陵」奈良市法蓮町にある聖武天皇のそれと治定されている佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)。その皇后、藤原不比等の娘安宿媛(あすかべひめ)、光明皇后「妃の陵」は、その佐保山の参道を挟んだ東のピーク(ツイン・ピークスのピーク間は百メートル強)である東陵に治定されている(なお、陵墓には「仁正(にんしょう)皇太后」と記され、地図上でも「仁正皇太后陵」とある。夫豊次郎を亡くして九年目の夏、前掲の昭和十五(一九四〇)年の一句、
冬木の靑吾等の塋城標めて立つ
が、そして次女国子の婚約者堀内三郎の内地帰還の途次の遭難の悲哀をも、実はこの句にはオーバー・ラップするように、私には思われてならないのである。「松蟬」はカメムシ(半翅)目頸吻亜目セミ型下目セミ上科セミ科セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ属ハルゼミ Terpnosia vacua の異名。晩秋から初夏の季語である。
以上、『現代俳句』掲載分。多佳子、四十七歳。この年、一月二十一日に旧師杉田久女が亡くなっている。十月に戦後初めて伊勢の山口誓子を訪い、また西東三鬼・平畑静塔・秋元不二男らと相知るのもこの年であった。秋以降、こうした仲間と『天狼』創刊への機運が高まった。また参照した年譜の最後には、懐かしい、亡き夫の希望や思い出の詰まったかの大分の十万坪の農場が坪八十銭で農地買上となった、とある。]