日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(9)モース先生、茶の湯を習う
私は茶の湯のこみ入った勉強を始め、日本人の組に加入した。先生の古筆氏は、私がこの芸術を習う最初の外国人だという。私が茶の湯を始めたという事実と、その時持ち出される陶器を素速く鑑定して茶の湯学校の爺さん達を吃驚させたという記事とが、新聞に出た。日本の新聞が、米国と同じく、あらゆる下らぬことや社交界の噂話等を聞き込むことは一寸奇妙に思われるが、これは要するに、人間の性質が、世界中どこへ行っても同じであることを示すものである。
[やぶちゃん注:「古筆氏」既注であるが再掲しておく。好古家として知られた古筆(こひつ)家第四代古筆了仲(りょうちゅう ?~明治二四(一八九一)年)。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の中で、丁度、この前後にモースは陶器蒐集や民具収集の過程で、この古筆了仲に逢っており、彼を『師として茶の湯も習ってもいる』とある。Chakurai 氏のブログ「なずなノート」の『モースと茶のつながり「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」江戸東京博物館 その3』に、『石州流茶道を茶人・古筆了仲(こひつりょうちゅう)から習い』、明治一六(一八八三)年二月に『離日する際に了仲が贈った茶杓も展示。モースは生涯その茶杓を手元に置いたのだそう。1センチほどの茶碗や高さ5センチの水指などままごとサイズの茶道具一式のセットもあり、お茶の側面からも面白みがあった。その守備範囲の広さ、ほんとすごい』。私はこの展覧会を見逃している。そこにはまさに本書でモースのスケッチしたものが数多く展示されていた(ネットの案内画像で確認)。実に実に慙愧の念に堪えぬ。]
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