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« 鮎の歌   立原道造   (Ⅲ) | トップページ | ローズマリーの匂い »

2015/10/16

鮎の歌   立原道造   (Ⅳ)

       Ⅳ

 

 僕といつしよにくらした人びとのために、ただ高原の夏の日常のかたみに、僕は「鳥啼く夕べに詠める歌」といふ擬詩(パロデイ)を書いた。そんなものがその友人たちのためにあるとおもつた者はおもへばよい。

 僕は善い彼らのために十分にたのしくさへあつたのだ。感謝をもつて!

 僕はそのひとりに僕の靑春の祕密を叢の上にねころびながら繪そらごとをでも語るやうにして聞かせたこともあつた。(なぜそんなひとりが、選ばれたのか! だれも知らない。)「アンリエツトとその村」といふ大切な歌物語までかくしはしなかつた。それはきつと「村のロメオとユリヤ」や「ポオルとヴィルジニイ」やテオドオル・シユトルムの物語のやうに聞かれたのだらう。どんな風にしてでも言葉はひびかせられた。それはそれよりほかにない、いつはりとは髮一すぢのあやふい尖らされた場所だつた。そしていつはりは白白しくみなほんたうだつた……

 そんな僕を打倒すには、ひとつの手紙でそれは十分だ! 鮎は僕に突然告げてよこした。――かの女の結婚と、結婚の次の日に夫の手で僕のすべての手紙が白い灰にされたことを。かの女もやはりその手紙のをはりには、淸い美しい思ひ出のなかにいつまでも生きてゐたいと書いてゐた、それはあたかも裏切る者はいつでも裏切られた者の心のなかに思ひ出となつてちひさくかなしく花咲くことが出來るのだと信じてでもゐるかのやうに。

 

 その不信と裏切りとが不意に僕に村の繪をかへた。そして見た、僕の空虛と呼んでゐた場所を除いて僕のすべてが鮎のために烈しく燃えつづけてゐたのを、そのときはじめて。僕は粗々しい苦惱に灼かれながら、そんな景色に裸にされた僕の眼をさらしつづけた。――どんよりとした靑空、かすかな煙を片方へ靡かせてゐる火山、ふかい木立にかくされた山峽の水源地、ながれ、丘……ある日、僕は二、三の友だちと明るい林のなかを歩きまはつてゐた。出來るだけ記憶にない徑をばかり選んでゐるうちに、迷つてしまつた。丈の高い草を分けてやうやく出たのはひろい林道だつた。僕らはゆるやかに傾いてゐるその道を下つて行つた。道の上にふかい轍のあとと、馬の糞とそのそばに二、三本の細い蕈と、林のなかの水蒸氣の多い空氣と、それらが僕に過去の何でもないひとときを描きはじめた――そのとき、僕は鮎とこの徑を行きながら、何かこの徑にふさはしいよい名をつけようと考へたことを、そしていくつも名を言ひながらたうとうきめずにしまつたことを、そしてそのとき鮎は菊の花の繪を描いた紫がかつた色の着物を着てゐたことを。……僕の心臟はきつく締めつけられた。僕は何か眞黑な絶望のやうなものにつきあたつた。僕は急に無口になつた。額の上に一切の記憶がずり落ちて來た。僕は手錠でも嵌められた人のやうに無器用に歩きながら、ぢつと他人のそれを見つめるやうに、自分の苦痛にながめいつてゐた……

 

         *

 

 僕は、その村で得たすべての友人を捨てた。どんなに意地わるく、ずるい仕方で、それらの人を捨てたか! 親しかつた友にほど、それだけはげしいにくしみをこめて。みにくくそつぽを向いて。

 そしてたつたひとり僕の靑春の祕密のすべてを聞いてしまつたひとりの友にばかり凭れるやうに賴つて慌しい旅に出た。

 

 ……旅の先々で、何と奇妙な乾いた聲をして、僕はその村の記憶をふりすてようとしたことか! 僕さへ忘れたなら、だれも知らない、何がきづかれ、何が崩された、あの村だつたか、と。

 眞靑な海と明るい光のなかで僕はその友といつまでも旅をつづけてゐたかつたのだ。見知らぬ國々のはじめて見る珍しい風景や獸や花のためにではなく、その友の心のかげにやうやく休んでゐる僕の姿を慰さめながら、……寧ろ眼にうつるものみなに憎しみをもつて!

 

 それが、僕の二度目の別れであつた。

 

[やぶちゃん注:「ポオルとヴィルジニイ」フランスの植物学者で作家でもあったジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエール(Jacques-Henri Bernardin de Saint-Pierre 一七三七年~一八一四年)が一七八七年に発表した悲恋小説“Paul et Virginie”(現行では一般に「ポールとヴィルジニー」と音写される)。彼が読んだのは生田春月訳(大正六(一九一七)年刊)の「ポオルとヰ″ルジニイ」か昭和九(一九三四)年岩波文庫刊木村太郎訳の「ポオルとヴィルジニイ」ででもあろうか。嘗てはよく読まれた恋愛小説で私も十代の終りに読んだが、最早、その内容もうすっかり忘れてしまっていた。個人ブログ「マルジナリア」のサン・ピエエル作・ポオルとヴィルジニイをお読みあれ。]

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