橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(19) 昭和十九(一九四四)年 十句
昭和十九(一九四四)年
柿すすり山家の秋のきはまりぬ
濤の音障子にふるるばかりなり
霜明くる瓦斯の焰のはげしくて
[やぶちゃん注:「焰」は底本の用字。]
寒梅や軍服の香ぞ吾子の香
祖母の雛戰嚴しき夜を在す
[やぶちゃん注:「在す」「おはす(おわす)」と読みたい。]
寒梅の花鮮らしや旅衣
經文の行間正し牡丹雪
鶯や居間の屛風もたゝまれぬ
わが住みて野邊の末黑に籬いまだ
[やぶちゃん注:「末黑」は「すぐろ」で、春の野焼きなどの後、草木が黒く焦げていること。また、その草木を指す。この年の五月、多佳子は大阪帝塚山から奈良市あやめ池南四丁目に疎開している。この「わが住みて」と詠み出したそれは、新しき住まいへの挨拶句とも読める。五月で「末黑」の春とやや季が気になるかも知れぬが、「末黑」は野焼きの跡、「後」であり、何より「信濃」の「住吉帝塚山より奈良西大寺の邊り菅原へ引移る 裏の松山へ登れば藥師寺の塔も見ゆ」という前書を持つ「菅原抄」に(当該部で既注であるが、多佳子の疎開先であった現在の「あやめ池南四丁目」は旧「菅原町」の一部が含まれており、「あやめ池町」全体が古くは「菅原」という名称で呼ばれていたと推定される)、
わが住みて野邊の末黑を簷のもと
の句を選んでいることからも間違いない。]
わが庭や末黑の雨のしぶきうつ
[やぶちゃん注:以上、『馬醉木』掲載分。この年の冬、次女国子の婚約者の堀内三郎が三重県の鈴鹿航空隊に入隊している(三郎は終戦後の内地帰還の途次に遭難してしまう)。多佳子、四十五歳。]
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