豫後 立原道造
豫後
私の影がどこにもうつらない場所で私は光を見つめてゐる、それは淡い月の光りか
星の光りか私に分からない一面にうすやみのやうに私を圍んで私は次々に思ひ出してゐる
私の場所を捨てた人たちを(それは私の晝であつたか)
つまり死んで行つた人など それからまた
つれなく立ち去つた人など 思ひ出してゐる
だれもゐない しかし私は いまはなぜ ひとりではゐないのだらう? 私に 分からない
生々しい傷口と歎きと私と 私の場所でない場所に
激しい闇と光とに飢(う)ゑ渇(かわ)きながら それは淡い
一面にうすらあかりのやうに影をさへとどめぬ場所に
なぜ遺された私とはつながりもない光といつしよに?
[やぶちゃん注:この詩篇の底本は昭和四三(一九六八)年新潮社刊「日本詩人全集」第二十八巻の「立原道造」(中村真一郎編)を用いたが、恣意的に漢字を正字化した。【2026年3月27日:注釈を大幅に増補】今回、初めて刊行物として活字化された旧角川書店刊「第三卷」(一九五七年版)の「豫後」を確認したところ、画像をよく見て戴きたいのだが、不審な部分が判る。第二行目が明らかに前の行から改行されて、「 出してゐる」となり、「だれもゐない」以下の形式行六行でも「 分らない」が前の「私に 」の部分で改行されていることに気づくのである。そして、この本巻の通常の一ページ印刷組の一行字数を見ると(例えば、ここ)、一行は、もっと、まだ、あることが判るのである。
これは、則ち、編集者が視認した、原稿の改行を忠実に配したものであることが判るのである。
さて。そこで、後の角川書店刊の「立川道造全集」の「第一卷 詩集I」の「豫後」を見ると、
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豫後
私の影がどこにもうつらない場所で
私は光を見つめてゐる それは淡い
月の光か――私に分らない
一面にうすい闇のやうに私を圍んで
私は次々に思ひ出してゐる
私の場所を捨てた人たちを(それは私の晝であつたか)
つまり死んで行つた人など それからまた
つれなく立ち去つた人など 思ひ出してゐる
だれもゐない しかし私は いまは
なぜ ひとりではゐないのだらう?私に分らない
生々しい傷口と欺きと私と 私の場所でない場所に
激しい闇と光とに飢え渇きながら それは淡い
一面にうすらあかりのやうに影をさへとどめぬ場所に
なぜ 遺された私とはつながりもない光といつしよに?
*
と、なっていて、非常に読み易く、躓きが全く感じられない。そこで、同巻の当該詩「豫後」の堀内達夫氏の編者注を見ると、
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豫後 「帝國大學新聞」 昭和11年12月21日号
*恐らく十四行詩型の組違いであろうが初出原型を採った。
*草稿詩「夜でない夜に」(本巻収)を異文に持つ。
*
あったことに拠って、やっと、不審が完全に氷解したのである。
則ち、旧全集の妙な行型は、実は――現存する原稿のもの――であり、実際に発表された「豫後」は――正しく十四行で載っている――ということを意味するのである。]

