橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(14) 昭和十四(一九三九)年 十句
昭和十四(一九三九)年
汽車うづみ地上赤燈雪に刳られ
[やぶちゃん注:「燈」の用字はママ。以下、この注は略す。]
煖房車寢室の帷の裡曉くる
[やぶちゃん注:「帷」は「ゐ」(無論、寝台車の遮蔽用カーテン)、「裡」は「うち」、「曉くる」は「あくる」と読んでおく。]
赤倉觀光ホテル三句
星くらき雪に地階の燈がのこる
階の窓雪の深きを見て降りる
雪深くいでゆの階をなほ降りる
[やぶちゃん注:同年年譜に、『一月七日、淳子、美代子を連れて、雪上車で赤倉観光ホテルに着き滞在』とある。前の二句も恐らくその向かう途中の連作中の句と考えられる。「赤倉觀光ホテル」は創業が昭和一二(一九三七)年であるから、当時は開業後二年目。帝国ホテルを創業した大倉財閥が上高地帝国・川奈に次いで建てた高原リゾート・ホテルの草分け的存在。公式サイトはこちら。]
北風あをき灘へ舳は峽をいづ
由布高原
牧晴れて由布の霧氷を近く見る
緬羊舍ひとゐる部屋を煖くせり
富士にて 二句
夏爐焚きましろき鷄(かけ)を空に飼ふ
[やぶちゃん注:「鷄(かけ)」はニワトリの古称。鳴き声に由来するとされる。]
雲がゐる石楠花しろく秋たてり
[やぶちゃん注:以上、『馬醉木』掲載分。多佳子、四十歳。]
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