鮎の歌 立原道造 (Ⅲ)
Ⅲ
夏のはじめの雨の多い季節の一日の、僕たちの別れ。
それは、しかし、僕がアンリエツトと呼んだ少女との別れではなかつたのだ。しかし別れて行くときまで、その少女は信じてゐた。自分がアンリエツトなのだと。そして夢よりほかの場所にどうしようとすることも出來なかつたそのアンリエツトは、「二人の天使の話」を僕が「アンリエツトとその村」をつくつたやうに自分の夢の世界に持つてゐた。
……夏が一日一日ふかくなつて行つた。――その別れのあと。――僕のうちに營まれてゐる日々。
それは私のアンリエツトのために、鮎と名づけられたひとりの少女のために、時のなかで捧げられた日なのだ。
私のアンリエツトのための日々がその信じられたアンリエツトにとつてどんなにむどい裏切りだつたことだらうか。鮎がやがて僕を裏切つたやうに! そして僕がそれに耐へたやうにあの少女はどこでそれを耐へたのだらう? 耐へるよりほかに何が出來たであらうかと、別れを呼んではいけない!
美しい思ひ出だつた
みんな淸らかなことばかりだつた
山もやさしかつたし 雲も笑つてゐた
小鳥たちは愛らしくうたつてゐた
たうとうおしまひの日が來たといへ……
これ以上物語をつづけることはなかつたのに
つづけて そしてどうなることかしら
私が物語を語りつづけなくとも
みな誰でもがそれのをはりを語つてくれるで
せう
二人の天使に神さまのひとつのたつたひと
つのほんのちひさな贈物が「思ひ出」と
いふ名だつたことを
神さまからの贈物ともしたら
ああ それは何とちひさな贈物でせう!
人の世界で言つたなら それは「忘却」とい
ふものよりはずつと悲しいのに。
涙といつしよに
美しい思ひ出の花よ!
永遠にその美しい世界のなかのあなたと私と
を
とどめよ いつの世にか
淸らかな美しいものがこのやうにあるだらう
と
私はそれを誇りながら……
僕にそんな手紙を書いて來た少女をそれで慰さめることが出來るとでも信じたやうに、僕はちひさな詩を「花散る里」と名づけて書きおくつた。水晶の十字架のお禮の心までそれにはこめて……そしてたつたそればかりで僕には何の悔いももう殘りはしなかつた。――僕はたやすくさう信じこんだのだ。
ただ僕の日々は樂しい影と光の溢れた高原の村で「アンリエツトとその村」を幾たびも描いてはまた描きなほして、どうにもならないほど、待ちくたびれてゐたのだ、僕はたしかな約束でもしたやうに、おそい鮎の歸りを。そのやうなをり、僕はかの女との別れを
さへ描いてみた。しかしそれは短い別れとしか考へられなかつた、過ぎた秋、一年あとにこの村でまたくらす約束をして次の夏を信じながら別れたあの別れのやうにしか。…‥そしてまたあのころ夜が來て家に歸らねばならない時刻となつて別れたあの短かかつた別れのやうにしか!
僕はその日々のなかで「二人の天使の話」を自分流につくりかへた。ふたりがめいめいに持つてゐたうすい水色の翼とうすべに色の翼と――その水色のひとつは言ふまでもなく僕に、そして自分のために少女がつくつたうすべに色のもうひとつはその少女からとりあげて僕の鮎の背に、つけられた。……ああ何といふ美しい物語だらう! かろやかな翼のあるふたりが、白い小さな鈴をつけた花が甘く優しく咲きにほひ、赤い木の實がころがつてふざけまはつてゐる、滑らかな丘の斜面(なぞひ)で子供らよりも幸福にあそんでゐるのは。すべての羽蟲たちは草の葉の上にたまつた露をのみ、親切なそよ風に連れられてまた高く高く舞ひのぼつてゆく……しかしそれは同時にひとりの少女には何といふむごい物語なのか! 僕は鮎のために何もかも奪つてさへ捧げるほどに狂つてゐたといつてそれがゆるされたことだつたか。僕の心臟には、美しいと見えたその物語の言葉の數より多く、おそろしい針のやうな棘が生えてはゐないか。
眞晝の白い幸福な豚となるよりも
夜の盜人のをののく脅えの友となれ!
と、たとひ僕がうたつてくりかへす日に住むとも。
*
しかし私のアンリエツトは私のアンリエツトではなかつたか。それならばまたその自分に信じたアンリエツトはアンリエツトであるゆゑにふたたび僕のなかにアンリエツトとなつて生きねばならない。ここで僕はもうその名でひとりの少女を指すことは出來ないのだ。私のアンリエツトとそのアンリエツトと。僕にそのふたりの少女が區別されてはならない。僕のなかにはいつてそのふたりの少女はひとりのアンリエツトとなつたゆゑに。このひとりのアンリエツトとはだれなのか? 僕の外にアンリエツトはゐない。僕みづからが「アンリエツトとその村」の場所でありアンリエツトは僕のなかにはひつてのみアンリエツトであるゆゑに。それならば私のアンリエツトとはだれであつたか? いひかへれば僕のなかの空虛な部分にそれは名づけられたのではなかつたか?……たはむれと眞實はここでは分けられない。あの歌物語をルネサンスびとの一人となつて僕が綴つた世界に住んだゆゑに。これは言葉のあそびだらうか、一體何の人工のかなしい果てだらうか……僕は少女を失つたにすぎない、だれでもいいアンリエツトひとりをあざやかに僕のなかに生かしたかつたゆゑに。そして僕は少女らをさうして失ひながら鮎の歸りを渇ききつて待つてゐた。だれが歸るのかをありありと思ひに描いて、その再會をこの上なくたのしくながめ。昔ピグマリオンが自分の巧みな人工で愛人を得たやうに、僕は自分の人工のために生きてゐた少女らをただ冴え冴えとした輪廓だけをのこし消してしまつたのだ、その場所で僕は戀を言つた。鮎よ! おまへの身體さへ私のアンリエツトを埋めつくすわけにはいかない。おまへの掌を僕の掌に持つことなくましておまへの脣は僕の脣に觸れ得なかつたゆゑに。臆病な僕はただふしぎにみちたおまへの身體の祕密のまはりをおどおど飽きずに歩きまはつたゆゑに。これは戀のこころではない、きつと涙とあこがれのふかい淵に墮ちた心だ。すべてのものを壞しつくしてやまない、すべての上に漂ひたいとねがふ、まなざしだ! ああここでは何と空はとほく高く逃げてしまつた、僕の吸ふ空氣の何と薄いことだらう! 失ひも得られもしない。千の絆よ、歸つて來い、鞭うたれれば血の迸りやまない身體の汚れに、僕よ、あれ! 行爲よ、泉に就て、決意に就て、もののたたかひとふたたび別れに就てすら!
*
「草まくらむすびさだめむ……」の歌の心をはだかに
詠めるソネツト――雅經の歌によるNachdichtung
己はさびしい野に立つてゐた
白い鞠のやうな大きな浮雲や
よそよそしい ささやいてゐるざわめきや
へんにきらきらとする空があつた
土よ 水よ 木よ かはいい花よ
鳶色よ 綠よ 紫よ 代赭色よ!
さやうなら おまへたち! 己は長いこと
草の上にすやすやと眠つてしまつた
いろんな夢をとりとめもなく見たが なん
にものこらもない
己の心と運命とは ちぎれちぎれに
奇妙な方角に 出かけてしまつた!
みたされもせずに みたされることを知り
もせずに
己の心はさびしくふるへる草をながめる
一體どこから來て だれが 行くのだらう?
[やぶちゃん注:「斜面(なぞえ)」「日本国語大辞典」によれば、「なぞえ」は歴史的仮名遣では「なぞへ」が正しいらしい。傾いていること・すじかい・ななめ、また、傾いている場所・傾斜・斜面を意味する名詞とするが、私は使ったことがなく、かく注する如く、壮年になるまで永く意味も知らなかった。「日本国語大辞典」では例文を十返舎一九の「東海道中膝栗毛」及び小栗風葉の「青春」、夏目漱石の「虞美人草」から引くから、近世以降の用語であろう(私の所持する古語辞典には載らない)。語源は載らず、方言として岩手県気仙郡・埼玉県川越・富山県・山梨県・愛媛県を挙げ、更に「なそえ」(斜め・はす)で福島県東白川郡・佐渡・飛騨、「なそい」で茨城県、「なすい」で鹿児島県を採集地として掲げる。「言海」を引くと、『準(ナゾ)ヘの意』と断じている。「準(なぞ)へ」は上代からの古語の動詞「なぞふ」で、周知の如く、準ずる・類する・肩を並べるであるが、どうもこの語源説――読んで面白い「言海」なればこそ――どうも嘘臭い。私は国語学者からは表記違いで一蹴されるであろうが、「撫(な)づ」との関連性をちょっと想起した。
「Nachdichtung」ドイツ語で「ナーハ・ディッツヒトゥング」と発音し、「詩文の模倣作」即ち、「翻案」や「改作」を指す語である。]
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