橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(22) 昭和二十二(一九四七)年 五十一句
昭和二十二(一九四七)年
木の実独楽大小ありてまはり澄む
冬の虹立つ方へ子は田を走る
釘の頭を子が地に打つ冬の暮
炭を出す手燭のそこに山の闇
虹たちて刈田の畦のあきらかに
田に立ちて紅を残せる冬の虹
清水公俊氏逝去後は
この寺に知る僧なしや良弁忌
[やぶちゃん注:「清水公俊」大僧正で東大寺官長。既に昭和二〇(一九四五)年に亡くなっている。「良弁忌」「らうべんき(ろうべんき)」と読む。本来は陰暦十一月十六日で奈良時代の学僧で東大寺開山の良弁(持統天皇三(六八九)年~宝亀四年閏十一月二十四日(ユリウス暦七七四年一月十日))の忌日で冬の季語。現行では一二月十六日に東大寺で行われているようである。以上の生没年はウィキの「良弁」によるものであるが、実際の没日と忌日が一致していない。理由は不明である。識者の御教授を乞う。]
空にゐて揚羽の蝶のゆるやかに
降る雪に男洋傘さしいづる
年木割山の月夜の濃かりけり
年木割るひびきの暮れてゐたりけり
年木樵るひびき雪降る山をいづ
年木樵るわが低山に雪ふれり
夜の雪い寝むとひとり手を洗う
喪の日日やなほ如月の山の崖
紅梅や一途に霰ふりてやむ
訪ね来し男の外套雛の宿
雛の宿雪降る崖を照らしけり
蛇叱る堂守甃の床を踏み
[やぶちゃん注:「甃」は通常は「いしだたみ」とか「しきがはら(しきがわら)」と読み、石畳のように土間や地面などに敷き並べた平たい瓦或いはそうした床(ゆか)を指す。ここは音数律から私は「いし」と訓じているように思う。]
蛇生れて常浄光土雨荒るる
[やぶちゃん注:「常浄光土」聴いたことがない文字列ではあるが、意味は「四土(しど)」の一つである「常寂光土」と同じではないかと思われる。常寂光土は仏教に於ける全宇宙の究極真理としての仏陀が常住する浄土とされるもので、永遠であり、煩悩も存在せず、絶対の智慧の光に満ちているとする。因みに仏教の「四土」には二種あり、主に天台宗で四種の仏土を指し、「凡聖同居土(ぼんしょうどうごど)」・「方便有余土(ほうべんうよど)・「実報無障礙土(じつぽうむしょうげど)」・「常寂光土」をまず普通は謂い、更に教学上の唯識(ゆいしき)の四種の仏土として「法性(ほつしよう)土」・「自受用土」・「他受用土」・「変化(へんげ)土」があるが、多佳子の使う「常浄光土」というのはなく、「常」を造語的な接頭語と見ても、「浄光」は仏典や寺名に普通に見られるが、「浄土」や「寂光土」はお馴染みであっても「浄光土」というのさえも私には未見の熟語である。字の相違から誤字や誤植とも思われず、不審である。一応、多佳子の嘱目印象による造語と採っておく。]
仏達春昼立たし吾歩む
くちなはの追はるるときを青びかる
春の土碧びかる釘あまた落ち
初蝶や一途に吾に来るごとし
花群にちかづき木瓜の花を見る
むらさきの色藤にしてほるかなり
雨の藤昏れまぎれつゝ昏れてゆく
地に憩ふ枇杷盛る籠の間にして
門司
枇杷買ふや霧笛が髪を打つて過ぐ
夜光虫掬ひたる掌にとどまらぬ
流燈のはかなき土を灯しけり
[やぶちゃん注:「土」は「つち」と訓じていようが、意味合いとしてはこの世、穢土(えど)と私は読む。]
流燈を流すはかなきことを見る
又一歩ちかより立つや土用濤
揚羽蝶砂丘を越えて又逢へり
送らるる吾が遅れて片かげり
[やぶちゃん注:「片かげり」は「片蔭り」で「日陰(ひかげ)」のこと。歳時記などを見ると、大正以降によく使われるようになった晩夏の季語とする。
以上、『馬酔木』掲載分。]
修二会
天狼のいでて修二会の星揃ふ
[やぶちゃん注:「修二会」「しゆにゑ(しゅにえ)」と読む。既出既注であるが、再掲しておくと、法式としてのそれは国家安泰を祈ることを目的とした法会で、ここは東大寺のそれ、所謂、「お水取り」である。同寺の修二会の本行は、現在は新暦三月一日から十四日までの二週間に亙って二月堂で行われる。]
雪の上修二会の僧の沓一歩
修二会堂女人端ぢかくして寵る
修二会の火双眸にもやす女かな
ねむたさの女伏したる修二会かな
雪を来し女人修二会の扉をよごす
雪霏々と行法の火のもゆるなり
修二会僧行法の火にうちむかふ
雪の堂修二会の扉ひとつ開き
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]
冬旅の一歩や鼻緒かたくして
肩かけや解纜の汽笛ふりかぶる
[やぶちゃん注:「解纜」は「かいらん」と読み、「纜(ともづな)を解く意で、船が航海に出ること。船出。出帆。]
寒き門司舷はしづかに離れゐる
肩かけや白波かぎりなき只中
稲妻のしきりや言葉しづかにて
夕焼けて立つや喪服の手も足も
吾亦紅老いゆく日々を紅ふかむ
[やぶちゃん注:「吾亦紅」バラ目バラ科バラ亜科ワレモコウ Sanguisorba officinalis。既注。]
以上、『現代俳句』掲載分。]
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