夜想樂 立原道造
夜想樂(やさうがく)
若葉には目にしむ風がさわさわと薰(かを)つてゐたが
巡るおもひに何がひそんでゐたのだらうか?
少女は僕にうたつてきかせた
――或る眞冬の夕ぐれに それは
雪つむ野路のうすあかりでした
わたしの胸からよろこびが
誰かの知らない唇に盗まれました
わたしはそれから慰めをばかり
渇(かわ)いた口に呼ぶうたをうたつて
すごしてをりますと――
眞冬の夕べの雪あかりに
しのんで行つたのは誰の心か?
さうして少女のあこがれが痛い豫覺(よかく)に
盗まれたのは?――少女よ それを僕に語つておくれ
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。「夜想樂」はノクターン――英語は“nocturne”、フランス語は“nocturne”(ノクチュルヌ)、道造の好んだドイツ語では“Nocturne”(ノクトゥルネ)――夜想曲のこと。]