橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(12) 昭和十二(一九三七)年 二十七句
昭和十二(一九三七)年
枯るる園學べる少女破璃に見ゆ
[やぶちゃん注:『ホトトギス』掲載句。]
暖房の燈を並め北風に航つゞく
[やぶちゃん注:「並め」は古語の自動詞マ行四段活用の「並(な)む」で、並ぶ・連なるの意。]
湯槽(ゆ)にひたり北風の甲板の眞下なる
[やぶちゃん注:「湯槽」の二字で「ゆ」とルビを振る。]
北風に覺め夜半の船室のあつすぎる
黄砂の日
黄砂航く貨物船側に朱を見たる
渡渫船黄砂暮るゝと音を斷ちし
[やぶちゃん注:「渡渫船」不詳。底本か初出の『馬醉木』のそれかは不詳乍ら、浚渫船の「浚」の誤字か誤植ではなかろうか?]
熔鑛爐黄砂の夜天ちかづけず
黄砂の夜鑛滓は地に火と炎ゆる
[やぶちゃん注:「鑛滓」「こうし」と読む(誤読の慣用読みでは「こうさい」)。金属を精錬する際に溶けた鉱石の上層に浮かぶ非金属性の滓(かす)。金糞(カナクソ)とも呼ぶ。所謂、スラグ(slag)のことである。]
玄海の黄砂の眞夜を月いづる
初瀨
牡丹先に日輪瞑き天にある
[やぶちゃん注:「初瀨」奈良県桜井市を流れる初瀬川北岸の地名。現行では「はせ」と読まれるようである。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に建つ長谷寺の門前町で、上代に泊瀬(はつせ)朝倉宮・泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)が置かれた。ここはどうしても古名の「はつせ」で読みたい。初瀬山は昔から牡丹の名所として知られ、長谷寺には現在、百五十種類以上七千株と言われる牡丹が植えられており(ウィキの「長谷寺」のデータ)、古くから別名で「花の御寺(みてら)」と称される。]
牡丹あふり黑南風地より吹きたてり
[やぶちゃん注:「黑南風」「くろばえ」と読む。梅雨の初めに吹く南風のこと。]
牡丹荒れ黑南風雲を走らしむ
黑南風に向ひ廻廊の階を降る
[やぶちゃん注:「階」「きさ」と読みたい。]
南風集
停船旗南風の港がしろくある
南風吹けり巨船停らんとしつゝ來る
停船する船と歩めり南風を負ひ
舷梯を下り來ぬ南風にカラア碧く
南風の波搏てり騎馬いま遠く驅る
南風くろし走輪光りひかり驅る
南風くろし工事の鐵鎖街に鳴り
[やぶちゃん注:ここまでは印象からすると、前年の上海・杭州旅行の回想吟のように私には感じられる。]
水上署のボート祭の波を荒らす
祭舟篝の炎の中にゐる
まつり更け新聞トラック街驅くる
[やぶちゃん注:「海燕」の同年パートの、
天神祭
渡御まちぬ夕の赤光河にながれ
渡御の舟みあかしくらくすぎませる
の二句から見て、この三句は大阪天満宮の天神祭の嘱目吟であろう。同宵宮は七月二十四日、本宮は七月二十五日であるが、船渡御(ふなとぎょ)の景であるからこれらの句は昭和一二(一九三七)年七月二十五日に特定出来る。]
山のホテル
額の瑠璃山の秋草と苑に咲く
露あをしホテルの厨房苑に匂ふ
[やぶちゃん注:「海燕」の前年のパートに、
六甲ホテル
霧あをし紫陽花霧に花をこぞり
霧ごもり額(がく)の濃瑠璃が部屋に咲く
爐火すゞし山のホテルは梁をあらは
霧にほひホテル夕餐燈(ひ)がぬくき
が載り、句柄から見て、ここも同ホテルと見てよい(しかも額絵を詠んでいるから、これらもこの時の吟詠か回想吟の可能性が強い)この「六甲ホテル」は兵庫県神戸市灘区六甲山町南六甲一〇三四番地、六甲山山上に現在も営業する阪急阪神第一ホテルグループの「六甲山ホテル」のことであろう。昭和四(一九二九)年に宝塚ホテル分館として開業した(後に独立)。古塚正治設計による開業当時の建物は現存しており、二〇〇七年に国の近代化産業遺産に登録されている(以上はウィキの「六甲山ホテル」に拠る)。]
わがちかく銀河は澄みてけぶらへる
滿天の星澄み銀河苑にながれ
[やぶちゃん注:以上、『馬醉木』掲載分。夏の吟で終わっており、旧作の別詠や回想吟と思われるものが多いのは、この年に夫豊次郎が発病(病名不詳)し、同年九月三十日に享年五十歳で逝去したからである。底本の堀内薫氏の年譜によれば、『療養していた数か月間、多佳子は、病弱の夫に付ききり、妻、秘書、看護婦、母と、虚弱な一身に数役を背負うて大任を果す。豊次郎は生前に墓を作り、自分と多佳子との戒名を刻み、年月日を入れればよいようにしておいた。葬後、ノイローゼによる心臓発作つづく』とある。夫逝去時、多佳子は三十八歳、四人の娘(長女淳子も未だ満十七)の母であった。]
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