鮎の歌 立原道造 (Ⅰ)
これより、立原道造の散文詩(物語詩)の電子化に入る。孤独な作業であるので、原則、構成する単章ごとに公開する。注は字注を除いて原則、今までのようには附さないつもりである。
まずは「鮎の歌」から――
*
鮎の歌 立原道造
[やぶちゃん注:底本は鎌倉文庫昭和二一(一九四六)年刊「鮎の歌」の国立国会図書館近代デジタルライブラリーの画像を視認した。傍点「ヽ」は太字に代えた。「*」の箇所は底本では正三角形の頂点に小さな「*」を三つ配した記号である。表題に添えられた(底本では表題頁の裏に)
草枕結びさだめむ方知らずならはぬ野邊(のべ)のゆめのかよひ路(ぢ)
和歌は飛鳥井(藤原)雅経(あすかいまさつね 嘉応二(一一七〇)年~承久三(一二二一)年)の家集「明日香井和歌集」の巻下の「歌會・歌合歌」に出るが、本首は「新古今和歌集」にも採られてある雅経の知られた一首で(一三一五番歌)、後者では二首前の後鳥羽院の一首の前書に「水無瀨の戀十五首歌合に」とある。因みに、この歌は「古今和歌集」の「戀一」の読み人知らずの一首(五一六番歌)、
宵々(よひよひ)に枕さだめむ方もなしいかに寢し夜(よ)か夢に見えけむ
の本歌取である。「さだめむ方」とは、ある特定の方向に向けて枕を配して寝ると恋しい人と夢で逢えるとする俗信に基づく謂いである。]
鮎の歌
草まくら結びさだめむ方知らずならはぬ
野邊のゆめのかよひ路――明日香井集
Ⅰ
別れは、はなはだかなしかつた。
霧のやうな雨がこまかく梢や葉のあひだをくぐりぬけて落葉松の林の中に音もなく降りそそいでゐた。灰いろにしめつた火山砂の徑はつめたくつづいてゐた。それははるかなところのやうに、またすぐそばにあるやうに、その林の出口はあちらの方に明るんでゐた。僕たちふたりきりであつた。そして僕たちの足音と、ときをり僕たちの上に梢からしづくする雨だれの音とが途だえがちの會話を縫つた。……僕たちの言葉はちひさい環より外に出て行かなかつた。そこには去年の夏のたつたひとときの追憶がしづかに憩んでゐた。――黃金の無限にうすくひきのばされた箔のやうな、陽にあたためられた空氣のなかで、きいた小鳥のうたと、そのときもくりかへし語りあつたほのかな憧憬と郷愁のことと、僕たちを休ませてゐたやはらかな夏草と消えながらとりとめもない雲の形と。……僕たちは明るかつたその日をまたあたらしく言葉に呼んだ。雨のかすかな雫はかうばしく僕たちの身體に降りかかつた。頰も、手も、蔽はれてゐないすべての皮膚はそのつめたい水のこまかい粒を氣持よく飮んだ。
――四、五年のあとで、もしお會ひしたとき、けふのやうな氣持でお會ひすることが出來るかしら?……だがけふのやうな氣持とは、僕が知つてゐたのだらうか、少女が知つてゐたのだらうか? そのやうな少女の問ひはためらはれてやうやく脣にのぼつたのに、僕は答へもせずにぼんやりと徑をながめた。
落葉松の林の出口で僕たちはふりかへつた――とほくあちらの方に林の入口は今は僕たちの立つてゐる場所が今までさうであつたやうにほのかに明るんでゐた。僕たちは溜息をついた、そして僕たちは顏を見合はせた。しかし僕たちはそのままふたたびしつかに進んだ、もう何のおもひもとりかはすのには飽きてしまつたかのやうにすつかりだまつて――
驛に着いたとき、汽車はすぐまへに出てしまつたあとだつた。
うすら寒い待合室で、僕は立つたまま、窓の外を眺めたり木理のきれいに洗ひ出された天井を仰いだりどうしてよいのかわからなかつた。少女は固い木の椅子に腰かけてすつかり濡れとほつた裾をいぢつてゐた。
たつた一分ばかりの遲刻が僕たちの別れを三時間もあとにのばしてくれたのだ。しかしその三時間はもう僕たちにはどういふ風につかつてよいのかわからなかつた!
*
……汽車の窓で少女は不意にきめたやうに胸に懸けてゐたちひさな水晶の十字架をはづした。それはかの女の掌にほんのしばらくためらはれたあと僕の眼のまへに思ひきつてさし出された。僕はそれを掌にうけた。透きとほつた十字架には少女の胸の肌のあたたかさが不思議な血のやうにまだかよつてゐた。……
汽笛は鳥たちのする哀しい挨拶のやうに鳴つた。僕の片方の掌はその贈物を握つたまま僕は片方の手に脱いだ帽子を持つて一足さがつた。汽車は動いた。僕は一足踏み出して帽子を振つた。滑つて行く窓から顏はぢつとこちらに向けられてゐた。僕たちの視線は、はげしい痛みのやうな切なさで結びついた。それが僕たちの別れであつた。
汽車は行つてしまった! 僕は何を見送つたのか忘れたやうに、しばらく何ものこらない驛の構内にたたずんでゐた。軌條は濡れて光つてゐた、そして鼠色の空が低く眼のまへにかかつてゐた、赤帽が貨物を運んでゐた、それらすべてがあたかも僕の悲哀の標(しるし)のやうに。
僕は雨外套のポケツトに預けてゐた掌に握りしめた贈物をそつと離した。それはかすかな音といつしよにくらい奧ふかくに滑りこんだ。
――それが僕たちの別れであつた。……
[やぶちゃん注:「木理」昭和四三(一九六八)年新潮社刊「日本詩人全集」第二十八巻の「立原道造」(中村真一郎編)では「もくり」とルビを振るが、私は「きめ」と訓じたい。]