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« ブログ730000アクセス突破記念 火野葦平 皿 | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (四) »

2015/10/23

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (三)

 

         

 

 

 在るべくも無い山水を、或は純理想的な山水を造らうといふ努力は、日本の庭ではなされない。その藝術的な目的は本當の山水の人目を惹く處を忠實に模倣し、且つ眞の山水が與へる眞の印象を傳へるに在る。だからして同時に一つの繪であり、また一つの詩である。恐らくは繪の方よりも詩の方が餘計な位であらう。それは、自然の風景が、その移り變る相好で、喜悅の念或は森嚴の念を物凄い感じ或は美しい感じを、力の感念を或は平和の觀念を與ふるが如くに、山水庭園師の勞苦に成る自然の眞實な反映は、啻に美の印象を與へるばかりでは無い。精神に或る氣分を起こすに相違無いからである。古昔の偉大な山水庭園師は、卽ち始めてこの技術を日本に輸入し、後ち之を發達せしめて、殆んど玄妙とも云ふべき一つの學問となした佛敎の僧侶共は、その說をこれよりも尙ほ遠くへ進めた。彼等は道德的敎訓を庭園の設計に表現する、――貞節とか、信心とか、敬虔とか、滿足とか、平靜とか、夫婦の至福とかいふ抽象感念を、それで表現する事は可能だと思つて居た。だからして、詩人か、武士か、哲學者か、又は僧侶か、その持主の性質に應じてそれぞれ庭園を工夫した。さういふ古い庭では(悲しいかな、その技術は平凡極はまつた、西洋趣味の影響に萎んで失せ去りつゝあるが)自然の或る氣分と、人間の或る氣分の東洋的な珍稀な意想とが一緒に表現されて居たのである。

 

 自分は自分ところの庭の主たる區分が、人間のどんな感念を反映させる考であつたものか解らぬ。語つて吳れる者は一人も居ない。それを造つた者共は、魂の永遠の輪𢌞に、長(なが)の幾代の古昔に世を去つてしまつた。然し一つの自然詩として、どんな說明者も要りはせぬ。その主な區分は、南に面して、地面の前方を占めて居る。そして西に伸びて庭の北の區分の境に至り、その境とは妙な隔ての壁で半ば分たれて居る。それには苔の厚く蒸した大きな岩があり、水を容れて置く妙な恰好の種々な石鉢があり、年月の爲め綠になつた石燈籠があり、また、城の屋根の尖つた角に見るやうな――その鼻を地に着け、その尾を空に立てた、理想化した海豚の、大きな石の魚の――シヤチホコ【註】が一つある。[やぶちゃん注:同前字注。段落の途中。]

[やぶちゃん注:ここまでの内、前後と比して句点が不自然に打たれている箇所があって気になるので、読点に変えておいた。]

    註。シヤチホコのこの姿勢は、さう
    無くてはならぬことになつて居ると
    言つて宜い。それからして『頭を下
    に突いて立つ』といふ『鯱鉾立ち』
    といふ語が出來て居る。

[やぶちゃん注:同前字注。段落の途中。]古木がそれに植わつて居る微細畫式の小山があり、花の灌木が蔭を與へて居る、川士手のやうな、綠の長い傾斜地があり、小島のやうな綠の饅頭山がある。靑々した斯ういふ高みは總て皆、その表面が絹の如く滑かな、そして川の道筋の紆餘曲折を眞似て居る、淡黃色な砂の地面から高まつて居る。この砂地の處は踏んではならぬ。踏むには餘りに美し過ぎる。微小の一點の埃と雖も、その感銘を傷けることであらう。だからその體裁を缺點なしにして置くには、その地生れの經驗に富んだ庭師――愉快な老人である――の訓練の餘に成る手際を要する。が、その砂地は、正(まさ)しく小川を橫に渡る踏石のやうに、次から次と稍々不規則な距離に置いてある、斫り削りして無い平たい幾列かの石を傳つて、種々な方向に橫ぎることが出來る。全體の感銘は、或る眠くなるやうな物淋しい氣持の好い處にある、或る靜かな流れ川の岸の感銘である。

 このイリウジヨンを破るものは何一つ無い。それ程にこの庭は引込んで居て閑靜である。高い壁と塀とが街路や近處の物を遮つて居り、そして境界に近い方が高く茂つて居る、灌木と樹木が隣のカチウヤシキをその屋根すら見えぬやう隱して居る。日が射して居る、その砂地へ映る木の葉の震へる影は、やんはりと美しく、花の香は生ぬるい風の漂ひごとに、うつすらと匂うて來、それから蜂の微かな唸り聲がする。

[やぶちゃん注:「恐らくは繪の方よりも詩の方が餘計な位であう。」何だか、おかしい。原文は“ perhaps even more a poem than a picture.”である。平井呈一先生は『絵であるよりも、多分に詩の方が勝っているようだ。』と訳しておられる。失礼乍ら、『勝っているようだ』というのも生硬である。私は――「絵」と言うよりも、「詩」と言った方が一層、相応しいであろう』――としたいところである。お方の御批判を俟つ。

「古昔」老婆心乍ら、「こせき」と読む。意味は「昔・古え」と何ら変わらぬ。この訳者の好きな言い回しらしいが、気取った感じと事大主義を思わせ、正直言うと、私は好きになれない。

「その鼻を地に着け、その尾を空に立てた、理想化した海豚の、大きな石の魚の――シヤチホコ」まず、ウィキの「鯱」から引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物』で、『それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種。一字で鯱(しゃちほこ)・鯱鉾とも書かれる。江戸時代の百科事典』「和漢三才圖會」『では魚虎(しゃちほこ)と表記されている』。『大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという(鴟尾の項目も参照)。本来は、寺院堂塔内にある厨子等を飾っていたものを織田信長が安土城天主の装飾に取り入り使用したことで普及したといわれている。現在でも陶器製やセメント製のものなどが一般の住宅や寺院などで使用されることがある。(金鯱が京都の本圀寺などにある。)瓦・木・石・金属などで作られる。城の天守や主要な櫓や櫓門などにはよく、陶器製(鯱瓦)のものや、銅板張木造のものが上げられる。城郭建築に用いられている銅板張木造鯱のもので最大の現存例は松江城天守(高さ二・〇八メートル)のものといわれている』(下線やぶちゃん。まさに、このシークエンスに、時制の中で、ハーンが現に見上げているはずのものであるが、その叙述がないのは不審である。ハーンの居宅からは天守閣の鯱鉾は見えない位置にあったものか)。『粘土製の鯱瓦は、重量軽減や乾燥時のひび割れを避けるために中を空洞にして作られているため、非常に壊れやすい。棟から突起した心棒と呼ばれる棒に突き刺し、補強材を付けて固定される』。『木造の鯱は、木製の仏像を造る原理に木を組み合わせて、ある程度の形を造っておき、防水のため、外側に銅板などを貼り付けて細かい細工なども施す。粘土製と同じく心棒に差し込み補強材を付けて固定される』。『金色の鯱のことを特に金鯱という。金鯱には陶器製の鯱瓦に漆を塗り、金箔を貼り付けたものが多かった。一般の金箔押鯱瓦は、岡山城天守に創建当初載せられたものなどがある』。『特異なものでは木造の鯱に銅板の代わりに金板を貼り付けたものが上げられることがある。構造は銅板張りの木造鯱と同じ。現在の名古屋城大天守に上げられているものがそれである。同じ仕様のものは、徳川大坂城天守や江戸城天守などに使用された』とあり、石製の鯱鉾というのは寧ろ、少ないようで(ネットで見かけたものの中には藩の財政困難や戦時中の改修時のものなどと惨憺たる記載がある)、ハーンの言うような庭園に据えられたそれというのはさらに見たことが私はない。次に、ウィキの言っている寺島良安「和漢三才圖會」を電子テクスト「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚から私の注ごと引こうではないか。ウィキばかり引くのを馬鹿にする糞どもを黙らせるために、だ! 〔 〕《 》は、私が補ったことを示す。

   ※   ※   ※

しやちほこ

魚虎

イユイ フウ

 

土奴魚 鱐【音速】

【俗用鱐字未詳

 鱐乃乾魚之字】

 【俗云奢知保古】[やぶちゃん字注:以上四行は、前三行下に入る。]

 

本綱魚虎生南海中其頭如虎背皮如猬有刺着人如蛇

咬亦有變爲虎者又云大如斗身有刺如猬能化爲豪豬

此亦魚虎也

按西南海有之其大者六七尺形畧如老鰤而肥有刺

 鬐其刺利如釼其鱗長而腹下有翅身赤黒色離水則

 黃黑白斑有齒食諸魚世相傳曰鯨食鰯及小魚不食

 大魚有約束故魚虎毎在鯨口傍守之若食大魚則乍

 入口嚙斷鯨之舌根鯨至斃故鯨畏之諸魚皆然矣惟

 鱣鱘能制魚虎而已如入網則忽囓破出去故漁者取

 之者稀焉初冬有出于汀邊矣蓋以猛魚得虎名爾猶

 有蟲蠅蝎虎之名非必變爲虎者【本草有變爲虎者之有字以可考】

 鱣鱘鯉逆上龍門化竜亦然矣

城樓屋棟瓦作置龍頭魚身之形謂之魚虎【未知其據】蓋置嗤

吻於殿脊以辟火災者有所以【嗤〔蚩〕吻詳于龍下】

しやちほこ

魚虎

イユイフウ

Syati

土奴魚 鱐〔(しゆく)〕【音、速。】

【俗に鱐の字を用ふるは、未だ、詳らかならず。鱐、乃〔(すなは)〕ち、「乾魚」の字〔なり〕。】

【俗に奢知保古〔(しやちほこ)〕と云ふ。】

 

「本綱」に『魚虎、南海中に生ず。其の頭、虎のごとく、背の皮に猬〔=蝟=彙:はりねずみ〕のごとくなる刺〔(とげ)〕有りて、人に着けば、蛇の咬むがごとし。亦、變じて、虎と爲る者、有り。又、云ふ、大いさ、斗〔:柄杓〕のごとく、身に、刺、有りて、猬のごとし。能く化〔(け)〕して豪-豬(やまあらし)と爲〔(な)〕る。此れも亦、魚虎なり。』と。

按ずるに、西南海に、之れ、有り。其の大なる者、六、七尺。形、畧〔(ほぼ)〕、「老鰤〔(おいしぶり)〕」のごとくして、肥えて、刺鬐〔(とげひれ)〕有り。其の刺、利きこと、釼〔(つるぎ)〕のごとし。其の鱗、長くして、腹の下に、翅〔(はね)〕、有り。身、赤黒色、水を離〔(はな)れば〕、則ち、黃黒、白斑なり。齒、有りて、諸魚を食ふ。世に相傳へて曰く、『鯨は鰯、及び、小魚を食ふも、大魚を食はざるの約束、有り。故に、魚虎は、毎〔(つね)〕に鯨の口の傍らに在りて、之れを守る。若〔(も)〕し、大魚を食はば、則ち、乍〔(たちま)〕ち、口に入り、鯨の舌の根を嚙〔(か)み〕斷〔(た)ち〕、鯨は斃(し)するに至る。故に鯨、之れを畏る。諸魚、皆、然り。惟だ鱣〔(ふか)〕・鱘〔(かぢとをし)〕、能く、魚虎を制すのみ。如〔(も)〕し網に入らば、則ち、忽ち、囓み破りて、出で去る。故に漁者、之れを取る者、稀れなり。初冬、汀-邊〔(みぎは)〕に出づること、有り。』と。蓋し、猛魚なるを以つて、「虎」の名を得《うる》のみ。猶ほ、蟲に蠅-虎(はいとりぐも)・蝎-虎(いもり〔やもり〕)の名有るがごとし。必〔ずしも〕、變じて虎に爲る者に非ず。【「本草」〔=「本草綱目」〕に『變じて虎と爲る者、有る』と云ふの「有」の字、以つて、考ふべし。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]】鱣(ふか)・鱘(かぢとをし)・鯉(こひ)、龍門に逆(さ)か上(のぼ)りて竜に化すと云ふも亦、然り。[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]

城樓の屋-棟(やね)して、瓦に、龍頭魚身の形を作り置く。之れを魚虎(しやちほこ)と謂ふ【未だ、其の據〔(よりどころ)〕を知らず。】。蓋し、「嗤吻(しふん)」を殿脊〔(でんせき):屋形の屋根〕に置き、以つて、火災を辟〔=避〕くと云ふは、所-以(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。])有り【「蚩吻」は「龍」の下に詳らかなり。】

[やぶちゃん注:「本草綱目」の記す「魚虎」は、化生するところは架空の生物であるが、刺の描写や大きさは、カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼ属オニオコゼ Inimicus japonicus を筆頭としたカサゴ目の毒刺を有するグループを想定し得るが(私の「和漢三才圖會 第四十八 魚類 河湖有鱗魚」の「(おこじ:オコゼ)も必ず参照されたい)、後の良安の記すものは、とりあえず、クジラ目ハクジラ亜目マイルカ科シャチ属に属するシャチ(オルカ)Orcinus orca と同定してよいであろう。シャチと言えば、私は今でも鮮やかに覚えている、少年時代の漫画学習百科の「海のふしぎ」の巻に、サングラスをかけた小さなシャチが、おだやかな顔をしたクジラを襲っているイラストを……。ちょっとした参考書にも、シャチは攻撃的で、自分よりも大きなシロナガスクジラを襲ったり、凶暴なホジロザメ等と闘い、そこから「海のギャング」と呼ばれる、と書かれていたものだ。英名も Killer whale、学名の Orcinus orca とは「冥府の魔物」という意味でもある。しかし、実際には、肉食性ではあるが、他のクジラやイルカに比べ、同種間にあっては、攻撃的ではないし、多くの水族館でショーの対象となって、人間との相性も悪くない(私は芸はさせないが、子供たちと交感(セラピー)するバンクーバーのオルカが極めて自然で印象的だった)。背面黒、腹面白、両目上方に「アイパッチ」と呼ぶ白紋があるお洒落な姿、ブリーチング(海面に激しく体を打ちつけるジャンピング)やスパイ・ホッピング(頭部を海面に出して索敵・警戒するような仕草)、数十頭の集団で生活する社会性、エコロケーションによる相互連絡やチームワークによる狩猟、じゃれ合う遊戯行動等、少しばかり、ちっぽけな彼等が、人間の目に付き過ぎたせいかもしれないな。本項の叙述も殆んど、「切り裂きジャック」並みの悪行三昧だ。良安が教訓染みて終えているので、私も一つ、これで締めよう。『出るシャチはブリーチング』。

・「鱐【音、速。】」とあるが、「鱐」の音は、示した通り、「シュク」である。「速」は「ソク」で「シュク」と言う音はない。不審である。「鱐」は「ほしうお・ひもの・乾魚」或いは「魚のあぶら」を意味する。これも、良安、わざわざ、そう記しているように、何となく、不審である。

・「猬」は哺乳綱モグラ目(食虫目)ハリネズミ科 Erinaceidae のハリネズミ類。

・「豪豬」はネズミ目(齧歯目)ヤマアラシ上科ヤマアラシ科アメリカヤマアラシ科 Erethizontidaeの地上性のヤマアラシ類。

「老鰤」スズキ目アジ亜目アジ科ブリ Seriola quinqueradiata の大型個体。一応、訓読みしておいた。

・「刺鬐、有り。其の刺、利きこと、釼のごとし」はセビレの形状を言うものと考えてよい。シャチの♂、は成長するにつれて、セビレ、及び、ムナビレ(=「腹の下に翅」)が特に目立つようになる。

・「水を離れば、則ち、黄黑、白斑なり」とは、水から上がってしまうと、体色の黄身を黄色い部分や黒い部分に白い斑点が現れる、という意味であるが、これはパッチを誤解(聞き取りの誤認)したものと思われ、やはり、良安は不十分にして偽りの多い知ったか振りの半可通の話を無批判に記した可能性が高いように思われる。

・「魚虎は、毎に、鯨の口の傍らに在りて、之を守る。……」これは、実際、クジラを襲うことのあるシャチへの根拠のない妄想説のように思われるのだが、よく見ると、「口の傍らに在りて」及び「口に入り」というのは、クジラに付着しているコバンザメ類(スズキ目 Perciformes コバンザメ亜目 Echeneoidei コバンザメ科 Echeneidae )の行動を見、クジラの死亡個体の口腔内からコバンザメを発見した際に(サメやクジラの口腔内を出入りするコバンザメを私は映像で見たことがある。但し、死亡個体の口腔内に有意に彼等を発見し得るかどうかは知らないのであるが)それが「鯨の舌の根を嚙み斷」ったと誤認し、それが実際のクジラに攻撃行動をとるシャチと混同されて生じた伝説ではあるまいか。識者の意見を伺いたいものである。なお「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「舩留魚」(ふなとめ=コバンザメ)の項も参照されたい。

・「鱣」分類学上、フカは軟骨魚綱板鰓亜綱 Elasmobranchii に属するサメと同義。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱣」の項、参照。

・「鱘」カジキのこと。カジキはスズキ目メカジキ科 Xiphiidae 及びマカジキ科 Istiophoridae の二科に属する魚の総称。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鱘」の項を参照。

「蠅虎」節足動物門クモ綱クモ目ハエトリグモ科シラヒゲハエトリグモ属シラヒゲハエトリ Menemerus confuses 等に代表される(ハエトリグモ科の種和名は慣習として接尾語のクモを外す)ハエトリグモ類。「蠅狐」「蠅取蜘蛛」とも。次の「蝎虎」と同様、中国語(現在も通用)。私の数少ない大好きな「虫」の一つである。

・「蝎虎」現代中国語では蠍座を「蝎虎座」と呼び、「とかげ座」と訳している。爬虫綱有鱗目トカゲ亜目 Sauria(又は Lacertilia )のトカゲである。また、ヤモリは「壁虎」で近いし、ネット上には蝎虎を爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科 Gekkonidaeに属するヤモリ類を言うとする記載が多い。ここで良安は両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科 Salamandridaeのイモリとルビを振るが、現代中国語では「蠑螈」で、イモリを蝎虎とする記載はネット上には見当たらない。ヤモリは上位タクソンでトカゲに属し、更にイモリの形状はヤモリに似、日本の古典で、イモリとヤモリを一緒くたに語る(イモリとヤモリの双方向同一物表現)ものを、複数、見たことがある。決定打は、実は「和漢三才圖會」の卷四十五にあった。ここに良安は「蠑螈」(ゐもり)=イモリと、「守宮」(やもり)=ヤモリを、二項、続けて、記載しており、その「守宮」の項の図下の冒頭の異名の列挙に『蝘蜓(えんてい) 壁宮 壁虎 蝎虎』と記している。序でに言えば、その「守宮」の本文中で良安は、 

   *

守宮【今云屋守】蠑螈【今云井守】一類二種而所在與色異耳守宮不多淫相傳蛙黽變爲守宮

守宮(やもり)【今、屋守と云ふ。】蠑螈(いもり)【今、井守と云ふ。】一類二種にして所在と色と異なるのみ。守宮(やもり)は多淫ならず、相傳ふに、蛙-黽(あまがへる)變じて守宮と爲る、と。

   *

と記し(ちなみに「多淫ならず」は、前項の「蠑螈」(イモリ)についての記載の『性、淫らにして能く交(つる)む』とあるのを受ける)、イモリもヤモリも棲むところと色が違うだけで同じだあなと、のたもうておる訳で――ここはもう、ヤモリでキマリ!

「鱣・鱘・鯉、龍門に逆か上りて竜に化す」この「登龍門」の魚の正体については、「鱣」や「鯉」、種々の項で私の考えを語ってきた。結論だけを言う。チョウザメ目チョウザメ科Acipenseridaeのチョウザメ類が龍門を登る魚の正体である。「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鮪」の項の「王鮪」の注を参照されたい。

・「蚩吻」は「和漢三才圖會」の卷四十五の「龍」の項解説に割注を含めてたった八文字(全く以て「詳」ではない!)、以下のようにある。

   *

蚩吻好吞【殿脊之獸】

蚩吻は吞むことを好む【殿脊の獸。】。 

   *

「殿脊」は「でんせき」と読み、「屋形の屋根」の意。いやはやこれでは困るな。さて、大寺院の甍の両端にまさに鯱(しゃちほこ)のような形のものを御覧になった記憶がある方は多いだろう。これを鴟尾(しび)と呼称することも、芥川龍之介の「羅生門」でお馴染みだ。文字の意味は「鳶の尻尾」なのであるが、これは実は、「蚩尾」で、良安が判じ物のように示した通り、龍の九匹の子供の内の一匹が「蚩吻(しふん)」と称する酒飲みの龍であり、それが屋根を守ると古くから信じられたようなのである。派手に酒を吹き出して消火してくれるスプリンクラーのようなものか? いや、待てよ! 中国酒はアルコール度数が高いから逆にジャンジャン燃えるんでないの!?!

 なお、以上の注は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「鯨」の項の「魚虎」の注として作成したものを改訂増補したものである。向うの「魚虎」の記述と一部の注を以下に付しておく。

   *

魚虎〔(しやち)〕と云ふ者有り。其の齒・鰭(ひれ)、剱鉾〔(けんぼこ)〕のごとし【「有鱗魚」の下に詳し。】。數十〔(すじふ)〕、毎〔(つね)〕に、鯨の口の傍らに在りて、頰・腮〔(あぎと):あご〕を衝く。其の聲、外に聞こゆ。久しくして鯨、困迷して口を開く時、魚虎、口中に入り、其の舌を嚙み切り、根、既に喰ひ盡して出で去る。鯨は乃〔(すなは)〕ち、斃〔(し)=死〕す。之を「魚虎切り」と謂ふ。偶々、之れ、有りて、浦人〔(うらびと)〕、之れを獲る。海中の無雙の大魚、纔〔(わづ)〕かの小魚の爲に命を絕つ。 

   *

・「剱鉾」は、剣(つるぎ)や鉾(ほこ)、と読んで問題ないが、魚虎の派手さからは、京都祇園御霊会の、神渡御の際の先導を務める悪霊払いの呪具たる「剱鉾」を指している可能性もある。「剱鉾」の画像はグーグル画像検索「祇園祭 剣鉾」をリンクさせておく。

   ※   ※   ※

「鯱鉾立ち」現行では、発音転訛して「しゃっちょこ立ち」と言われることが多いか。「逆立ち」の謂いだが、例えば、シャチ(オルカ)は決してあんな恰好は自然界では、しない(日本のイルカ芸では、プールから上げさせた彼らに、ああした格好をさせて観客を喜ばせるが、如何にも愚劣である)。シャチが海生哺乳類を攻撃する場合や、集団で行う摂餌行動の際、ジャンピングをするのを見た者が「伝言ゲーム」のように歪曲されて、ああなったものか? などと、私は妄想する。]

 

Sec. 3

   No effort to create an impossible or purely ideal landscape is made in the Japanese garden. Its artistic purpose is to copy faithfully the attractions of a veritable landscape, and to convey the real impression that a real landscape communicates. It is therefore at once a picture and a poem; perhaps even more a poem than a picture. For as nature's scenery, in its varying aspects, affects us with sensations of joy or of solemnity, of grimness or of sweetness, of force or of peace, so must the true reflection of it in the labour of the landscape gardener create not merely an impression of beauty, but a mood in the soul. The grand old landscape gardeners, those Buddhist monks who first introduced the art into Japan, and subsequently developed it into an almost occult science, carried their theory yet farther than this. They held it possible to express moral lessons in the design of a garden, and abstract ideas, such as Chastity, Faith, Piety, Content, Calm, and Connubial Bliss. Therefore were gardens contrived according to the character of the owner, whether poet, warrior, philosopher, or priest. In those ancient gardens (the art, alas, is passing away under the withering influence of the utterly commonplace Western taste) there were expressed both a mood of nature and some rare Oriental conception of a mood of man.

   I do not know what human sentiment the principal division of my garden was intended to reflect; and there is none to tell me. Those by whom it was made
passed away long generations ago, in the eternal transmigration of souls. But as a poem of nature it requires no interpreter. It occupies the front portion of the grounds, facing south; and it also extends west to the verge of the northern division of the garden, from which it is partly separated by a curious screen-fence structure. There are large rocks in it, heavily mossed; and divers fantastic basins of stone for holding water; and stone lamps green with years; and a shachihoko, such as one sees at the peaked angles of castle roofs
a great stone fish, an idealised porpoise, with its nose in the ground and its tail in the air. [5] There are miniature hills, with old trees upon them; and there are long slopes of green, shadowed by flowering shrubs, like river banks; and there are green knolls like islets. All these verdant elevations rise from spaces of pale yellow sand, smooth as a surface of silk and miming the curves and meanderings of a river course. These sanded spaces are not to be trodden upon; they are much too beautiful for that. The least speck of dirt would mar their effect; and it requires the trained skill of an experienced native gardenera delightful old man he isto keep them in perfect form. But they are traversed in various directions by lines of flat
unhewn rock slabs, placed at slightly irregular distances from one another, exactly like stepping-stones across a brook. The whole effect is that of the shores of a still stream in some lovely, lonesome, drowsy place.

   There is nothing to break the illusion, so secluded the garden is. High walls and fences shut out streets and contiguous things; and the shrubs and the trees, heightening and thickening toward the boundaries, conceal from view even the roofs of the neighbouring katchiu-yashiki. Softly beautiful are the tremulous shadows of leaves on the sunned sand; and the scent of flowers comes thinly sweet with every waft of tepid air; and there is a humming of bees.

 

5
   This attitude of the shachihoko is somewhat de rigueur, whence the common expression shachihoko dai, signifying to stand on ones head.

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