生物學講話 丘淺次郎 第十五章 胎兒の發育(4) 四 手足
四 手足
腦髓は物を考へる器官であるが、幾ら物を考へてもこれを實行することが出來なかつたならば、何の役にも立たぬ。そしてこれを實行するには必ず手を要する。また手を働せてさまざまの事を實行すれば、新たな經驗の重なるに隨ひ、これを記憶し結び付けるために、腦髓も次第に發達する。即ち、腦を以て手の仕事を考へ、手によつて腦の發達を促すことになるから、その一を缺いては決して十分な働は出來ぬ。人間が他の獸類に打ち勝ち得たのは、全く腦と手との働きに因る。こゝに胎兒に於ける手の出來方の大略を述べ、序を以て足の發生をも述べる。
[手の發育]
[やぶちゃん注:キャプションの「い」から「ぬ」までは学術文庫図版のそのままを使用させて戴いた。万一、編集権を主張された場合は、文字は差し替える。]
圖に示したのは手の出來始まりからほゞその形の出來上るまでの順序を現したもので、最も小さいのは三週間、最も發育の進んだのは三カ月位の胎兒から取った手である。悉く同じ倍數に擴大してあるから、その間に大きさの增して行く具合は、圖によつて直に知ることが出來る。「い」は手が初めて胴の上部の側面に現れた所で、まだ單に低い疣の如き形のものに過ぎぬ。「ろ」ではこれが少しく大きく且高くなり、「は」では更に大きくなり、根元に少しく縊れた處が生ずる。しかしこの頃まではまだ部分の間の區別は何もない。たゞ末端の周邊に少しく扁平になつた緣が見えるだけである。更に進んで「に」になると、この扁平な緣が著しくなり、「ほ」に於てはこの部に厚い處と薄い處とが互違ひに出來る。厚い處は即ち後に指となるべき部で、その數は初めから五つある。「へ」・「と」では指が段々明になるが、まだ一本一本に離れず、蹼の如き膜で皆相連つて居る。「ち」では指は先端の方から次第に相分れれ腕も著しく長くなり、肘の曲り角も明に見える。「り」・「ぬ」は共にたゞ手頸から先だけを示したものであるが、「り」では指はまだ太く短く、「ぬ」に至つて初めて、指の端に爪が出來、指の形が完全になる。これから後は、たゞ全體が大きく生長するだけであつて、特にいふべき程の變化はない。
[やぶちゃん注:「蹼」は「みづかき(みずかき)」と訓ずる。水掻き。言わずもがな、指の間にある薄い膜のことである。]
[足の發育]
[やぶちゃん注:キャプションの「い」から「ぬ」までは学術文庫図版のそのままを使用させて戴いた。万一、編集権を主張された場合は、文字は差し替える。]
足の出來る具合は殆ど手と同じであるから、前の圖に就いて述べたことは全部の圖にも當て嵌る。たゞ手の指の代りに足の趾、肘の代りに膝といふ字を用ゐさへすれば他には何も變更する必要はない。特に出來始まりの頃には、手も足も全く同じ形で、到底これを識別することは出來ぬ。たゞ一は胴の上部に生じ、一は胴の下部に生ずるから、位置の相違によつて手であるか足であるかを知り得るのである。發生の進むに隨ひ手足の形狀の相違も少しづつ現れて來るが、それは極めて些細なことで、明に手と形が違ふやうになるのは、漸く「ち」に示す頃からである。このころの足を手に比べて見ると、趾が稍々短いこと、親趾が他の指よりも小さくないことに目が附くが、「り」・「ぬ」ではこの事が更に明になり、終に足に固有な形狀を呈するに至る。胎内に於ては一體に足の方が手よりも發育が後れる氣味で、手の指が現れる頃には足の趾はまだ何も見えず、足の趾の出來始まる頃には手の指は已に稍々長くなつて居る。隨つて生まれ出た赤子も脚は餘程短いが、出生後はその反對に足の方が盛に延びるので、成人では脚の方が腕に比して遙に大きくなる。されば腕と脚との長さの割合からいふと、胎兒は猿類と同樣であつて、人間の人間らしい脚の長い形は、出生後の生長によつて初めて完成するのである。足の裏は初め内を向いて居るが、これも出生後追々下を向くやうになる。
[やぶちゃん注:「趾」足趾(そくし)、足の指のこと。これで「あしゆび」と訓じたりもするが、ここで岡先生は最初から「ゆび」と訓じている。手の方を「指(ゆび)」、足の方を「趾(ゆび)」と区別して訓じているのである(謂わずもがなであるが、「趾」には足跡の意もある)。]
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