燕の歌 立原道造
燕の歌
春來にけらし春よ春
まだ白雪の積れども
――草枕
灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる
とほい村よ
あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き
山羊が啼いて 一日一日 過ぎてゐた
やさしい朝でいつぱいであつた――
お聞き 春の空の山なみに
お前の知らない雲が燒けてゐる 明るく そして消えながら
とほい村よ
僕はちつともかはらずに待つてゐる
あの頃も 今日も あの向うに
かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると
やがてお前の知らない夏の日がまた歸つて
僕は訪ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ
あのさびしい海を望みと夢は靑くてはてなかつたと
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻の脚注によれば、昭和一〇(一九三五)年の『四季』三月号に発表、とある。副題の如く添えられている「春來にけらし春よ春/まだ白雪の積れども/――草枕」という七五調定型詩の章句は一見、「草枕」という作品の引用のように見え、幾つかの心当たりを捜しては見たが、これはどうも、草枕、旅寝の歌、羈旅歌という意味の一般名詞であって、この章句全体が道造のオリジナルなものであるようだ。そうでないことを御存じの方は、是非、御教授を願うものである。
【二〇二六年三月二十五日削除・修正/同年四月二十一日一部再修正】国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集」の「第一卷 詩集I」(角川書店一九七一年刊)の当該詩で確認し、正字化不全であった最終行の「海」を正字に直し、同行の中村氏が「訪ねて」に附したルビ「たづ」を除去した。
なお、前の注で御教授を乞うた、副題の如く添えられている「春來にけらし春よ春/まだ白雪の積れども/――草枕」という七五調定型詩の章句に就いては、誰も教えてくれなかったが、今回、同全集同巻の本篇の編者注に(ここ)、『冒頭詩は島崎藤村の詩「草枕」第二八聯前半(『若菜集』収)で、原本では上下を揃えている。』とあることで氷解した。私は、大学一年生の頃、藤村の詩集を耽読し、近代文学演習で論文も書いて提出したが、その際に、藤村の人格的な下劣さを知り、その後、ずっと、彼を全く評価していない。以下、国立国会図書館デジタルコレクションの「若菜集」(明治三〇(一八九一)年八月春陽堂刊)の当該部を用いた(「草枕」の冒頭はここ)。
*
春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萠えて色靑き
こゝちこそすれ砂の上(へ)に
*
である。]

