燕の歌 立原道造
燕の歌
春來にけらし春よ春
まだ白雪の積れども
――草枕
灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる
とほい村よ
あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き
山羊が啼いて 一日一日 過ぎてゐた
やさしい朝でいつぱいであつた――
お聞き 春の空の山なみに
お前の知らない雲が燒けてゐる 明るく そして消えながら
とほい村よ
僕はちつともかはらずに待つてゐる
あの頃も 今日も あの向うに
かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると
やがてお前の知らない夏の日がまた歸つて
僕は訪(たづ)ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ
あのさびしい海を 望みと夢は靑くてはてなかつたと
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。中公文庫「日本の詩歌」第二十四巻の脚注によれば、昭和一〇(一九三五)年の『四季』三月号に発表、とある。副題の如く添えられている「春來にけらし春よ春/まだ白雪の積れども/――草枕」という七五調定型詩の章句は一見、「草枕」という作品の引用のように見え、幾つかの心当たりを捜しては見たが、これはどうも、草枕、旅寝の歌、羈旅歌という意味の一般名詞であって、この章句全体が道造のオリジナルなものであるようだ。そうでないことを御存じの方は、是非、御教授を願うものである。]