今朝見た塹壕にて数学を解く夢
僕は第一次世界対戦の欧州戦線の塹壕の中にいるフランス兵である。
塹壕の中には誰もいない。
いや、有刺鉄線の彼方の敵陣も光なく銃声も聴こえない。
濃い白い霧が立ち込めている。
僕は塹壕の中で古びて黄色くなったザラ紙を広げている。
それは四十年も前の大学の一般教養の「数学」の問題だ。
僕はそれを懸命に解いている。
それが解けないと大学は卒業出来ないのだ。
暁が近い――
*
僕は大学の教室で同じ数学の問題を解いている。
そこに数少なかった大学時代の友だちが三人心配して励ましに来た。
僕は黙ったまま頷いて謝意を示した。
試験が始まるらしい――
*
大学から渋谷に向う裏道を抜けて独り歩いている僕の淋しい後姿が見える。
周囲には誰もいない。
数学の試験は全く解けなかったらしい。
晩秋であった――
[やぶちゃん注:最初のシークエンスはドリュウ・ラ・ロシェルの日記中にあった『僕はヴェルダンの戦線で、降り注ぐ砲弾の中にあっても、弾帯に隠した安物の、パスカルの死についての書物を、形而上学的な努力を払って読もうとした』という一節に基づくものであろう。ここはモノクロの映画の印象が痛烈で、寧ろ、かの知られたルイス・マイルストンの「西部戦線異状なし」(1930年アメリカ)の哀しいのラストの雰囲気に酷似していた。
なお、僕は大学の一般教養の「数学」は選択していない。小学校の算数から高校の数学まで一貫して私は最も苦手とし、高三の時には人生で唯一の零点を頂戴しているくらいである。
最後のそれは言うなら、浅川マキの「グッド・バイ」が流れていそうなシーンだった。]
« 橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(20) 昭和二十(一九四五)年 一句 | トップページ | 橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(21) 昭和二十一(一九四六)年 八句 »