愛する リルケの主題によるヴアリエエシヨン 立原道造
愛する
リルケの主題によるヴアリエエシヨン
Ⅰ
さうしてどんな風に愛はおまへに來たの?
日の照るやうに 花吹雪(ふぶき)のやうに來たのかしら
祈りのやうに來たのかしら――おはなし
幸福が かがやきながら天から離れ
大きな翼をたたんで
花咲いた私の魂にかかりました
*
Ⅱ
五月の日 お前と一しよだつた
そして二人して うつとりと
煙のやうに匂ふ花の焰(ほのほ)の列を 通つて
行つたあの白いジヤスミンの四阿(あづまや)
そこから向うに 五月の花ざかりを眺め
心の奧に 望みは そんなにしづまる……
しあはせは 五月のたのしみのなかに湧(わ)き
それは大きい――それは 僕のねがひ
Ⅲ
おぼえてゐるかしら――お前に僕は林檎を持つて行つて
あげた お前の髮の毛に手をいれしつかにやさしく撫(な)でた
知つてゐるかしら――その頃は 僕はたのしかつた
お前はほんの子供だつた
心のなかに若い望みと老いたかなしみが燃えてゐた……
僕はお前の頰(ほほ)にくちづけし
お前の眼は見ひらいてよろこばしげに僕を見た
日曜日だつた とほい鐘(かね)が鳴つてゐた
光は森に滿ちてゐた
Ⅳ
僕ら二人は坐つてゐた 考へこんで
葡萄の葉のかげに お前と僕と――
頭の上に にほひのよい蔓(つる)のなかに
どこかで 蜂がぶんぶん唸(うな)つてゐた
五色(ごしき)の輪が きらりと
お前の髮に ちよつとの間やすんだ……
僕は何も言はなかつた ただ一遍(いつぺん)しづかに
「何といふうつくしい眼を
お前は持つてゐるんだらう」
*
Ⅴ
夜は 銀の火花のついた着物を着て
一摑みの夢を播(ま)き散らす
すると僕は 深い心の奧まで
うつとりと醉(よ)つたやうだ
子供らがクリスマスを見るやうに
ああそれは かがやきと金のはしばみ……
僕は見てゐる お前が五月の夜を通つて行くのを
お前が花たちにくちづけるのを
*
Ⅵ
もし しづかに鐘のやうに澄んだお前の
笑ひ聲ばかりが 僕にひびくならば
もし そのとき 子供らしい大きな驚きに
お前の眼が じつと熱つぽく 上げられるならば――
僕はお前にくちづけて お前にささやかう
僕の いちばんすばらしいおとぎ話を
*
Ⅶ
僕らは行く 秋の 色とりどりの枝の下を
別れの悲しみに 眼を赤くして……
「戀人よ さあ 私たちは花をさがしませう」
力なく僕は答へる――「あれたちは もう死んだんだよ」
僕の言葉は ただ泣くばかりだ――大氣(たいき)のなかに
子供つぽく笑ひながら もう靑白い星がゐる
濕(しめ)つた日は 死にかけて父の所へ歸つて行つた
そして鴉(からす)がとほくで叫んでゐる――
Ⅷ
人は言ふ 秋が來た 日は慌(あわただ)しく
血を流して死んで行つたと
たそがれに 花は お前の歪(ゆが)んだ帽子の上で
まだ明るく ただかすかに燃えるばかりだ
道には お前と僕のゐるばかり お前はしづかに僕に手を
おしつける それはすりきれた手袋(てぶくろ)だ
お前はたづねる 旅に行くの と――
おお僕は行くんだよ
お前は立つてゐる 僕の外套(ぐわいとう)に小さな頭を埋めて
頭には別れの言葉がいつぱいだ
帽子から赤い薔薇がうなづいてゐる 日暮れはもの憂(う)げに
ほほ笑んでゐる
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。「*」は底本では小さな「*」を正三角形の頂点に配した記号である。「*」の後は底本では行間隔がバラバラで見た目の律動が悪い。それが道造の意図であったかどうかは不明であるが、底本の単なる植字上(ページ組上)の問題であった可能性が私は高いと判断した。そこで総ての「*」の後を二行空けで統一した。大方の御批判を俟つ。「リルケ」は無論、オーストリアの詩人ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke 一八七五年~一九二六年)。
本篇は副題に「リルケの主題によるヴアリエエシヨン」とあって、底本詩集を読む限りに於いては、道造がリルケのある詩のテーマを借り、自由に換骨奪胎して創作した独自の変奏曲(Variation:ヴァリアツイオーン)、即ち、インスピレーションはリルケの詩にあるけれどもあくまでオリジナルな日本語の創作詩である、かのように読めるが、これはあくまでリルケの詩の純粋な翻訳である。朴洪仁氏の論文「立原道造と内面への眼差し――「新しいことば」を探して――」(二〇〇二年発行『比較文学・文化論集』十九号/リンク先は同論文のPDFファイル)に、『リルケの特集号として編集された『四季』の』昭和一〇(一九三五)年『六月号にリルケの「夢を冠りて、愛する』の詩篇から八篇を選んで翻訳し、「愛する――リルケの主題によるヴァリエーション」という題目で発表するなど、リルケの詩から多くのことを学んでいることは良く知られている』とあり、ここに更に注して、『持田季未子は、立原の翻訳詩がリルケの原詩の語順に忠実であることを指摘し、翻訳の経験が詩を創作する上でも生かされ、彼の創作詩と翻訳詩とは護法や構想などが類似したところが多くあると書いている』(中略)『「立原道造と伝統詩」、東大比較文学会編『比較文学研究』(第二九号) 朝日出版社、一九七六年、一〇四~一〇七頁』と記している(下線やぶちゃん)。残念なことに私は今、所持するはずのリルケの詩集を発見すること出来ないでいるが、ネットを管見してみると、例えばいってつ氏のブログ「さすらい人の徒然日記」の「立原道造の訳詩」では、二〇〇八年岩波文庫刊「立原道造・堀辰雄翻訳集―林檎みのる頃・窓」(私は未所持)の話題が挙げられ、そこに本詩篇が載っているらしいことが判り、更に、茅野蕭々訳「リルケ詩抄」(恐らく初版昭和二(一九二七)年岩波文庫発行のものかと思われる。とすれば、『四季』に道造が本詩篇を発表する八年前である)に収められている同じ詩、「愛する」の第一章の詩が掲げられている(茅野蕭々の訳文はパブリック・ドメインである。但し、引用元のそれを恣意的に正字化させた)。
それから愛はどんな風にお前に來たんだらう。
日の照るやうに、花吹雪のやうに來たか。
祈禱のやうに來たか。――お話し。
幸福が輝きながら天から離れて、
翼を疊むで大きく
私の花の咲いてる魂に懸つたのです……
ここに道造の本詩篇の「Ⅰ」を並べて掲げる。
さうしてどんな風に愛はおまへに來たの?
日の照るやうに 花吹雪(ふぶき)のやうに來たのかしら
祈りのやうに來たのかしら――おはなし
幸福が かがやきながら天から離れ
大きな翼をたたんで
花咲いた私の魂にかかりました
確かに、『リルケの「夢を冠りて、愛する』の詩篇から八篇を選ん』だ点では、オリジナリティがあるとは言えるが、かく並べてみると、これは純然たる創作ではないことがよく分かる。因みにネット上の他の情報によれば、これをさらに調べるとリルケが一八九六年に書いた“TRAUMGEKRÖNT”(「夢を冠に」「至上の夢」などと和訳されているようである)という詩集の第三パート“Lieben”(「愛すること」)という標題の長詩であることが判る。以下、上記のその原詩“Ⅰ”をドイツ語版“Lieben – Wikisource”(リンク先には全篇掲載)から引いておく。
UND wie mag die Liebe dir
kommen sein?
Kam sie wie ein Sonnen, ein
Blütenschnein,
kam sie wie ein Beten? –
Erzähle:
Ein Glück löste leuchtend aus
Himmeln sich los
und hing mit gefalteten
Schwingen groß
an meiner blühenden Seele ...
なお、本篇を以って昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」の末尾の四篇の抄出詞章を除いた、ほぼ総てに相当する詩篇の電子化を終えたことになる。]