民謠 立原道造
民謠
――エリザのために――
絃(いと)は張られてゐるが もう
誰もがそれから調べを引き出さない
指を觸れると 老いたかなしみが
しづかに歸つて來た……小さな歌の器(うつは)
或る日 甘い歌がやどつたその思ひ出に
人はときをりこれを手にとりあげる
弓が誘ふかろい響――それは奏(かな)でた
(おお ながいとほいながれるとき)
――昔むかし野ばらが咲いてゐた
野鳩が啼(な)いてゐた……あの頃……
さうしてその歌が人の心にやすむと
時あつて やさしい調べが眼をさます
指を組みあはす 古びた唄のなかに
――水車よ 小川よ おまへは美しかつた
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。「エリザ」底本の中村氏の注によれば、これは「SONATINE No.1」冒頭の「はじめてのものに」の「エリーザベト」で中村氏が注している『ドイツの作家『シュトルム』『の小説「みずうみ」の女主人公の名、めぐりあった少女をなぞらえたもの』の『エリザベートか?』と注する。]