風のうたつた歌 立原道造
風のうたつた歌
その一
最初の雪の日に私はちひさい火のやうに
ものの上にやんでゐた つぶやいて
それから私は出て行つた
眼をとぢて私を避けてしまふ木の葉
指の間から滑(すべ)り落ちて見えなくなる木の葉――
その頃から 私がわからないのだ
笑はうとしたら 身體はねぢれたまま
あわただしいかなしい聲で呼んでゐる
その二
人はみな小さな獸たちだ
心配さうに その窓や往來(らい)に善良な蠟燭(らふそく)をともし
風吹くな と祈つてゐる 私は額を垂れて聞いて行く
しかし私は不意に叫ぶ 諦(あきら)める
私は怒つてゐる 汚れて たつたひとりぼつちなのだ 私は駈ける
私はやたらに駈ける 憎んでゐない
その三
一せいに聲を揃へた林の上に
私はひとり大きな聲でうたつてゐる
すると枯木がついて來る
私はうたつてゐる 夏や秋を
枯木が答へる 私はまたうたふ……
樫のヴアイオリンは調子はづれだ
やがて長い沈默が私に深くはひつて來る
うつとりとして思ひ出す
音樂のなかの日沒(にちぼつ) 過ぎた一日
私は支へられてしづかに歩み出す
その四
煙は白の上に 通つて行つた
もう形はなかつた
野づらは騷がなくなつた
わたしは窓のなかの幼兒と
溢れて來る神を見まもつてゐる
その五
私は見た 或る家の内側を
父と母と子の夜であつた 花の内部のやうにわづかなあかりに
暖められかがやいてゐた
靜かな話らしかつたが 私の耳は叫ぶ私の声をしか聞かなかつた
ほほ笑んだ顏であつた 眠つてゐる顏であつた
私はそのとき 直にかなしくなり
窓の障子(しやうじ)を鳴らして過ぎた
その六
洋燈(ランプ)に寄り添うても 洋燈は見えない
夜つぴて 惡い心を呼んで吠(ほ)え 私の傷は怒りつづける
みめよい梢に手をさし出すと 瘦せた枝は一聲叫んで
崩れてしまつた
その七
宿なしのあわて者の雁(かり)がうたふには
池に身を投げ 氷に嘴(くちばし)を折つてしまつた
春が來たなら どうしよう
宿なしのあわて者の雁は朝早く煤(すす)けた入江で泣いてゐた
その八
雪に刻まれた月光は 言葉のない
別れの歌をすぢつけた
急いで立ち去る雲のかげに
曙(あけぼの)私に とざされた調べがうたふ
耳をとめてはならないやうに
林のなかに 枯木たちが
綠を流せ 綠を流せ
その九
叫びつづけ ふと疲れたとき
私の瞼(まぶた)に見えない文字を彫(ほ)つてゐる薄い陽(ひ)ざし
埃(ほこり)がもつれ かげが遊んでゐる
私はそれを見たがまたただ一散に駈けてしまつた――
[やぶちゃん注:底本は昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いた。九章構成の「風はあらしを夢みはじめた」という副題を持つ「風のうたつた歌」とは全くの同題異篇であり、前に出した三章構成の「風のうたつた歌」ともやはり異篇ではあるが、詩想上は後者との親和性がすこぶる強く感じられる。底本でも三章構成の「風のうたつた歌」の次にこちらの九章構成の「風のうたつた歌」が配されてある。]
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