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2015/10/31

橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(23) 昭和二十三(一九四八)年 百十七句

 

 昭和二十三(一九四八)年

 

蟻地獄かなしき刻の過ぎてゆく

 

今日生きてむさぼりゐるや蟻地獄

 

夕焼や葬列なればとどまらず 

 

いなづまが樹々に入らんと犇けり 

 

人の死の如く蟷螂膝を折る 

 

熱のあと鶏頭がたつ悲しけれ 

 

汽罐車が熱き湯もらす雪の上 

 

猫が来て氷を舐りはじめたり 

 

燈を消せば地虫の闇と一色に 

 

砂丘ゆく蝶に光がぎつしりと 

 

罌粟畑嬰粟の散ることはじまれり 

 

月に向ひ水を走りて道下る 

 

いちほやく桜紅葉を沼うつす 

 

炎天に老婆ものいふか口うごく

[やぶちゃん注:面白いし、一種、鬼趣の佳句ではあるが、明らかに先行する盟友西東三鬼の名吟、 

 綠蔭に三人の老婆わらへりき 

と、 

 廣島や卵食ふ時口ひらく 

のハイブリッドなインスパイアである。] 

 

幸福な日には忘れて蟻地獄 

 

断崖を攀ぢ蟷螂は死に逢へり 

 

蟷螂の骸をけば水流れ去る 

 

冬空のけぶり一筋消すよしなし 

 

月が照る雪を真近に熱の夜 

 

凩やをんな近づき来て若し 

 

月光へくらがりの雪ふみていづ 

 

雪の日の厨を汚す犬叱る 

 

墓地いでて冬の町ゆく歩みなる 

 

月入りしあとの海にて河豚の宿 

 

船がゐて雪岳よごすとめどなき 

 

瓦斯槽(ガスタンク)雪ふる町に入りてゆく 

 

駅の燈に入るや雪来し歩みもて 

 

寒の星落ちて情死をいそぎけり 

 

寒卵一つ得しのみ寒つゞく 

 

流水に遅れて落花いそぎけり 

 

情死の上寒の日輪のぼりたり 

 

足袋はかず一日を過す蝸牛 

 

ほとゝぎす夏も咳して臥しゐたり 

 

喪の顔を向けゐる卯の花腐しかな 

 

夕焼に羽蟻飛翔すついにひとり 

[やぶちゃん注:「ついに」はママ。] 

 

秋螢ゆく茫々と沼の上 

 

野分の戸汽笛がうつてすぐ消えし 

 

鳰波より先きに暮れゆける 

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「鳰」は「かいつぶり」と詠んでいる。無論、鳥綱カイツブリ目カイツブリ科カイツブリTachybaptus ruficollis 、古名「鳰(にお)」のことである。] 

 

けふ張りし障子に山の闇ふるゝ 

 

鵙叫び立つや雨傘墓にふれ 

 

秋の蝶とまれば何に眼をうつす 

 

栗一つ訣れしあとも握りもつ

[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。この年の一月一日に同誌は創刊された(師山口誓子主宰)。] 

 

泥の手を垂らして立つや虹の前

 

うらむけてトロッコ月に車輪四つ 

 

雨の中砧の音が夜へつづく 

 

うしろより砧追ひ来る夜の坂 

 

砧はたとやみたる方へ心ゆく 

 

ものの影露の夜にして濃かりけり 

 

十三夜約せしことも病みて過ぐ 

 

熊ン蜂怒りぶつかる樹々冷か 

 

鶏頭やひと通るとき獣めき 

 

洗髪いなづまきては遊びけり 

 

句を作り夜のいなづまと遊びけり 

 

曼珠沙華炎ゆるときゝ消ゆるときゝ 

 

百舌声を断ては心の行方なし

 

面照らす少女に逢へり十三夜 

 

桜紅葉ふむや絢爛たる孤独 

 

凍る沼日々鮮らしき芥を捨て 

 

提燈がときに氷れる沼照らす 

 

沼凍り木魂が夜も遊びをる 

 

犬の声樹々にぶつかり沼凍る 

 

河豚の宿海にむかへば燈火なく 

 

もののみな筑紫の夜やふぐと汁

[やぶちゃん注:「ふぐと汁」はママ。]

 

熱の夜のわが身まわりの雪明り 

 

春月や地上に猫が猫と会ふ 

 

雛の家山にけものゝ夜が来て 

 

雛の家崖は雪ふる業(わざ)やめず 

 

狐暗くこの家の夜を雛います 

 

歩みつゞけ春月の暈(わ)を歩み出ず 

 

凍蝶の辺に人の身の歓喜あり 

 

風邪の身を春の日向に捨てし如 

 

用ありて来し高層の冬の河 

 

蝙蝠のうつうつ醒むる脂粉とく 

 

蝙蝠に行手よぎらる何の予感 

 

地を翔けり蝙蝠夕焼けより遮る 

 

末黒野の粗(あら)草その辺より青む 

 

花過ぎし夜雨音なき沼の方 

 

夕ながきこと切なけれ鹿の斑 

 

松蟬の声の端々かさね来る

[やぶちゃん注:「松蟬」既注。] 

 

蕗切りしあと惨憺と蕗畑出る 

 

こんこんと蟻湧きいづる風大地 

 

青梅に想ひをよせぬ青は佳(よ)し 

 

黴の家没日の刻の真紅にて 

 

黴の中ものも思はず健やかに 

 

夕焼けて牧師の耳朶の女めく 

 

燿ける蜥蜴見てゐて風邪長き

[やぶちゃん注:「燿ける」は「かがやける」と読む。「耀」「輝」に同じであるが、多佳子は実に蜥蜴の妖なる色彩に相応しい字を選んでおり、それが風邪のぼぅっとした意識とこれまたマッチしている。] 

 

黴の中童女片言くりかえす 

 

汐汲みに夏濤頭よりのしかかる 

 

髪切虫押しつけゐれば啼きつゞけ 

 

汗の身に仏体の冷え恐ろしき 

 

僧房に冷水湛え手を冷す 

 

茱萸嚙んではや夏瘦の避け難く 

 

淋しきときしきりに来るや祭笛 

 

花莨夜宮囃が夕焼くる

[やぶちゃん注:「花莨」は「はなたばこ」で、ナス目ナス科タバコ属シュッコンタバコ(宿根煙草) Nicotiana alata の別名。ウィキの「シュッコンタバコ」 によれば、『主として花壇用の草花として栽培され』、『ブラジル原産。通常越冬しない一年草とされているが、強い霜の降りない地方では、越冬して灌木状になることもある。茎は直立して高さ』三〇~九〇センチメートル程『になり、茎は角張っていて稜に翼があり、種名のalataは「翼のある」という意味である。葉は下の方のものは大きく、楕円形で、長さ』二十センチメートルにも『なることもある。上部の葉は紡錘形で互生する。花は』七月から十月にかけて開花し、直径二~五センチメートルほどの漏斗形で、先端は星状に五裂する。一つの花の寿命は二日ほどであるが、『総状花序を作って次々に開花する。花色には紅、赤、紫、白、黄色などがあり、香りがあり、とくに夕方から宵にかけて強く香る』とある。多佳子好みの花とみた。実際にタバコの原料ともなるようである。]

 

羅衣の紅伽藍の端に童女ゐて 

 

月光や古衣すでに匂ひなし 

 

鱗雲の戸をいづ墓地を行先きに 

 

墓地に立つ野分の落葉美しと 

 

秋の沼むかへば北の星ばかり 

 

ぬぎし衣に猫うづくまる野分の夜 

 

つと燈り野分の瑠璃に貌うつる 

 

十三夜仏眼あまたくらがりに

[やぶちゃん注:同年年譜の九月の条に、『津田清子、田中季子』、堀内『薫の四人で、十三夜の月を唐招提寺に見る。無人、無燈、一点の雲もない明月。月に照らし出された金堂の美しさ、多佳子は月明の円柱の袖を手で撫でて愛惜』し、『円柱にかがんでもたれ、静かに月を仰いで、「かねがね来たいと思っていて、実現しなかったが、とうとう来ることが出来ました。」と一人ごとのように言い、泣いているようで』あったと記す。] 

 

月明に金堂の闇くもりけり 

 

こほろぎが一跳びに失せ女身ひとつ 

 

冬濤を見し絶壁へひきかへさず 

 

冬濤を見て絶壁を立ち去れり 

 

寒き崖ちかづく蝶を吹きおとす

[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。『七曜』は『天狼』の僚誌として同誌と全く同日の、この年の一月一日に創刊され、『天狼』系の俳誌として当初は橋本多佳子と榎本冬一郎とが指導していたが、二年後の昭和二五(一九五〇)年一月に多佳子の主宰となった(多佳子没年の昭和三八(一九六二)年に師山口誓子主宰となり、今年、二〇一五年三月の第八百号を以って終刊した。因みに『天狼』の方は一九九四年三月の誓子死去後に六月号(通巻五百四十八号)を出して終刊している)。] 

 

鶏頭の炎え盡さむと霜の中 

 

赤子泣き運河の中も雪が降る 

 

熱の夜の障子鮮らしきこと切なし 

 

夜の雪よぎりしものを猫と見る 

 

七面鳥凩に挑み雌(め)にいどむ

[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]

 

菜殻火か野に炎ゆる火に近づかむ 

 

松あらし夜へつゞくや衣更 

 

燦々と日に蜂飛ぶや人の死後 

 

鮒を追ひ吾帰るとき帰り来ず 

 

薄翅かげろふ墜ちて活字に透きとほり 

 

[やぶちゃん注:「薄翅かげろふ」は、

有翅亜綱新翅下綱内翅上目アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidaeに属するウスバカゲロウ類を総称する

もので、このウスバカゲロウの仲間は完全変態で、種によってはお馴染みのアリジゴクを経るから、本句群の冒頭に「蟻地獄」の句も出はするのでそれとまず見てもよいのであるが、ここで多佳子が見たのは、全く異なる種である真のカゲロウ類(後述)である可能性も捨てきれないと思う。それは彼女の住んでいるのが奈良市あやめ池で水辺が近く、これはその自邸での嘱目吟であるからである。まずはウスバカゲロウとしてウスバカゲロウ科の中の一種ウスバカゲロウ Hagenomyia micans を例に挙げておくと、羽根が薄く広く、また弱々しく見え、真正のカゲロウ類と非常によく似ている(というよりも昆虫フリークでもない限りはこれらを多くの一般人は区別していない)。ところが、そのそっくりに見える真正のカゲロウ類は、

有翅亜綱旧翅下綱 Ephemeropteroidea 上目蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera

に属する、

ヒラタカゲロウ亜目 Schistonota

マダラカゲロウ亜目 Pannota

であって、これらの仲間は総ての幼虫が水棲生活をし、しかも不完全変態(幼虫期は「ニンフ」(nymph)と呼んで完全変態の幼虫「ラーヴァ」(larva)と区別する)である(ここまでは主にウィキの「ウスバカゲロウ」「カゲロウ」に拠った)。私の偏愛する梶井基次郎の「櫻の樹の下には」の一節に、

   *

 二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を傳ひ歩きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて來て、溪の空をめがけて舞ひ上がつてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。暫く歩いてゐると、俺は變なものに出喰はした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を殘してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何萬匹とも數の知れない、薄羽かげらふの屍體だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、産卵を終つた彼等の墓場だつたのだ。

 俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな氣がした。墓場を發いて屍體を嗜む變質者のやうな慘忍なよろこびを俺は味はつた。

   *

と出るが、これも実はウスバカゲロウは誤りで真のカゲロウ類であることが、梶井の描写そのものによってお分かり戴けるものと思う。なお、さらに面倒なことに、他にもやはり非常によく似た形態のものに、卵を「ウドンゲ(憂曇華/優曇華)の花」と呼ぶ、

新翅下綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae

もいるのであるが、これもまたカゲロウ類とは異なり、完全変態で幼虫の形態はアリジゴクに似ている。こちらについてはウィキの「クサカゲロウ」などを参照されたい。

 以上、『現代俳句』掲載分。多佳子、四十九歳。]

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