橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(33) 昭和三十三(一九五八)年 三十八句
昭和三十三(一九五八)年
春日燦潮垂る沼井(しゐ)の底おもへ
[やぶちゃん注:「沼井」は調べてみると、防府市教育委員会提供の「防府市歴史用語集」に「沼井(ぬい)」とあり、『塩分のついた砂を集めて、より塩分の濃い塩水をつくるための装置です。沼井に塩分のついた砂を入れ、上から海水をかけて、染み出た塩水を釜屋[かまや]に運びます。染み出た塩水は海水よりも塩分が濃いので、効率よく塩がつくれます』とあった。所謂、上浜式塩田の鹹水(かんすい:製塩過程で濃縮した食塩濃度の高い水のこと)抽出装置である。幾つか調べて見たが「しい」の読みは出てこない。不審。少なくとも以下これらの塩田の嘱目吟は、句集「命終」の「昭和三十二年 足摺岬・新居浜 他」に出る、前年の「新居浜」での体験に基づくものと思われる。]
あやまちて穂絮下りくる塩田に
遠夕焼塩屋(しほや)塩水母液たぎち
[やぶちゃん注:「とほ(とお)ゆふやけ(ゆうやけ)/しほや(しおや)しほみづ(しおみず)/ぼえきたぎち」と読んでおく。]
千鳥ばらまく波来ては波退きては
会ふ近し海蔽ひくる渡り鳥
犬の前肢雪掘れば赤土赤土は固し
白鳥の胸下の湖昏れてゐる
友の鳥飛び白鳥の胸下昏れ
万燈群一裸火(はだかび)のへろへろと
下半身ゴム衣海苔採女(め)の授乳
[やぶちゃん注:「かはんしん/ゴムいのりとり/めのじゆにゆう(じゅにゅう)」と読んでおく。「海苔採女」は明らかに造語で一語であるが、「め」は底本では「女」の右上方で、「女」一字のルビなのかそれとも「採女」の二字分で「め」一音なのか分からぬ。「ゴムいのりめの/じゆにゆう」では「のりめ」の響きが悪く、何だか後の「授乳」の座りもひどく悪い気がする。大方の御批判を俟つものではある。]
人形師ゐて人形の菊匂ふ
香が立ち籠り菊人形完成す
声出さぬ菊人形に強燭向く
[やぶちゃん注:「強燭」読み不詳。強いライトの謂いと思われるが、「がうしよく(ごうしょく)」は如何にも厭な響きではある。但し、あからさまに照らし出してしまうそれを、かくも不快な響きで狙った可能性もなくはなかろう。暫く、それで読んでおく。調べてみると句では弟子の津田清子の句に、「こほろぎに違和の強燭深夜作業」という句があり、用例は他の見知らぬ方の俳句にも複数あって、それらは特殊な読みを附していないから、やはり「ごうしょく」と読んでいるらしい。しかしまっこと、生理的に厭な響きだ――]
塵なきに掃く菊園に雇はれて
晴天に出る菊人形見終はりて
朝倉路生さん一周忌
路生(みちお)亡き淡路に渡る林檎の荷と
[やぶちゃん注:「朝倉路生」淡路島が詠み込まれていること、朝倉という姓から、句集「海彦」の「淡路島」に出る、『七曜』同人朝倉十艸の本名かと思われる。]
青く近くなり来る淡路路生亡し
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
塩凝れる灼土大切沼井に溜め
塩浜子駆ける春日入らざるうち
藤つつじ尾羽しつまらぬ庭雀
うつうつと春蟬松の一島嶼
[やぶちゃん注:ロケーション不詳。]
菖蒲園花の平らを暮れ鴉
荒地野菊折りゆく幸福溜めてゆく
百合双花盛り見つめて汚れ初む
ベンチ寝の脛に梅雨泥かつと照り
愛は凝視荒地野菊(あれちのぎく)のうすむらさき
蜂一生骸に黄の縞黒の縞
石窟仏白露世界へ蜂放つ
石窟仏露翅の蜂の飛び帰る
[やぶちゃん注:この二句は句集「命終」の「昭和三十三年」の「春日奥山」と同じ、春日山石窟仏(かすがやませっくつぶつ)での嘱目吟であろう。]
鵙高音愛厚くして生(せい)伸す
鵙高音一流水に径断たれ
鹿の毛も椎葉も雨に梳き梳かれ
削げ屑を隠さず朝寒む雀にて
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]
浜引の鍬にぎやかに土をどり
[やぶちゃん注:「浜引」「はまびき」で、入浜式塩田で使用する塩田の地場の塩を掻き混ぜるための道具。防府市教育委員会提供の「防府歴史用語辞典」の「浜引」に『竹の歯がついた浜引[はまびき]で塩田の地場をかきまぜます。さらに、根太[ねだ]と呼ばれた太い木を引き回して、砂をより細かくくだき全体をならしました。太陽熱や風があたる部分がふえることで、砂が乾くのを助け、塩がつきやすくなります』とある。]
かりかりと灼くる春日塩田ふむ
浜子駈けすなはち塩田筋目つく
[やぶちゃん注:「浜子」は「はまこ」で、子供ではなく、塩田で働く労働者を指す。前記「防府歴史用語辞典」によれば、一つの浜には四人の『浜子がおり、取りまとめ役の庄屋[しょうや]・水門を開けて海水の出し入れをした上脇[じょうわき]・道具などの管理をした三番[さんばん]・炊事係の炊き[かしき]がいました』とある。]
浜引子おのが足跡おのれ消し
鹸水溝蝌蚪生き蜷の途曲る
[やぶちゃん注:「蝌蚪」「かと」で、蛙の子のおたまじゃくし、「蜷」はこの場合は腹足類(巻貝)の総称。強烈な塩分濃度の「鹹水溝」(かんすいこう)にも適応する生物がいることへの多佳子の少女のような驚嘆と感慨がある。「途曲る」の力学に、巻貝のしたたかにして確かな、個性的な力強さが良く示されていると貝類フリークの私などは感心するのである。
以上、『俳句研究』掲載分。]
雪渓に無口徹(とほ)して人を恋ふ
[やぶちゃん注:これは底本年譜の昭和三三(一九五八)年七月の条に(十八日以降)、『「流域」の松山利彦に誘われて乗鞍嶽に登る。誓子、利彦ら同行。高山で一泊し、翌朝三千米級の乗鞍三兆近くまで到着。借用の登山服、登山靴で、生まれて初めて雪渓を踏み感激する。乗鞍での二日目に台風に遭う。道路決壊し、下山路は途絶。下山不能。山上の山小屋で缶づめとなる。心臓発作おこる。新聞に「病人一人出る。」と出たが、多佳子のことであった。三日後、平湯山嶽部員やリーダーの松井利彦の力により、ザイルを伝い、六里』(凡そ二十四キロメートル弱)『の道を歩いて平湯に下りる。美濃白鳥、郡上八幡を経て岐阜に出』た、とある映画のような経験の中の一句である。「命終」の「昭和三十三年 乗鞍嶽行」の句群も参照されたい。
以上の一句は『俳句』掲載分。多佳子、五十九歳。]
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