橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(30) 昭和三十(一九五五)年 百九句
昭和三十(一九五五)年
黄落を投げうつ如く惜しむが如く
枯青野たぎつ瀬碧瀬水脈走り
寒き宙羽音かさねて鳩の飛翔
寒落暉鳩舎扉開けて鳩を待つ
フィルム負ひし鳩雪嶺の何処か越ゆ
旅鏡ひらく黄落この中に
冬虹の大根や沖に沖ありて
[やぶちゃん注:ロケーション不詳。]
毛糸編む人の孤独に入りゆかず
凍らむと沼朝焼けて夕焼けて
木枯や涙は鹹(しほ)とすぐ乾き
万燈守行きて一燈づつ増やす
人の中万燈の中歩をかへす
万燈籠消ゆるを消ゆるまゝ継がず
風邪の燈の虹彩昼寝て夜覚めて
蟇に燈を洩らして母の物書く音
[やぶちゃん注:念のために注しておくが、多佳子の実母は既に昭和一七(一九四二)年十一月七日に享年八十二で亡くなっている。この母は多佳子自身であろう。因みに、この年の六月に四女美代子が結婚、あやめ池の家に多佳子と夫婦で同居を始めているが、季から見て、この句はそれよりも前である。]
狐の鼻いづこを嗅ぐも凍つる檻
[やぶちゃん注:個人的に好きな句である。]
沼波だちて鳰の中知らぬ鴨
蠅化粧(けは)ひあかざるを後(うしろ)より打つ
[やぶちゃん注:個人的に好きな句である。]
海女うかぶ刈りし若布に身を纏(ま)かれ
[やぶちゃん注:次句とともに、底本年譜に、この年の『春、清子同伴にて、志摩に二日間の旅を楽しむ』とある、その折りの嘱目吟か。]
顔老いて春の潮より海女うかぶ
恋敵をいぢめにいぢめ猫かへる
追へば油虫わが句帖の上通る
昏れて野風宮址の石の熱(ほと)びさます
[やぶちゃん注:この句、句集「海彦」の「発掘」の同吟と思われ、ロケーションは平城京跡と思われる。さすれば、「くれてのかぜ/ぐうしのいしの/ほとびさます」と読める。大方の御批判を俟つ。]
手をつきて我遊びをり緑大地
たどりつく寺高草は露乾き
匂ひ失せしをとめ滝よりつれもどる
[やぶちゃん注:底本年譜に『八月二十九日、俳句が出来ないので、津田清子に案内され、赤目の滝に吟行。滝本屋に一泊』とある折りの吟。『句集「海彦」赤目溪』を参照されたい。今まで注してこなかったが、津田清子(きよこ 大正九(一九二〇)年~平成二七(二〇一五)年)は「七曜」同人。ウィキの「津田清子」によれば、『奈良県生。奈良女子師範(現在の奈良教育大学)卒。卒業後は小学校教師として勤務。当初は前川佐美雄のもとで短歌を学んでいたが』、昭和二三(一九四八)年に多佳子指導(二年後に主宰となる)の『七曜』の『句会に出席したことをきっかけに俳句に転向。多佳子に師事し「七曜」同人となるとともに、多佳子の師である山口誓子にも師事し』、誓子の『天狼』にも投句を始め、昭和二六(一九五一)年には天狼賞を受賞、四年後の一九五五年に『天狼』同人となっている。多佳子逝去(昭和三八(一九六三)年五月二十九日)後の昭和四六(一九七一)年には『沙羅』を創刊し主宰となる。昭和六一(一九八六)年に『同誌を「圭」に改称』(二〇一二年八月号で終刊)、平成一二(二〇〇〇)年に第六句集『無方』で第三十四回蛇笏賞を受賞している。『代表句に「虹二重神も恋愛したまへり」など。多佳子の激しい叙情性と誓子の知的構成とを受け継ぎ、しばしば「硬質の叙情」と評される』とある。この時、清子は既に満三十五歳であるが、「をとめ」が清子を指すようには読める。]
嫗炊く茶屋つらぬきて滝の白
女リヤカーにまぐろの尾をどらせ
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
風邪の眼に数へて十二昂星
[やぶちゃん注:「昴星」「すばるぼし」。おうし座の散開星団プレアデス星団。おうし座は冬の星座の中でも西側に位置し、その目印の一つであるアルデバランの西に星が多く集まって見えるのが「スバル」である。ウィキの「プレアデス星団」によれば、『通常の視力の人が好条件のもとで』、六 ~七個の『星を数えることができる。大変視力が鋭い人が』二十五個もの『星を肉眼で見たとする記録が残されている』とあるから、五十六歳の多佳子、相当に目が良かった。]
人の顔近し老い見きおでんのゆげ
おでんのゆげゆらぎて虚ろ抱きけり
赤蠟をともし聖菓に焰乗る
少年のうつ鍬あそぶ大白藤
寒き眼(まなこ)吉祥天女にまたゝきて
万燈籠かりそめの歩を揃へざる
万燈籠急(せ)けば波うち佇てば瞬き
万燈をかへり見るすでに過去の燈多し
万燈を継ぐ油(ゆ)を継ぐ火を老い手にす
万燈守老いの背骨の凍(し)み如何なる
消ゆるとき遠し万燈の万のまたゝき
人の貌見むに万燈の暗さよ
侵されず風邪の衾を盾として
母子の衾界わかたず二月尽
春が来る嵐や生きて何を恋ふ
波津女夫人に
ならび見る冬虹の根の滾々と
[やぶちゃん注:「波津女夫人」山口誓子の妻。本名は梅子。昭和一三(一九三八)年の結婚後に本格的に句作を始め、『馬酔木』同人から夫の主宰する『天狼』同人となった。夫より五つ下であるから、当時、四十九歳。多佳子より七つ年下である。]
憩ふ海女身にかげろふのもゆる知らず
一本の綱若布の底の妻繫ぐ
[やぶちゃん注:正字「繫」はママ。]
若布刈舟を濡れ妻ぐるみ陸へ上ぐ
[やぶちゃん注:前記の春の志摩行の嘱目吟。]
曇天や辛夷の匂ひ地に下る
曇天に辛夷傷つき花ふれあひ
折れば曇る辛夷や母が饐膚(すえはだ)恋ひ
[やぶちゃん注:この「母」は亡き母の追懐であろう。]
曇天の辛夷萎えゆく万花もて
辛夷万来父しらず母のこゑわすれ
[やぶちゃん注:多佳子の父山谷雄司(やまたにゆうじ)は多佳子十歳の明治四二(一九〇九)年七月四日に亡くなっている。]
星合や老婦の楽寝五尺足らず
[やぶちゃん注:「星合」は「ほしあひ(ほしあい)」で陰暦七月七日の夜の牽牛星と織女星の二つの星が出逢う七夕のこと。秋の季語。「楽寝」は「らくね」でのんびりのびのびとと気楽に寝ること。「五尺」は一・五一五メートル。]
麦刈るや泣くみどり児をすぐ聴きわけ
わが殺せしげじげじおけば鶏が来る
碧揚羽刻(とき)だだ洩れに吾あるとき
[やぶちゃん注:「だだ洩れ」名詞・形容動詞「だだ漏れ」で「だだ」は程度の並外れて甚だしい意を添える接頭語、もうやたらめったら漏れ出てしまうこと、際限なく流れ去ってしまうことを指す。]
百合香吐く夜の崖下を通る者
鵜舟追ふわが舸子の意のはげしさ
[やぶちゃん注:「舸子」は「かこ」で楫取り。船を操る人。水主(かこ)。]
漁りの鵜の修羅篝高照らす
[やぶちゃん注:「すなどりの/うのしゆら(しゅら)かがり/たかてらす」であろう。]
鵜の篝どつと近づき鵜ごゑもす
立てば炎天野よりも低く宮地掘る
[やぶちゃん注:以下、先に注した平城京発掘の嘱目吟であろう。]
風化刻々発掘宮址に野のぎす鳴く
照りかへす巻尺礎石の位置のずれ
木菟まろ眼いま覚めきつて月冴えて
何見るも顔より向けて月の木菟
月光へ一と羽ばたきに木菟去りぬ
[やぶちゃん注:三句ともに赤目の滝での嘱目吟。年譜の昭和三〇(一九五五)年の条に、『八月二十九日、俳句が出来ないので、津田清子に案内され、赤目の滝に吟行。滝本屋に一泊。宿の窓にみみずくが止る。幼鳥のときに拾われ、飼われて育ち、成鳥となり山に還されたもの。しかし、腹が空くと、餌をもらいに滝本屋にもどってくる』とある。]
ゴム長にて秋刀魚の藍のなだれ堰く
[やぶちゃん注:以下、年譜に『秋、焼津漁港に行き、「七曜」の武政洋人、田中白夜らの案内で競りを見』た嘱目吟。]
藍ぶちまかれ一つ一つが秋刀魚
[やぶちゃん注:「秋刀魚」は異例として「しうたうぎよ(しゅうとうぎょ)」と音読みしているか。「あきさんま」と無理読みしても鮮烈でなければならない韻律が腰砕けとなる。]
秋刀魚競るにまかす両手無為の海人
陸も野分魚臭うばはれ海人立てり
瑞の秋刀魚なだれなだれて値をくづす
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「瑞」は「みづ(みず)」で、みずみずしいこと。]
藍の秋刀魚選つて若しや唄なくとも
秋刀魚選りゴム長の腰おろし難し
朝日赫々老醜がまぐろ競り落す
赤シャツ見せ老婆の衣紋(えもん)手に落穂
をとめ廿才(はたち)秋刀魚を選りて瞼重(お)も
風蝶も旅人も貧(ひん)秋刀魚競り場
[やぶちゃん注:「風蝶」は当初、秋の風に翻弄される弱々しい蝶のことと読んでいたが、そうした「風蝶」という語は一般的でないことが判った。さればこれは所謂「クレオメ」、フウチョウソウ目フウチョウソウ科フウチョウソウ属セイヨウフウチョウソウ(西洋風蝶艸)Cleome
hassleriana のことであろうか? 一般には初夏に独特の花を咲かせるが、ここは既に開花も終り、だから「貧」なのか? ただ、ガーデニング・サイトを見ると九月下旬まで開花するものもあるようではある。トンデモ解釈かも知れぬ。大方の御叱責を俟つ。]
丈長の稲負ひいよいよ腰曲げる
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]
唐招提寺
寒雲が伽藍退く盲ひし像
[やぶちゃん注:言わずもがな、「盲ひし像」は国宝の唐招提寺鑑真和上坐像。]
枯山中戸の開くたびに赤子のこゑ
妻の猫走りて白し枯山中
還らぬ鳩よ大阪に寒き夕焼河
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]
葡萄樹下母乳とくとく子に通ひ
渦に入り渦を出られず鼻珠沙華
刈田に泣きわめき祖母の唄奪ふ
故なき不安暁みどりにわが衾
藤の枝に手懸けすがれば身が軽し
戦時にて金と見し花南瓜咲く
油虫思慮を深げに触角伏せ
寝なければ寝なければと地虫鳴く
あさがほの雙葉が掌あげ吾頰づゑ
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]
一舟に昼寝の海女と波の上
金色(こんじき)のほんだはらなほ海女深きへ
濡れ惜しまぬ海女の長髪潮いづる
光の奥冥(くら)しや雲雀落ちし天
土ふまずなしぴつたりと麦負ひ立つ
巣燕わめくいま餌を獲しはどの口ぞ
麻衣六十路(むそぢ)の影の鵜の匠(たくみ)
べたべたとぬれ鵜つかれ鵜鳴き歩き
帰燕啼きたまるこゑごゑ天狭め
石蕗(つは)の絮(わた)宙にきらきら二人遍路
[やぶちゃん注:「石蕗の絮」キク亜綱キク目キク科キク亜科ツワブキ属ツワブキ Farfugium japonicum は黄色い花で知られるが、その種子の塊はその後、タンポポ同様に綿毛を持った毬状になり、それが離脱して風に乗って飛ばされていくことはあまり知られていないように思われるので特に注しておく。底本の同年年譜に、『十二月、NHKの有本氏に招かれ、室戸岬の旅へ誓子と行く。健康を回復した誓子にとっての初めての旅。多佳子が誓子に教えを受けはじめてから三十年にもなるが、お伴して旅に出かけるのは初めてであると、しみじみ述懐』とある、旅での嘱目吟。「二人遍路」は表面上は嘱目であろうが、その実、これは誓子と多佳子の「二人遍路」を密かに含ませていると私は読む。]
冬遍路憩へるに吾何いそぐ
側に五十路(いそぢ)冬日の遍路急がずに
遍路笠の裏(うら)なつかしや冬日にぬぎ
千鳥の跡遍路も足を内輪にふみ
夕焼に眼ひらく遍路笠の裡
冬日蝶翔ちて海風おどろきぬ
ほうほうと石蕗の絮翔つ崖の宙
[やぶちゃん注:「宙」は「そら」であろう。
以上、『文庫版「海彦」より』とある。橋多佳子、五十六歳]
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