橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(32) 昭和三十二(一九五七)年 十九句
昭和三十二(一九五七)年
海より直風枝纏(ま)きあひて椿林
炎天に父よぶこゑとはだしの音
棒吞みの獲もの翡翠(ひすい)の身に収まる
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
泥男鹿あへぐ腹より乾きそむ
泥男鹿岐れし小爪の先までも
泥男鹿恋ひごゑ宙に放ちけり
泥男鹿ひきすゑられて角伐られ
泥男鹿泥毛一塊づつ乾く
手鏡の中に枯崖さかさにあり
雪降る視野楢の荒ラ膚ばかり立つ
寒三日月双刄鋭し信と疑と
舟漕いで渦潮に乗る妻を低く
「脚下照顧」昼虫のこゑ立ちのぼる
[やぶちゃん注:「脚下照顧」「きやつかしやうこ(きゃっかしょうこ)。禅語。「照顧脚下」「看脚下」とも。「脚下」は足元から転じて本来の自分自身、「照顧」は反省し繰り返しよく見、よく考えること。他に向かって悟りを求めずに自身の本性をまずよく見つめ尽くせという意。]
秋の蝶焼きすてしもの黒々と
虫しぐれ懐中燈に血透く指
くつわ虫崖の根ひとの燈に許す
秋蛍崖と樹にゐて照らしあふ
蒟蒻掘る夫の猫背を聳えしめ
蒟蒻太る地上に一葉大破れ
日ざらしに蒟蒻薯よ土塊よ
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。多佳子、五十八歳。]
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