小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (六)
六
確に大氣には自分が想像して居たよりも餘計に濕氣があつた。眞實能く晴れた日には、大山(だいせん)は隱岐からだつて分明に見えるのであるが、船がやつと地藏鼻を通り越すと、いい巨峰は地平線と同じ色の濕氣に包まれだして、二三分すると幽靈が消えるやうに消え失せた。この突然の消失の感銘は、實に異常なものであつた。その峰だけが視界から消えて、それを蔽うたものは地平線並びに空と少しも識別の出來ないものであつたからである。
その間隱岐西鄕はその航路中この海岸から一番遠く距つた地點へ達すると、今度は日本海を橫ぎつて一直線に疾走し始めた。出雲の綠色の山々はすさり退いて靑くなり、伯耆の妖魔のやうな仄かな海岸は雲の帶の如くに地平線へ溶け始めた。その時自分はこの恐ろしい小蒸汽船の速力に對する自分の驚[やぶちゃん注:「おどろき」。]を白狀せざるを得なかつた。それにまた殆んど何の音も立てずに進行した。それ程にその驚くべき小さな機關の運轉は圓滑であつた。が、深いゆるやかな搖れ方をして、重々しく搖れはじめた。眼には海は油の如く平らであつたが、水の表面の下に感ぜられる眼に見えぬ長いうねりが――太洋の脈搏が――あるのであつた。伯耆は蒸發してしまつた。出雲の山々は灰色に變り、その灰色が見て居るうちにずんずん淡くなつた。それが次第々々に色無しになつて――透明になるやうに思はれた。と思ふうちに無くなつてしまつた。在るものは白い地平線で接合して居る靑い空と靑い海とだけであつた。
自分は恰も陸から數千哩離れてでも居るやうに淋しかつた。ところがその薄氣味わるい時に、閑[やぶちゃん注:「ひま」。]が出來て西瓜の中に居る自分等に加はつた老年の水夫が頗る物淋しい話を聞かせて吳れた。佛(ほとけ)の海のことを話し、七月の十六日に海に出て居るのは不運なことを話した。大きな汽船すら盆中は航海をしない、どんな船員だつてその時分は船を海へ出すことを敢てしない、と言ふのである。そしてその男は、その話したことを信じて居るに相違無いと自分は思ふほどに、如何にも素朴に眞面目に、次に記す話を物語つた。
『最初のは私がまだ至つて若い時でありました。北海道から乘り出したのでありますが、長い航海でありまして、風が逆ひ風[やぶちゃん注:「むかひかぜ」と訓じていよう。]でありました。そして十六日の夜になつたのであります、丁度此處のこの海で仕事をして居た時にであります。
『すると全くだしぬけに、暗闇の中に、私共の船の後ろに――餘つ程[やぶちゃん注:「よつぽど」。]近く來るまで氣が付かなかつたのでありますが―――眞つ白い――大きな和船が見えました。空(くう)から出て來たやうに思へましたから、皆んな變だといふ氣がしました。人聲がきこえる程私共の船に近い處に居りまして、その船體は私共の船よりもずつと高く突立つて居りました。大變早く走つて居るやうに思へました。だが、一向前よりも近く寄つて來ません。私共は大聲で呼びかけました。だが何んの返事もありません。それからじつとその船を見て居るうちに、その走り方が本當の船のやうではなかつたものでありますから、私共皆んな恐ろしくなりました。海は恐ろしい荒でありまして、私共の船は急に橫へ傾いたり、船先を水へ突込んだりしますのに、その大きな和船はゆるぎもしないのであります。丁度私共が恐ろしいと思ひ出したその時、急にその船は消えてしまつて、一體本當に船が見えて居たのかどうか信じられない程でありました。
『それが最初のであります。が、四年前に私はまだもつと不思議な物を見ました。和船で隱岐の國むけて行きをりましたが、今度は風で遲くなりましたから、十六日の日に海に居つたのであります。朝の事でありました、正午(ひる)少し前でありました。空は黑く、海は非道い荒でありました。處が突然に、汽船が一艘私共の通つた跡を、大變早くやつて來るのが見えました。機關の、カタカタ、カタカタといふ音が聞える程近くへ來ました。が、甲板に人一人見えません。それからその船は、いつも同じ距離に居て私共の船を追つかけ始めまして、こちらでその船の航路を外づれようとしますと、いつも方向を更へて、丁度私共の跡を追ふやうにするのであります。そこで私共はその船が何んだかと怪しみました。が、その船が姿を消すまでは確とは[やぶちゃん注:「しかとは」。]分らなかつたのであります。泡のやうに消えたのであります、少しも音を立でずに。いつ見えなくなつたか確かとは誰にも分りませんでした。誰もその消えるのを見たものはありません。一番不思議な事は、その船が見えなくなつた後(あと)で、私共の船の後(うし)ろで機關が――カタカタ、カタカタ、カタカタと――運轉して居るのがやつぱり聞えて居たことであります。
『私の見たのはそれだけであります。が、私共のやうな船頭で、もつと澤山見た者を私は知つて居ります。時には幾艘も後を追ふことがあります、――一度にではありませんが。一艘が近くへ來ては消え、それから又一艘、それからまた一艘と來るのであります。それが後(あと)へ來る間は恐がるには及びません。が、そんな船が、風に向つて、前に走つて居るのを見ると、それは大變惡るいのであります。船の者はみんな溺れて死ぬることになるのであります』
[やぶちゃん注:本篇は一読、私の偏愛する――ここで言っておくと、私は怪奇談蒐集という偏奇な趣味も持っている。未読の方は私のオリジナルな怪談蒐集録「淵藪志異」を是非お読みあれかし――イギリスの幻想作家ホジスン(William Hope Hodgson 一八七七年~一九一八年)の、後の(彼はハーンより二十七も年下である)洋怪奇談の掌編集を読んだ折りにも感じた、潮臭い慄っとするリアルな感覚が実に濃厚にする。大谷氏の老水夫の語り口も自然ですこぶる附きによい。ここだけを独立させて後の「怪談」の中へ忍ばせておきたいくらい、小泉八雲の上質の怪奇談の白眉の一つであると私は思うのである。まずその上手さは、幽霊船だけを見せて、人形(ひとがた)を出さぬという妙味であり、それがさらに「人聲がきこえる」(第一話)「機關の、カタカタ、カタカタといふ音が聞える」「その船が見えなくなつた後で、私共の船の後ろで機關が――カタカタ、カタカタ、カタカタと――運轉して居るのがやつぱり聞えて居た」(第二話)というSE(サウンド・エフェクト)の絶妙の効果によって恐怖の増殖が行われるところにある。今日(きょう)、今、タイピングしながらも、私は思わず、体を震わせてしまったほどであった。
「隱岐西鄕」老婆心乍ら、原文“the Oki-Saigo”を見ずとも、文脈から判る通り、これは「隱岐西郷(おきさいがう)」という隠岐通いの連絡汽船の船名である。しかし、鍵括弧を附すのが親切というものであろう。
「自分は恰も陸から數千哩離れてでも居るやうに淋しかつた」千マイルは千六百九キロメートルであるから、「數千哩」では、もう太平洋の真ん中にいるような錯覚という恐るべき感じということになる。最初の二段の霊妙な風景変容の夢幻的描出と相俟って、この異常感覚が、いや増しに、次の老水夫の怪談の霊気による冷気を読者に効果的に感じさせる幻覚装置となっているのである。最初の二つの段落も、訳文だけを見ても――「濕氣」「幽靈が消えるやうに消え失せた」「突然の消失の感銘」「異常」「視界から消えて、それを蔽うたものは地平線並びに空と少しも識別の出來ないもの」「伯耆の妖魔のやうな仄かな海岸」「雲の帶の如くに地平線へ溶け始めた」「この恐ろしい小蒸汽船」「深いゆるやかな搖れ方をして、重々しく搖れはじめ」「海は油の如く平ら」「水の表面の下に感ぜられる眼に見えぬ長いうねり」「太洋の脈搏」「伯耆は蒸發してしまつた」「出雲の山々は灰色に變り、その灰色が見て居るうちにずんずん淡くな」り、「それが次第々々に色無しに」、「透明になるやうに思はれ」「と思ふうちに無くなつてしま」い、「在るものは」ただ「白い地平線で接合して居る靑い空と靑い海とだけであつた」と畳み掛けた上で、この一文が配され、さらにその後にさえ、ダメ押しで、「その薄氣味わるい時」とあることに着目されたいのである。ハーンの匠の跡に舌を巻くこと、頻り!
「閑」老婆心乍ら、「ひま」と読む。
「七月の十六日」ここまでの本書の記載から考えても、これは旧暦の、である。
「四年前」「十六日の日」語りと設定が事実に即しているならば、これは明治二一(一八八六)年の旧盆七月十六日となり、この年は新暦でも、しっかり、八月十五日に当たる。まさに怪異が起こるに総てが合致した、異界との通路が開口してしまう特別な時間だったのである。]
Ⅵ.
Evidently there was much more moisture in the atmosphere than I had supposed. On really clear days Daisen can be distinctly seen even from Oki; but we had scarcely passed the Nose of Jizo when the huge peak began to wrap itself in vapor of the same color as the horizon; and in a few minutes it vanished, as a spectre might vanish. The effect of this sudden disappearance was very extraordinary; for only the peak passed from sight, and that which had veiled it could not be any way distinguished from horizon and sky.
Meanwhile the Oki-Saigo, having reached the farthest outlying point of the coast upon her route began to race in straight line across the Japanese Sea. The green hills of Izumi fled away and turned blue, and the spectral shores of Hōki began to melt into the horizon, like bands of cloud. Then was obliged to confess my surprise at the speed of the horrid little steamer. She moved, too, with scarcely any sound, smooth was the working of her wonderful little engine. But she began to swing heavily, with deep, slow swingings. To the eye, the sea looked level as oil; but there were long invisible swells — ocean-pulses — that made themselves felt beneath the surface. Hōki evaporated; the Izumo hills turned grey, a their grey steadily paled as I watched them. They grew more and more colorless,— seemed to become transparent. And then they were not. Only blue sky and blue sea, welded together in the white horizon.
It was just as lonesome as if we had been a thousand leagues from land. And in that weirdness we were told some very lonesome things by an ancient mariner who found leisure join us among the water-melons. He talked of the Hotoke-umi and the ill-luck of being at sea on the sixteenth day of the seventh month. He told us that even the great steamers never went to sea during the Bon: no crew would venture to take ship out then. And he related the following stories with such simple earnestness that I think he must have believed what said: —
'The first time I was very young. From Hokkaido we had sailed, and the voyage was long, and the winds turned against us. And the night of the sixteenth day fell, as we were working on over this very sea.
'And all at once in the darkness we saw behind us a great junk, — all white,— that we had not noticed till she was quite close to us. It made us feel queer, because she seemed to have come from nowhere. She was so near us that we could hear voices; and her hull towered up high above us. She seemed to be sailing very fast; but she came no closer. We shouted to her; but we got no answer. And while we were watching her, all of us became afraid, because she did not move like a real ship. The sea was terrible, and we were lurching and plunging; but that great junk never rolled. Just at the same moment that we began to feel afraid she vanished so quickly that we could scarcely believe we had really seen her at all.
'That was the first time. But four years ago I saw something still more strange. We were bound for Oki, in a junk, and the wind again delayed us, so that we were at sea on the sixteenth day. It was in the morning, a little before midday; the sky was dark and the sea very ugly. All at once we saw a steamer running in our track, very quickly. She got so close to us that we could hear her engines,— katakata katakata! — but we saw nobody on deck. Then she began to follow us, keeping exactly at the same distance, and whenever we tried to get out of her way she would turn after us and keep exactly in our wake. And then we suspected what she was. But we were not sure until she vanished. She vanished like a bubble, without making the least sound. None of us could say exactly when she disappeared. None of us saw her vanish. The strangest thing was that after she was gone we could still hear her engines working behind us,— katakata, katakata, katakata!
'That is all I saw. But I know others, sailors like myself, who have seen more. Sometimes many ships will follow you, — though never at the same time. One will come close and vanish, then another, and then another. As long as they come behind you, you need never be afraid. But if you see a ship of that sort running before you, against the wind, that is very bad! It means that all on board will be drowned.'
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