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2015/11/05

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (四)

       四

 

 神道の祖先崇拜は、あらゆる祖先崇拜の如くに、ハアバアト・スペンサアがあんなに充分にその源へ跡附けた、宗教進化のあの一般法則に從つて、疑ふまでも無く埋葬の儀式から發展したものである。そして神道の公の崇拜の初期の形式は――フステル・ド・クウランジユ氏が、その驚嘆すべき『古代の町(ラ・シテ・アンチイク)』といふ書物で、希臘人及び羅馬人間(かん)の宗教的公共制度は爐邊の宗教から、發達したものであることを示したやうな風に――それより尚一層古い家庭の崇拜から、發達したものと信ずべき理由がある。實際、目今一管區の神道の宮を意味し、その上またその宮の神をも意味するに用ひられて居る、ウヂガミといふ語は『家庭の神』といふ意味であつて、その現在の形は『家の内の神』或は『家の神』といふ意味のウチノカミの轉訛、又は省略である。尤も神道の解釋家共は、この語を左うで無いやうに説明せんと試み、平田の如きは、アアネスト・サトウ氏が引用したやうに、この名目は共通の祖先即ち祖先達に、或は同樣の尊敬に値ひするほどそれ程、或る一地方民衆の感謝を受け得べき者にだけ適用すべきであると明言した。それは彼平田の時代に於ける、またそのずつと以前に於ける、この語の正常な使用法は疑ふまでも無く左うであつたのである。が、この語の語原は確に、その起原を家庭の崇拜に有つて居ることを示し、また宗教制度の進化に關する、近代の科學的信念を確めて居るやうに思はれる。

 さて、希臘人幷びに羅馬人のうちにあつて、家庭の祭祀が公な宗教の、あらゆる發展膨脹の間(あひだ)も、なほ常に續いて存在して居たと丁度同じに、神道の家庭での崇拜は、數限り無いウヂガミでの地方的崇拜と、種々な國又は郡にある有名なオホヤシロでの民衆的崇拜と、そしてまた伊勢幷びに杵築の大社での國民的崇拜と、併立して現在まで繼續し來たつて居る。家庭での祭祀に關聯した物體のうち、確に外國又は近代の起原に屬するものが多くある。だが、その單純な儀式や、その無意識な詩歌はその太古の妙趣を保持して居る。だから、日本人生活の研究者には、神道の就中最も興味ある方面は、古代西歐人の家庭での禮拜同樣、二重形式で存在して居る、この家内崇拜が提供して呉れるのである。

 

[やぶちゃん注:「フステル・ド・クウランジユ」ヌマ・ドニ・フュステル・ド・クーランジュ(Numa Denis Fustel de Coulanges 一八三〇年~一八八九年)はフランスの中世史の歴史学者。『クーランジュは自身の方法を「デカルト的懐疑を史学に適用したもの」と語って』『彼の掲げた史学研究のモットーは、『直接に根本史料のみを、もっとも細部にわたって研究すること』、『根本史料の中に表現されている事柄のみを信用すること』、そして『過去の歴史の中に、近代的観念を持ちこまないこと』であったという。『クーランジュの文献資料に関する知識は当時としては最高であり、その解釈についても他人の追随を許さなかった。しかし、彼は古代作家を無批判に信頼し、原典の信憑性を確認せずに採用した。さらに通説にことさらに反対する傾向があった』。『クーランジュの文体は明晰かつ簡明であり、事実と推理のみをあらわし、当時のフランス史家の悪弊であった「漠然とした概括」や「演説口調の慣用語」から脱却していた』とある。詳細は参照引用したウィキの「フュステル・ド・クーランジュ」を参照されたい。

「古代の町(ラ・シテ・アンチイク)」フュステル・ド・クーランジュが一八六四年に刊行した“La Cité antique”(古代都市)。彼の最初期の著作で、上記のウィキによれば、『広い学識を簡明に総合してやさしい形式のもとに表現しようとした時期』の作品である。

「ウヂガミ」ウィキの「氏神」より引く(記号の一部を省略した)。『氏神(うじがみ)は、日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。氏神を祀る神社のことを氏社という』。『本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった。例として、中臣氏は天児屋根命』(あめのこやねのみこと:春日権現・春日大明神に同じい)を、忌部氏(いんべうじ:古代朝廷の祭祀を始めとして祭具作製や宮殿造営を担った氏族)は天太玉命(あめのふとだまのみこと:天児屋命とともに祭祀を司どる神)を祀った。『中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する』。『鎮守(ちんじゅ)は、その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のことである。平安時代以降になると荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立され、氏族社会が崩壊し氏神信仰は衰退する。荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守である。室町時代の頃に荘園制が崩壊するとその信仰も衰退し、氏神に合祀され今日に至っていることが多い』。一方、『産土神(うぶすながみ)はその者が産まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、ほとんどの場合産土神と鎮守は同じ神であった。ただし、現在は転居する者が多いため産土神と鎮守神が異なる場合も多い』。『この氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、子供のお宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった』とある。]

 

 

   Shintō ancestor-worship, no doubt, like all ancestor-worship, was developed out of funeral rites, according to that general law of religious evolution traced so fully by Herbert Spencer. And there is reason to believe that the early forms of Shintō public worship may have been evolved out of a yet older family worship,much after the manner in which M. Fustel de Coulanges, in his wonderful book, La Cite Antique, has shown the religious public institutions among the Greeks and Romans to have been developed from the religion of the hearth. Indeed, the word ujigami, now used to signify a Shintō parish temple, and also its deity, means 'family God,' and in its present form is a corruption or contraction of uchi-no-Kami, meaning the 'god of the interior' or 'the god of the house.' Shintō expounders have, it is true, attempted to interpret the term otherwise; and Hirata, as quoted by Mr. Ernest Satow, declared the name should be applied only to the common ancestor, or ancestors, or to one so entitled to the gratitude of a community as to merit equal honours. Such, undoubtedly, was the just use of the term in his time, and long before it; but the etymology of the word would certainly seem to indicate its origin in family worship, and to confirm modern scientific beliefs in regard to the evolution of religious institutions.

   Now just as among the Greeks and Latins the family cult always continued to exist through all the development and expansion of the public religion, so the Shintō family worship has continued concomitantly with the communal worship at the countless ujigami, with popular worship at the famed Oho-yashiro of various provinces or districts, and with national worship at the great shrines of Ise and Kitzuki. Many objects connected with the family cult are certainly of alien or modern origin; but its simple rites and its unconscious poetry retain their archaic charm. And, to the student of Japanese life, by far the most interesting aspect of Shintō is offered in this home worship, which, like the home worship of the antique Occident, exists in a dual form.

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