橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(29) 昭和二十九(一九五四)年 百二十句
昭和二十九(一九五四)年
冬霧に歩みをゆるむ何いそぎゐし
寒き沖忘れむレールまたぎ帰る
[やぶちゃん注:ロケーション不詳。]
雪降るや同じ平らに氷湖凍田
[やぶちゃん注:同年一月十一日に諏訪の凍湖を見に行き、十三日の夜、初めて諏訪湖が凍った(底本年譜に拠る)。]
火の山につゞく雪野に足埋め立つ
[やぶちゃん注:前後の句から見て、この「火の山」は浅間山と推定する。年譜を見ると、一月十四日に諏訪から塩尻峠を越えて松本へ向かい、各所の俳人宅を訪問、二十日に上田、二十一日に小諸、二十二日に軽井沢の天然氷採取場に吟行しているからである。同年五月六日に清子同伴で九州旅行に出て、長崎に三泊、その帰りに『十数年ぶりに阿蘇山に登る』とはあるが、通常ならこの時期では阿蘇の残雪は消えてしまう。]
雪解天竜虹の断片遺(のこ)したり
[やぶちゃん注:前注の同年年初の諏訪行の往路吟か或いは東京発の復路(推定東海道線)での吟か。]
鳴らし売る独楽をしばらく見てゐて買ふ
猛りゐる独楽止(とど)め呉れ我が買ふ
男立つ勝鶏抱き負鶏抱き
一斉に冬鹿の耳怯え立ちぬ
髪老いし仲間羽なす楓の実
緑蔭に部屋あるごとく人隠る
藤濃き森風さわげるを惧れ入らず
百合近し崖を深笹かくしゐて
露無限身の力かけ刃もの研ぐ
わが船路南風の白浪沖にも立つ
精霊舟行方を指せる舳ありけり
いなづまなど豊かなるもの旅に欲る
師の歩みいづくへ向くも青き淡路
[やぶちゃん注:これより後の数句は、年譜の同年『七月、淡路洲本の朝倉十艸に招かれ、誓子と同行、渦潮を見る』の折りの嘱目吟と思われる。]
白雲の峰々翼はゞみをり
地上に降り夏の白雲天にかへす
渦潮を一舟日覆傾け過ぐ
かへり見る南風の門波の渦巻くを
渦の上鱚舟同士ゆれあへり
鱚釣つて八重渦潮の上をいでず
渦と渦のかゝはり南風の鳴門おもしろ
地蔵盆わが赤燭も焰(ほ)をならべ
[やぶちゃん注:「地蔵盆」ウィキの「地蔵盆」によれば、『地蔵菩薩の縁日で厳密には』毎月二十四日で『あるが、一般的には、その中で特にお盆にも近い』旧暦七月二十四日の『ものをいう。ただし、寺院に祀られている地蔵ではなく、道祖神信仰と結びついた「路傍や街角のお地蔵さん」いわゆる「辻地蔵」が対象となっている』とある。この年の旧暦七月二十四日は八月二十二日である。この地蔵盆が新旧孰れであっても(新暦で行う場所が多いが、どちらかといえば、七月ではなく、月遅れの八月二十三、二十四日の方が多いとウィキにはある。年譜上では七、八月のこの頃は自宅にいた可能性が強いので(八月は記載なく不確かではあるが、多佳子は盂蘭盆の頃に旅には出歩かぬと私は思う)、これは多佳子の自宅のある、あやめ池近くでの地蔵盆というよりお盆の嘱目吟の可能性が高いように思われる。]
をどりの衆影を屈して身をかゞめ
思ひのみ生々風邪の衾中に
夜長機(ばた)糸が切れゝば糸継ぎて
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
冬日いつぱい追はれるとき緬羊も走り
[やぶちゃん注:以下、数句については、句集「海彦」に、「牧夫――福山牧場にて」と題する以下の類型句七句が載る。
群羊帰る寒き大地を蔽ひかくし
冬野かへる群羊に牧夫ぬきん出て
群羊に押され背見せて寒き牧夫
冬草喰ひ緬羊姙りにも従順
寒き落暉群(むれ)を離るる緬羊なく
ポケットに「新潮」寒き緬羊追ひ
寒き緬羊耳たぶのみ血色して
この「福山牧場」広島県福山市にある牧場と思われ(ネット検索での固有名ではヒットしない)、底本年譜のこの前年の昭和二八(一九五三)年の十月の項に、『福山市の「七曜」支部発表会に出席』とある。この折りの句と考えて間違いなく、回想吟或いは旧吟の発表句であることが判る。]
冬日燦々緬羊の群みな姙る
夫婦・犬緬羊追ひ入れあと冬野
食ふせはし緬羊に寒き落暉のび
除夜の門(と)を閉しオリオンを野に放つ
つく毬の外(そ)れては歌のとぎれとぎれ
わが猫を誘ふ枯野に白猫ゐて
枯るゝ芦かき抱きては鎌を入る
帰るたのしさ月の霧より息白く
めつむれば雪夜の追想戦火にまで
冬旅や白昼の燈(ひ)を燈台に見て
髪洗ふ除夜のラジオの黒人霊歌
寒き湖光切なし凍てゝしまへよ
友の子の風邪の柔髪まさぐりて
桜濃し仰げば雨のひた漏りて
枯笹山跼めば隠るたはやすく
[やぶちゃん注:「跼めば」「こごめば」と訓じているか。通常の訓は「せぐくまる」。]
鶯や書けば一日うつむいて
春の畦ゆけば我ためにある如く
若布刈(めか)る男(を)の竿ゆらゆらと眼に高し
[やぶちゃん注:「若布刈(めか)る」は「若布刈」三字に「めか」のルビを振る。ロケーションは不詳。]
桜濃し老いし日輪その上に
われ去れば犬も去りたり桜の園
春苑を見て鉄柵に子がさかしま
旅もどり来ぬあぢさゐの藍と紅
[やぶちゃん注:「旅」同年中ならば、五月の九州行と思われる。]
髪洗ひ立てば蛾が来ぬわが家なる
跳び跳べる仔鹿万緑もて隠る
梅雨はげし鹿総身の雨ふるふ
毛紋かなし濡れて乾きて仔鹿の背
梅雨の川たぎつ底のみの明るさ
暁や蜘蛛のねむりを露とぢて
炎天を仰げば鉾のゆらゆらする
青炎天祇園鉾(ぎをんぼこ)来る笛きこゑ
[やぶちゃん注:「祇園鉾(ぎをんぼこ)」「ぼこ」と連濁しており、一語として用いている。但し、「祇園鉾(ぎをんぼこ)」という語自体はネット検索する限りでは、七月の京の祇園祭りの山鉾の呼称としては一般的ではないから、多佳子の造語か。]
眼前を祀園鉾過ぐ待たれしもの
鉾囃子(ばやし)近づきてすぐ過ぎゆくもの
[やぶちゃん注:「鉾囃子(ばやし)」これも連濁であるから、一語として用いている。しかし、この「鉾囃子(ほこばやし)」の方は一語として普通に使われることが、祇園祭の保存会の公式記事の中で現認出来る。]
群集に祇園囃子は高ゆくもの
みづからの鬱に抗ひ葡萄照る
裸子の片言(かたこと)雷雨の端とゞく
蜂の羽音昼寝母子像抱きあひて
雲の峰いつ蹤ききしや捨仔犬
[やぶちゃん注:「蹤ききしや」「つききしや」と訓じているものと思われる。後(あと)をついて来たのか、の意。]
月影をかさね了せず人と人
紅蓮獲て泥足つよし母まで駆け
[やぶちゃん注:「紅蓮」は「ぐれん」。紅色の蓮(はす)の花。紅蓮華(ぐれんげ)。]
夜長機(ばた)涯なく織りて涯思はず
何織らむとするや夜長の機かたかた
猟夫歩み雉子の重さの腰をゆり
白息や子守唄祖母・母より継ぐ
[やぶちゃん注:「白息」は「しらいき」謂わずもがなであるが、寒い時期に人の吐く息が白く見えることで、冬の季語。
以上、『七曜』掲載分。]
宙にまだ低き翅にて露けき鷹
黒髪のさらさらと秋いつ来てゐし
眼前を過ぐる秋河堰に激(げき)し
秋の暮一詩に執着してをれば
ゆらゆらと風の錦の枝を摑み
息若き新酒つくりよ雪止まずに
雪眩し帯緊(きつ)きことが胸を責め
雪やゝ明し人行く方に鶏鳴して
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]
冬日の顔ひとつ横向く母の顔
[やぶちゃん注:念のために注しておくが、多佳子の実母は既に昭和一七(一九四二)年十一月七日に享年八十二で亡くなっている。]
掃除婦来て霜の大地の白さ消す
鴛鴦(をし)撃たる雄の紅冠のねらはれて
[やぶちゃん注:「紅冠」「こうくわん(こうかん)」と音よみしているか。]
黄落や日の没る方(かた)に光満ち
[やぶちゃん注:「黄落」は「くわうらく(こうらく)」で木の葉が黄色に色づいて落ちること、「没る」は「いる」(入る)と訓じていよう。]
風吹くに現れては櫨の花ひそむ
[やぶちゃん注:「櫨」は「はぜ」でムクロジ目ウルシ科ウルシ属ハゼノキ Toxicodendron succedaneum 。花は円錐花序で五~六月頃に黄緑色の小さな花を咲かせる。]
一瞬の菜殻業火に額焼かる
[やぶちゃん注:句集「海彦」の「長崎行」に、
保養院を出づれば菜殻火盛んなり
一切忘却眼前に菜殻火燃ゆ
菜殻火の燃ゆる見て立つ久女いたむ
菜殻火の火蛾をいたみ久女いたむ
つぎつぎに菜殻火燃ゆる久女のため
菜殻火や入日の中に焰もゆ
の句群を認める。多佳子はこの五月の九州行の長崎からの帰途、杉田久女の『終焉の地、筑紫観音寺にある九大分院、筑紫保養院に行き、久女を弔』(底本年譜)っている。これと次句は、間違いなく、その折りの句である。「橋本多佳子句集「海彦」 長崎行(Ⅰ) 久女を弔ふ」も参照されたい。]
入日野に衰ふる菜殻火烈しき菜殻火
増苑やほしいまゝなるアマリヽス
[やぶちゃん注:「増苑」不詳。拡張した花園の謂いか? 識者の御教授を乞う。中七は明らかに久女の名吟「谺して山時鳥ほしいまま」のインスパイアであるから、前二句と同じロケーションと考えられ、九大保養院での嘱目吟の可能性が高いか。]
露白光遅れ来たりて十字切る
露の玻璃神父に赤光孤児に紫光
懺悔する跣の蹠揃へ見せ
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「跣」は「はだし」(裸足)、「蹠」は「あうら」と訓じていよう。通常は「あし(の)うら」で、足の裏の意。]
ねぶたさの仔牛の肉鼻阿蘇青し
[やぶちゃん注:以下、前に注した通り、同年五月六日に清子同伴で九州旅行に出て、長崎に三泊、その帰りに『十数年ぶりに阿蘇山に登る』とある折りの句群。]
野の青さかの馬の如吾も暮れつゝか
火口暮る燕のこゑのつばらにして
夏白雲ゆれどうしなるわが翼
[やぶちゃん注:以上、『俳句』掲載分。]
雪頭巾して寝るをとめ顔あげよ
霜腫(ば)れの指折りかぞへ数へ唄
遠き群れそれへ急ぎて鴨(かも)翔ける
われ倦めば寒湖の鴨の水走る
[やぶちゃん注:この前後句は総て、前注の同年一月の諏訪湖行の句と思われる。]
雀の歩しばし寒天造りに蹤(つ)く
雪沓(ゆきぐつ)をはけば新雪切々と
袖あはす胸の隙より雪くゞる
雪の日の厚きぬりごめ糀室
[やぶちゃん注:次の句とともに同年の諏訪湖行の際、一月十三日、『降る雪の中、諏訪地酒「舞姫」の寒造りを見て、新酒の香に酔う』とある、その嘱目吟である。]
新筵(むしろ)糀が生きる息ぬくし
厠(かはや)に神小餅かさねて燈をかかぐ
わかれゆく寒湖昏(くら)きに鴨が浮く
来るを予期せし寒念仏こゑを断つ
[やぶちゃん注:「寒念仏」「かんねぶつ」と読む。狭義には、僧が立春前の寒(かん)の三十日の間、明け方に山野に出でて声高く念仏を唱えることであるが、後には在家信者も寒夜に鉦(かね)を打って念仏を唱え、家々の門前で報謝を請い歩いた。冬の季語。同年の立春は二月四日(定気法)であるから、諏訪・軽井沢行での一句と読める(旅を終えて東京へ多佳子が着いたのは年譜によれば一月二十二日である。]
涅槃(ねはん)の天暮るる鴉が羽いそぎ
月凍る千曲・犀川(さいかは)車輪にかけ
[やぶちゃん注:「犀川」『長野県内を流れる信濃川水系の一級河川。一般に、松本市島内で奈良井川を合流させて以降の下流部から長野市での千曲川との合流部までを指し、上流部は梓川(あずさがわ)と呼ばれる』(ウィキの「犀川」より)。]
旅の背をかがめる樹氷低ければ
をどり太鼓いまだしづかやばち觸れねば
[やぶちゃん注:「觸」の正字はママ。]
燈を失ひし蛾や月光を得たりけり
木の葉髪白きをまじゆ師と共に
雲の峯わが胸もばら色を消す
醜さがつよさ向日葵逆光に
うろこ雲翼あるもの追ひ追はれ
夜長機筬(をさ)の青糸はた紅糸
[やぶちゃん注:「筬」「をさ(おさ)」は織機の付属用具の一つ。竹の薄片を櫛の歯のように並べて枠をつけたもので、織物の幅と経(たて)糸を整え、杼(ひ:緯(よこ)糸を通す用具。シャトル)で打ち込まれた緯糸を押さえて、織り目の密度を決める道具。]
道相似たりまんじゆさげまどはせり
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、上五は「みち/あひ(あい)にたり」と読む。]
全身の濡れ冬鹿の雄の眼見る
[やぶちゃん注:以上、『文庫版「海彦」より』とある。多佳子、五十五歳。]
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