日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(11) 鍛冶屋 他
図―712
図712は仕事をしつつある鍛冶屋である。彼はすべての職工と同じく、地面、あるいは床の上に坐る。鞴(ふいご)は長い四角な箱で、その内にある四角い喞子(ピストン)を桿と柄とによって動かす。鍛冶屋は左足で柄をつかみ、その脚を前後に動かして鞴に風を吹き込むから、両手で鉄槌を使うことが出来る。この場合助手は立っている。道具は我国の鍛冶屋が使用するものと大差ないが、只私は大きな鉄槌のあるもの(あるいは全部かも知れぬ)にあっては、柄が鉄の部分の中央に押し込んでなく、一端に片寄っているのに気がついた。床には我国の鍛冶屋で見るのと同様な鉄棒の切れっぱしや、その他の破片やかけらが、ちらばっていた。時として子供が鞴を吹くが、これは手でやる。
東京市中のあちらこちらの町には、殊に屋敷の塀に沿って、ドブや深い溝がある。これらの場所はこの都会を悩ます蚊の発生地で、同時に蚊の幼虫を網でしゃくい、それを金魚の餌に売る大人や子供にとっては、生計のもとである。
ここ数日間、本物の荷づくり人が陶器を包装しにやって来つつあるので、床は箱や藁で被われている。彼等が各々の品をつつみ上げる方法を見ていると面白い。先ず藁を一握り取り上げ、指でそれを真直にくしけずり、その中央部でひねると、藁の両端が扇形にひらくから、その中心に茶碗を入れ、辺に添うてくるりと藁を内に畳み込む。茶入も同様につつむが、藁は上の方でひねる。凸凹のある、大きな円筒形のものだと、長い藁繩をつくり、それを品物のまわりにまきつける。料理番の小さな女の子とその遊び仲間とが、戸のところへ来てのぞき込んだ。標本が沢山あるので吃驚したのである。私は彼等を呼び入れて紙と鋏とを渡した。彼等が人形や鶏や鷺やその他を切りぬく巧な方法は、驚くばかりであった。私はそれ等をすべて取っておいた。それはセーラムの博物館へ行くのである。私は彼等に土瓶と茶碗二つを与えたが、彼等のなすところを見、いうところを聞くことは、誠に興味があった。一人がお茶をついでやり、そして茶碗が差し出されると、まるで貴婦人ごつこをしているように丁重にお礼をいう。が、彼等は貴婦人ごつこをしていたのではなく、かく丁寧にするように育てられて来た迄の話である。彼等はせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なのである。
先日私は再び私の家の裏にある狂人病院を訪れた。主事は非常に親切で、すこし英語を話すので私の話す僅かな日本語と相俟って、我々は極めてうまい具合に話を進めた。私は病気の種類の割合や原因等に関して、いろいろと聞くところがあった。
[やぶちゃん注:「狂人病院」精神病院と読み換えて頂きたい。既に注済みであるが再度示しておくと、原文は“insane asylum”であるが、精神異常者のための、を意味する“insane”も原義は「正気でない・狂気の」であり、“asylum”もギリシャ語の「安全な避難所」が語源で現行では「避難・亡命・保護」、国際法上の亡命者などを保護収容する「仮収容施設」であり、古語では、主に一般の眼から遮蔽すべきと考えられた、「知的精神的障碍者や孤児などを保護した施設」の謂いで明らかに古めかしい差別単語であって、これも現行では通常“psychiatric hospital” と表現する。「私の家」とあるが、これはモースとビゲローに無償貸与された天象台で、その北の道を隔てた直近にあった東京府癲狂院(東京都立松沢病院の前身)である。]
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