日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(10) 真珠貝斬り
日本人は発明の才を持っていないといわれるが、而も東京をあるいている中に、私は我国の工匠たちが真似てもよいと思われるような、簡単な機械的の装置を沢山見た。今日私は真珠貝を切っている男に気がついた。切断される可き貝の一片は、図711に示す如く、上方にある横木の下で曲げられた、弾力のある竹の条片で押えられる。鋸は挽かる可き片に垂直に置かれ、この作業に使用される砂は然る可き所に置かれる。これは瞬間的に調整され得る万力の簡単な一形式で、竹の条片の強弱によって、押える力を自由に変えることが出来る。桶には水が一杯入っているから、貝殻はすぐ洗える。
[やぶちゃん注:「真珠貝」原文“pearl-shell”。斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属ベニコチョウガイ亜種アコヤガイ(阿古屋貝)Pinctada
fucata martensii である。現在は真珠母貝として盛んに養殖されるが、人によってはこの貝を細かく切り刻んでどうするのかと訝しむ向きもあるかも知れぬが、本種の貝殻の内側は真珠同様、強く美しい真珠光沢を持っており、古くからアワビの貝片などとともに螺鈿の材料として各種工芸作物の装飾材として使用され、現在も高級ボタンやカフリンクス(cuff links:所謂、「カフス・ボタン」のことであるが、この「カフス・ボタン」は和製英語で、「カフス」(cuffs)は単に衣服の両袖口を指す英語でしかない)、ネクタ・ピン、ネックレスや指輪等の装身具の補助材に使用されている。なお、和名の「阿古屋」は現在の愛知県阿久比町(あぐいちょう)の古称で、昔、この附近のアコヤガイから良質の真珠が採取され、それを「阿古屋珠(あこやだま)」と呼んだことに基づく(かつては真珠のことも「阿古屋」と呼んだ。以上は主にウィキの「アコヤガイ」に拠った)。]
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