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« 飯田蛇笏 山響集 昭和十四(一九三九)年 冬(Ⅲ) 上高地と白骨 白骨篇 | トップページ | 明恵上人夢記 51 »

2015/12/30

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅶ) 昭和二(一九二七)年 (全)

  昭和二(一九二七)年

 

 

 

 一月四日 火曜 

何やらむ物音すなり春の海

 

[やぶちゃん注:句の直前に『けふより狂人治療の淨書を初めんと思にたれども小

みたしをかき止む』(「小みたし」は「小見出し」であろう)とある。これは大正一五(一九二六)年に発表した「狂人の解放治療」の改稿作業のことで、これが永い年月を経て「ドクラ・マグラ」に結実することは既に注した。]

 

 

 

 一月二十八日 金曜 

 

雪の野のしづかに呉れて夜に入れば

  松の音はげしく起る

 

ふるさとを遠くはなれて雪の宿

  夢おびたゞし

 

[やぶちゃん注:ここに二行に亙るがあるが(一行目八個・二行目七個)、底本注に『消去』とあり、判読も不能らしく、一字も起されていない。直後に『このうたわれながら不吉なれば消したり。おかし。』とある。夢野久作が不吉とする一首、これはもう、是非とも読んでみたかった。なお、この歌の前の日記は、

   *

 終日雪ふる。夜、松籟おびたゞし。

 胎兒の夢の論文のうち、夢の説明を書き直し、非常に疲れたり。

   *

と記しており、作歌が実景に基づくものであることが判る。なお、この『胎兒の夢の論文』言わずもがな、現行の「ドグラ・マグラ」冒頭から三分の一ほどのところから始まる「胎兒の夢」(約二万字)の、現行の最後の部分、『然らば、その吾々の記憶に殘つてゐない「胎兒の夢」の内容を、具體的に説明すると、大要どのやうなものであらうか』以下のプロトタイプであろうか。]

 

 

 

 一月二十九日 土曜 

 

冬の日のまく照れば遠山の雪白々と見えて

  さながらに童話の中に在る心地す

 

[やぶちゃん注:「」は判読不能字。]

 

妻の寢息子供寢息靜まれば

  床の水仙しみじみ光る

 

來し時と同じ思ひに歸る也

  人の通らぬふるさとの町

 

靴の先の泥を氣にして町を急ぐ

  モダーンボーイの冬の夕ぐれ

 

來年四十四十と思ふうちきつとドキンとするが悲しき

 

[やぶちゃん注:久作は明治二二(一八八九)年一月四日生まれ。]

 

 

 

 一月三十日 日曜 

 

約束を一錢五厘の反古にする。

 

[やぶちゃん注:「一錢五厘」言わずもがな乍ら、当時の葉書の郵便料金。]

 

 

 

 二月二日 水曜 

 

春の夜の電柱に身を寄せ思ふ。人を殺せし人のまごころ

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

春の夜の電柱に

身を寄せて思ふ

人を殺した人のまごゝろ

 

の初案と思われる。]

 

殺して果てまぶたをそっと閉ぢてやれば木枯しの聲一きわ高まる

 

[やぶちゃん注:同前の「獵奇歌」に出る、

 

殺しておいて瞼をそつと閉ぢて遣る

そんな心戀し

こがらしの音

 

の初案と思われる。歌の前の日記本文末には、『狂人の原稿、次から次へ破綻百出す。』とあり、旧作の苛立ちが伝わってくる。]

 

 

 

 二月四日 金曜 

 

ポケツトに殘り居りたる一戔が

  惡事の動機とわれは思へり

 

[やぶちゃん注:「一戔」はママ。「一箋」の誤記ではあるまいか?]

 

殺すことを何でも無しと思ふほど

  町を歩むが恐ろしくなりぬ

 

 

 

 二月五日 土曜 

 

眞黑なる大樹は風に搖れ搖れて

 粉雪飛ぶ飛ぶ粉雪飛ぶ飛ぶ

 

[やぶちゃん注:繰り返しの三箇所の後半部分は底本では総て「〱」。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

ピストルの煙のにほひのみにては何かもの足らず

  手品を見てゐる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルの煙の

にほひばかりでは何か物足らず

手品を見てゐる

 

と、ほぼ相同。]

 

地平線ましろき雲とわがふるき罪の思ひ出と

  さしむかひ佇つ

 

[やぶちゃん注:因みに、この二日前の十三日の日記に『東京に行く決心する』とある。出立は三月八日であった。]

 

 

 

 二月十七日 木曜 

 

ぐみの實の酸ゆく澁さよ小娘は

  も一人の男思ひつゝ佇つ

 

[やぶちゃん注:前文日記中に『狂人の原稿第一回校正終る』と記す。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

人體のいづこに針をさしたらば即死するかと

  醫師に問ひてみる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

人體のいづくに針を刺したらば

即死せむかと

醫師に問ひてみる

 

と、ほぼ相同。]

 

 

 

 二月二十日 日曜 

 

靑空ののふかさよ人間に

  惡を教ふるのほさよ

 

[やぶちゃん注:二箇所のは判読不能字。次歌のそれも同じ。]

 

探偵は□□あふげり

  わが埋めし死骸の上に立ち止まりつゝ

 

 

 

 二月二十一日 月曜 

 

ひそやかに腐らし合ひてえひゆく果物あり

  瓦斯の火の下

 

わがむかし子供の時に夥しなる小鳥

 

君の眼はあまり可愛しそんな眼の

  小鳥を思はず締めしことあり

 

[やぶちゃん注:二首目の不完全はママ。三首目の上句の初案か。三首目は二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

君の眼はあまりに可愛ゆし

そんな眼の小鳥を

思はず締めしことあり

 

と、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 二月二十二日 火曜 

 

その胸に十文字かくおさな子の

  心をしらず母はねむれり

 

[やぶちゃん注:「おさな子」はママ。]

 

この夕べ可愛き小鳥やはやはと

  志め殺した腕のうづくも

 

[やぶちゃん注:前日の「君の眼はあまり可愛しそんな眼の/小鳥を思はず締めしことあり」とも似るが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

此の夕べ

可愛き小鳥やはやはと

締め殺し度く腕のうづくも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

ピストルのの手さわりやる

 なや瓦斯の灯光り霧のふる時

 

[やぶちゃん注:「手さわり」はママ。は判読不能字であるが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルのバネの手ざはり

やるせなや

街のあかりに霧のふるとき

 

に酷似する一首ではある。]

 

 

 

 二月二十四日 木曜 

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

  捕はれてもたき應接間かな

 

[やぶちゃん注:この六ヶ月後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』に載せた「うた」(後の「獵奇歌」に所載)、

 

この夫人をくびり殺して

捕はれてみたし

と思ふ應接間かな

 

と酷似する一首。]

 

 

 

 三月三日 木曜 

 

越智君と大宰府に行きし時の句

 

ひとりぬればチプタツポーと梅が散る。

 

たゞひとり默々として梅見客

 

梅が香や古井戸のぞくふところ手

 

奥に來て灯うれし梅の谷

 

ストーヴのほのほしばらくおしだまり

  又ももの云ふわがひとりなり

 

[やぶちゃん注:日記から、この三日前の二月二十八日に友人六人(底本注に幸流(こうりゅう:能楽小鼓(こつづみ)方の一流派)皷(つづみ)師範とする、謠仲間と思われる越智なる人物が含まれる)と大宰府天満宮に遊んでいる。但し、『山の上ヌカルミいて閉口す。梅早し、余、ヤキモチ十三』とある。久作さんは焼き餅がお好き! なお、最後の一首は、既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

ストーブのほのほしばらく押しだまり又ももの言ふわれひとりなれば

 

の形で出る。]

 

[やぶちゃん注:この間、詩歌記載なく、前に記した通り、三月八日に東京に発っており、以下は東京でのものとなる。]

 

 

 

 三月二十九日 火曜 

 

もろともにはるかなる世をしたひしか

  今はわれのみわびてのこるよ

 

妻を思ひわが子を思ひ冬の夜の

  都の隅に紅茶すゝるも

 

夜をふかみ妻はかへらず床の間の

  葉蘭のかげをみつゝねむらず

 

 

 

 四月一日 金曜 

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ

 今はた更にふかみゆくかな

 

[やぶちゃん注:本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ今はた更にふかみゆくかな

 

と出る]

 

美しき彼女をそっと殺すべく

 ぢっとみつめて眼をとづるかな

 

[やぶちゃん注:二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

彼女を先づ心で殺してくれようと

見つめておいて

ソツト眼を閉ぢる

 

の相似歌で、初案か。]

 

 

 

 四月三日 日曜 

 

家古し萩また古し月あかり

 

 

 

 四月九日 土曜 

 

しの崎夫人の死亡広告を見、驚きてゆく。[やぶちゃん注:中略。]

 

よを未だき歌子のきみは逝きましぬ

  その望月の花をかたみに

 

[やぶちゃん注:久作はこの前日に香椎に帰着しており、その八日の日記に『しの崎夫人病篤しときく』とある。「しの崎夫人」は既注の、久作が勤めていた『九州日報』主筆篠崎昇之介の夫人歌子。ともに川柳を遊んだ仲間であった。本歌からも分かる通り、未だ若妻であられたようである。但し、この日の月齢を調べたが、「望月」ではない。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

戀人の腹へ馳ケ入りサンザンにその腸を喰うはゞとぞ思ふ。

 

[やぶちゃん注:「サンザン」の後半は底本では「〲」。]

 

ある女の寫眞眼玉に金ペンの赤きインキを注射してみる

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある女の寫眞の眼玉にペン先の

赤いインキを

注射して見る

 

の、ほぼ相同歌。]

 

人の名を二つ三つ書きていねいに抹殺をしてすてる心

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある名をば 叮嚀に書き

ていねいに 抹殺をして

燒きすてる心

 

と酷似する。初案か。]

 

この夫人を殺して逃げる時は今ぞと思ふ應接間かな

 

[やぶちゃん注:二月二十四日の、

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

捕はれてもたき應接間かな

 

の改作。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

劔仙にせんかうを送るとてうつゝなく

  人を佛になし給へ御佩刀近く香まゐらする

 

[やぶちゃん注:「劔仙」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

みはかせもわが焚く香もありがたや

  斷煩惱のにほひありとは

 

いくばくの刀をにらみ殺したれば

  劔仙どのが香をたくらむ

 

人を殺す刀をにらみ殺し來て

  香焚く人の鼻の高さよ

 

この香ひ天狗の鼻がもげたらば

  どうせん香筒にしたまへ

 

 

 

 四月三十日 土曜 

 

わが胸に邪惡の森あり

 時折りに啄木鳥の來てタゝキ止ますも

 

[やぶちゃん注:「タゝキ」の踊り字はママ。「止ますも」もママ。これは後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

わが胸に邪惡の森あり

時折りに

啄木鳥の來てたゝきやまずも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 五月二日 月曜 

 

蛇の仔を生ませたらばとよく思ふ

  取りすましたる少女を見るとき

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

蛇の群れを生ませたならば

………なぞ思ふ

取りすましてゐる少女を見つゝ

 

と酷似する。初案か。]

 

家もあらず妻子も持たぬつもりにて

  後家をからかふ無邪氣なりわれ

 

わが古き罪の思ひ出よみかへる

  ユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

[やぶちゃん注:「ユーカリ」オーストラリアの原産のフトモモ目フトモモ科ユーカリ属 Eucalyptus の仲間。多様な品種を持つ。

本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

わが古き罪の思ひ出よみがへるユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

と出る。]

 

 

 

 五月三日 火曜 

 

頭無き猿の形せし良心が

  女とわれの間に寢て居り

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

頭の無い猿の形の良心が

女と俺の間に

寢てゐる

 

に酷似する。初案か。]

 

このまひる人を殺すにふさはしと

  煉瓦の山の中に來て思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

フト立ち止まる

人を殺すにふさはしい

煉瓦の塀の横のまひる日

 

の類型歌。初案か。]

 

 

 

 五月四日 水曜 

 

慾しくなけれどトマトをすこし嚙みやぶり

  赤きしづくをひたすらみる

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

欲しくもない

トマトを少し嚙みやぶり

赤いしづくを滴らしてみる

 

に酷似。初案か。]

 

 

 

 五月五日 木曜 

 

幽靈のごとくまじめに永久に人を呪ふことが出來たらばと思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

幽靈のやうに

まじめに永久に

人を呪ふ事が出來たらばと思ふ

 

の初案か。]

 

 

血々々と机に書いて消してみる、

 そこにナイフを突きさしてみる

 

ある處に骸骨ひとつ横たはれり、

 その名を知れるものはあるまじ

 

 

 

 五月六日 金曜 

 

觀客をあざける心舞ひながら仮面の中で舌出してみせる

 

[やぶちゃん注:謡曲喜多流の教授であった久作ならではの、「妖気歌」である。日記を見ると、毎日のように稽古しているのが判る。例えば次の七日は「小袖曽我」「安宅」である。]

 

 

 

 五月七日 土曜 

 

何かしら打ちこわし度きわが前を

  可愛き小僧が口笛吹きゆく

 

お母樣によろしくと云ひて實と出でぬ

  心の底の心恐れて

 

何かしら追ひかけられる心地して

  横町に曲り足を早むる

 

何故に草の芽生えは光りを慕ひ

  こころの芽生えは闇を戀ふらむ

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

何故に

草の芽生えは光りを慕ひ

心の芽生えは闇を戀ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月八日 日曜 

 

◇星の光り數限り無き恐ろしき

  罪を犯して逃げてゆくわれ

 

 

 

 五月九日 月曜 

 

殺したくも殺されぬこの思ひ出よ

  闇から闇へ行く猫の聲

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

殺したくも殺されぬ此の思ひ出よ

闇から闇に行く

猫の聲

 

のほぼ相同歌。]

 

よく切れる剃刀を見て鏡見て

  わざと醜くあざわらひみる

 

[やぶちゃん注:昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

よく切れる剃刀を見て

鏡をみて

狂人のごとほゝゑみてみる

 

の類型歌。初案か。]

 

落ちたらば面白いがと思ひつゝ

  煙突をのぼる人をみつむる

 

つけ火したき者もあらむと思ひしが

  そは吾なりき大風の音

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

放火したい者もあらうと思つたが

それは俺だつた

大風の音

 

という、口語化されたものの初案か。]

 

セコンドの音に合はせて一人が死ぬといふ

  その心地よさ

 

 

 

 五月二十四日 火曜 

 

眼の前に斷崖峙つ惡の主なり

 ひて笑へるごとく

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

眼の前に斷崖が立つてゐる

惡念が重なり合つて

笑つて立つてゐる

 

という口語体の初案か。]

 

善人は此世になかれ此世をば

  ぬかるみのごと行きなやまする

 

泥沼の底に沈める骸骨を

  われのみひとの夢に見居るか

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火口あたりつゝあくびするわれ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

獸のやうに女に飢ゑつゝ

神のやうに火にあたりつゝ

あくびする俺

 

の初案か。にしても「火口あたりつゝ」は不詳で、「ほくち」でもおかしい。この後の口語体のそれから察するに、底本編者に失礼乍ら、これは、

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火にあたりつゝあくびするわれ

 

の誤判読或いは誤植ではなかろうか?]

 

淸淨の女が此世にありといふか

  影なき花の世にありといふか

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

淸淨の女が此世に

あると云ふか……

影の無い花が

此世にあると云ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月二十五日 水曜 

 

村に住む心うれしも村に住む

  心悲しも五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:本歌は先に出した、昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

村に住む心うれしも村に住む心悲しも五月晴れの空

 

と出る。]

 

聖書の黑き表紙の手ざはりよ

  血つふれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「血つふれば」不詳。]

 

ぐるぐると天地はめぐるか子がゆえに

  眼くるめき邪道にも入れ

 

[やぶちゃん注:「ゆえ」はママ。「ぐるぐる」の後半は底本では「〱」。この一首は昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ぐるぐるぐると天地はめぐる

だから俺も眼がくるめいて

邪道に陷ちるんだ

 

の初案か。]

 

 

 

 五月三十日 月曜 

 

ばくちうつ妻も子も無き身をひとつ

  ザマアみろとやあさけりて打つ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ばくち打つ

妻も子もない身一つを

ザマア見やがれと嘲つて打つ

 

の初案か。]

 

心てふ文字の形の不思議さよ

  短劒の繪を書き添えてみる

 

惡心のまたもわが身にかへり來る

  電燈の灯の明るく暗く

 

警察が何だと思ひ町をゆく

  わがふところのあばら撫でつゝ

 

ぬすびとのこゝろを持ちて町をゆく

  月もおほろに吾が上をゆく

 

 

 

 五月三十一日 火曜 

 

村に住むことが嬉しも村に住むことが悲しも

  五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:五月二十五日に、『村に住む心うれしも村に住む/心悲しも五月晴れの空』で出ているものの改作案らしいが、よくない。そちらで注したように久作も前作を後に採っている。]

 

バイブルの黑き表紙の手ざわりよ

  まなこつぶれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「手ざわり」はママ。五月二十五日の意味不明の『聖書の黑き表紙の手ざはりよ/血つふれば赤き血したゝる』の改稿。腑に落ちる。先の「血」は単に久作の「眼」の誤字か。]

 

その時の妄想またもよみがへる

  日記の白き頁をみれば

 

新聞の記事讀むごとくしらじらと

  女のうらみきゝ居れり冬

 

 

 

 六月七日 火曜 

 

眼も見えぬ赤子に幟見上げさせ

 

子供だから仕方が無いと子供云ひ

 

 

 

 六月八日 水曜 

 

子を抱いた奴は洗はず湯に這入り

 

生れたが不思議のやうに子を眺め

 

ほとゝぎす歌にはちつとみしか過ぎ

 

歌にならむ句にならむ鼻毛拔きはじめ

 

助かり度い一心でよむ歌もあり

 

衣通姫小町今では晶子と來(き)

 

[やぶちゃん注:「衣通姫」「そとほり(そとおり)ひめ/そとほし(そとおし)ひめ)は記紀にて伝承される女性。ウィキの「衣通姫」より引く。『衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される』。「古事記」では、『允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する』。「日本書紀」では、『允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという』とする。『紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されている』。より具体な伝承がウィキの「衣通姫伝説に出るので参照されたい。]

 

 

 

 六月二十三日 木曜 

 

火消壺叱られながら思ひ出し

 

壺すみれなぞと芭蕉が小便し

 

[やぶちゃん注:スミレ目スミレ科スミレ属ツボスミレ Viola verecunda 。この下世話な川柳は芭蕉の「野ざらし紀行」の、

 

 山路來て何やらゆかしすみれ草

 

に、「小便」「壺」に、植物名の「菫」と「芭蕉」を対峙させて滑稽を狙ったものであろうが、どうも下品でよろしくない。]

 

砂糖壺一番高い棚に上げ

 

糞壺でもがいてゐたらめがさめた

 

骨壺をのぞいては泣く芝居也

 

骨壺を楯に乘り合ひ追拂ひ

 

壺なぞを作つて天才飯を食ひ

 

朝鮮は壺で名高い國になり

 

長紐から小壺まで賣れぬ覺悟也

 

[やぶちゃん注:意味不詳。識者の御教授を乞う。]

 

骨壺が遺留が殖える世ち辛さ

 

[やぶちゃん注:欲二十四日の日記に、夜、川柳の原稿書き』とあり、以下に見るように、ここに始まる「壺」題の川柳群がしばらく続いている。因みに、この前日には例の友人篠崎の亡き歌子夫人の追悼川柳会が行われ、久作が参加していることが日記からも判る。この時の詠んだ川柳は先に出した(私のブログ版では「夢野久作川柳集)。]

 

 

 

 六月二十八日 火曜 

 

思ふまま壺ニヤリニヤリとわきを向き

 

[やぶちゃん注:「ニヤリニヤリ」の後半は底本では「〱」。]

 

思ふ壺大上段に打ち

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

毒藥を入れた壺だと黑いこと

 

跡の小便壺とと露知らず

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

大古の小便壺を掘り出し

 

[やぶちゃん注:「大古」はママ。]

 

貯金壺いろんなものでかきまはし

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

小姑は小壺まで□□ろげてゐる

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。この句、バレ句の可能性が高いように思われる。]

 

 

 

 六月二十九日 水曜 

 

壺燒屋はゐっても又讀んでゐる

 

吾事のやうに壺皿ポンとあけ

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 

 六月三十日 木曜 

 

春の雨、沖合遠、煙吐舷いつまでも動かむとせず。

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

 

 

 七月一日 金曜 

 

仔細らしく時計や音をつまむでゐ

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

暑いこと向家も電氣まだ消さず

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 七月十五日 金曜 

 

橋渡しけふも白足袋穿いてくる

 

橋へ乘つてる奴がイツキ釣り

 

[やぶちゃん注:「イツキ」は「居付き」で、回遊せずに海底の岩の根などに棲みついている魚類の謂いか。]

 

けふも又あの狂人が町を行き

 

 

 

 八月一日 月曜 

 

父母の歸らす時の過ぐるまで

  机に凭りて腕くみて居り

 

この夜では吾あしかむ父母の床を

  ひとりこもればまた忘れつる

 

夜の風に鼻赤くして芝居より

  歸らす父よ長生ましませ

 

父と母と夕餉の箸を揃へつゝ

  ものもえ云はす笑みたまひけり

 

 

 

 八月二日 火曜 

 

禿頭の父は老いたりまばらなるこめかみ肉いたく落ちます

 

水汲まんと父呼ばします夕近くたゝみの上に汗ばみて居り

 

 

 

 八月十六日 火曜 

 

毛斷はボンノクボから風邪を引き

 

[やぶちゃん注:「毛斷」は恐らく「モダン」或いは「モーダン」と読み、大正期のモガの、ショートカットのことを指すように思われる。]

 

まあ辛抱してみろとといふ風が吹き

 

筥松まで風邪引いてねと記者が云ひ

 

[やぶちゃん注:「筥松」これは「はこまつ」で、現在の福岡市東区箱崎に鎮座する日本三大八幡宮(後の二つは京都府八幡市の石清水八幡宮と大分県宇佐市の宇佐神宮)の一つである筥崎宮(はこざきぐう)にある「筥松」のことであろう。同神社の楼門の右手に朱の玉垣で囲まれてある松の木で、神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えたとも、また、応神天皇が埋納したという戒定慧(かいじょうえ)の三学(さんがく)の箱が埋められているとも伝えられる神木である。三学とは、「涅槃経」の「獅子吼菩薩品」に説かれた、仏道修行に於いて修めるべき基本的な修行である戒学(戒律:身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止めて善を修すること)・定学(禅定:心の乱れを去ること)・慧学(智慧:煩悩を去って総ての実相を見極めること)の三つを指す(ウィキの「筥崎宮」及び「三学」を参照した)。]

 

鷄が風邪を引くほど世が進み

 

 

 

 八月十七日 水曜 

 

つむじ風乞食は平氣で通り拔け

 

風上に置かれぬ奴と手酌也

 

筥入りが或る夜ひそかに風邪を引き

 

[やぶちゃん注:前の「筥松」をさらに茶化したか。]

 

汽車の中で風邪引いたと噓を吐き

 

[やぶちゃん注:これも何となく艶笑川柳っぽい気がする。]

 

 

 

 八月十八日 木曜 

 

乞食風吹かせて人を睨むでゐ

 

乞食風立派な人をよけさせる

 

大學風看護婦がイツテ吹かせてゐ

 

施療患者大學風にんずる

 

[やぶちゃん注:判読不能字は「甘」か。]

 

 

 

 八月十九日 金曜 

 

女中風御用聞には吹かせてゐ

 

上は役の風が吹き止む笛が鳴り

 

橋の風忘れたものを思ひ出し

 

上官風奥樣風に寄りつけず

 

 

 

 八月二十日 土曜 

 

風を喰ひ喰ひ諸國を渡るスゴイ奴

 

[やぶちゃん注:「喰ひ喰ひ」の後半は底本では「〱」。]

 

無い風に吹きまはされて無心に來

 

女中風勝手口だけ吹かせてゐ

 

 

 

 八月二十一日 日曜 

 

煽風機行司のやうに首を振り

 

振り袖に一パイの風持てあまし

 

白切符風を喰った奴が買ひ

 

[やぶちゃん注:旧日本国有鉄道の三等級制時代に於ける最上級の一等車の乗車券。客車の帯の色に基づく呼称であるが、実際の切符の色は黄色であった(二等は「青切符」、三等は「赤切符」と呼ばれた。ここはウィキの「一等車」に拠った)。]

 

玄關の風を喰って奥へ逃げ

 

 

 

 九月六日 火曜 

 

外道祭文キチガヒ地獄

 

[やぶちゃん注:前の日記文に『終日、狂人原稿書き』とある。ここまで同じような記載が散見され、「ドグラ・マグラ」への産みの苦しみが良く分かる。示したそれについても、底本の杉山龍丸氏の註解には、『「ドグラ・マグラ」の中にある一篇、精神病院や社会での狂人扱いに多くの不詳事件があることを明らかにした章』とある。確かに「ドグラ・マグラ」の最初のブットビのクライマックスの作品内「標題」として無論、私も分かっているのであるが、この頭の『』は、久作は日記内では一貫して詩歌の頭に配しているそれであること、決定稿の「ドクラ・マグラ」ではそれは『キチガヒ地獄外道祭文』となっていることから、私は以上を一種の川柳様の一句として採ることとした。因みに、翌九月七日の日記には、『外道祭文を書く』と記されてある。大方の御批判を俟つものではある。]

 

 

 

 十月四日 火曜 

 

オホツクの海に春來り、雪解けぬれば、

南風に帆を孕ませてゆく帆綱を鳴らす風の音に

夢を破られて舳に立てば黑潮の碎くるたまさかに

わがくろ髮を濡らすあはれノーザンクルスの冷たき冴え

 

[やぶちゃん注:当日の日記の最後の一行を除いて引いた。明らかに自由詩の形式をとっており、この日記の中ではすこぶる特異点であるからである。この後には一行空けて、何時もの日記のように、『母里君來る。豚を食ひ、懷舊談をする。』というメモランダの記載をして終わっている。

 なお、以下、次の十二月二十三日までの日記中には、詩歌と認められるものは記されていない。]

 

 

 

 十二月二十三日 水曜 

 

秋深し皷に觸る袖の音

 

 

 

 十二月十日 土曜 

 

吾嬉しき夢を祕して他人の嬉しき夢をきゝたがり乙女心のおもしろさ

 

十九の娘雪の夜の怪をきゝワツと云はれてハツと眼を押へたる刹那白皚々たる雪景眼の前に展開したりと

 

[やぶちゃん注:「皚々たる」「がいがいたる」と読む。霜や雪などが一面に白く見えるさまをいう。さても「白皚々たり」を有意に「しろがいがいたり」と読むように示すネット・ページが多いが、私は従えない。これは「はくがいがいたり」と読むべきであろう。花咲か爺さんの犬じゃねえんだって。]

 

 

 十二月二十一日 水曜 

 

 猩々の囃子しらべ――

 夜節季の話をする。空晴れ、夕日キラキラと沈み、靜かなる冬の一日なりき。

 

 雲一つみかんの畠をよぎりゆきて

   靜かなる冬の日は暮れにけり

 

[やぶちゃん注:日記全体を示した。言わずもがな、「猩々」は謡曲の名である。「キラキラ」の後半は底本では「〱」。なお、これまで述べてこなかったが、底本では殆んど総ての詩歌全体が各日記内では一字分、下がっている。ここだけそれを再現しておいた。この短歌が昭和二(一九二七)年の日記中の最後の詩歌である。]

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