生物學講話 丘淺次郎 第十七章 親子(4) 二 子の保護(Ⅲ)
[たつのおとしご(左) やうじうを(右)]
[腹に卵を著ける魚]
[とげうを]
[やぶちゃん注:以上、三図は総て国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えた。]
魚類も殆ど悉く卵を産み放すだけで、親が子を保護するやうな種類は滅多にない。しかしよく調べて見ると、全くないこともなく、しかも意外な方法で子を保護するものがある。例へば「たつのおとしご」や「やうじうを」の雄は、雌の産んだ卵を自分の腹の外面にある薄い皮の囊に受け入れ、幼魚が孵化して出るまでこれを保護する。兩方ともに殘い海底の藻の間に住む魚類で、別に珍しいものでもないが、一寸變つた形をして居るから、見慣れぬ人には珍しく見える。「たつのおとしご」の雄の腹の囊を開いて見ると、中に赤い卵が四五十粒もあるが、普通の魚類が一度に幾十萬の卵を産むのに比べると、頗る少いといはねばならぬ。「やうじうを」のは幾らか多いが、それでもなほ少い。海藻の間に居る魚には雌の腹鰭が左右寄つて囊の如き形となり、その内に卵を入れて保護する種類もある。また「はぜ」に似た魚で、卵を體の腹面に附著せしめて保護するものもあり、外國産の魚には雌の産んだ卵を雄が口中に銜ヘて保護するものさへある。巣を造つてその内に卵を産むものは魚類には甚だ稀であるが、その中で、淡水産の「とげうを」類が最も名高い。この類は恰も鰹を小さくした如き形の魚で、諸處の水の綺麗な池や川に居るが、産卵期になると雄は腎臟から出る粘液を用ゐて、水草の莖などを寄せ集めて圓い巣を造り、雌を呼び來つてその内に卵を産ませ直にこれを受精して、その後は絶えず近邊に留まつて番をして居る。なかなか勇氣のある魚で、指で巣に觸れでもすると、直に脊の棘を立てて攻めて來る。親魚の大きさに比べると割合に大さな卵で僅に百か百五十位より生まれぬ。
[やぶちゃん注:「たつのおとしご」「やうじうを」孰れも同所に既注。
「海藻の間に居る魚には雌の腹鰭が左右寄つて囊の如き形となり、その内に卵を入れて保護する種類もある」これは幾種かが考えられるが、育児囊が腹鰭の変形によるものであること、藻場或いはそれに準ずる海域を生息域とすることから、
新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ上科カミソリウオ科カミソリウオ属 Solenostomus
を挙げておく。和名カミソリウオは細長い体型に由来するものと思われ、参照したウィキの「カミソリウオ科」によれば、科名 Solenostomidae の由来は、『科名の由来は、ギリシア語の「solen(パイプ)」と「stoma(口)」から』とある。カミソリウオ科はカミソリウオ属一属で構成され、総て熱帯性沿岸魚で、四乃至五種が記載されている。日本近海には、
カミソリウオ Solenostomus cyanopterus
ニシキフウライウオ Solenostomus paradoxus
ホソフウライウオ Solenostomus leptosoma
の三種が棲息する。♀は『腹部に変形した腹鰭によって形成された育児嚢をもち、受精卵を保護する習性があ』り(下線やぶちゃん)、近縁のヨウジウオ科(以下に記載)では育児嚢を持つのは雄♂であるが、『本科では逆になっている』とある。なお、上記のヨウジウオ上科ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の育児嚢は♂が若い頃から形成が始まり、これは体の左右の皮褶(ひしゅう)が腹部正中線で完全に合わさって形成されたもので、その先端に小孔が開いている。一方、ゲウオ目ヨウジウオ科ヨウジウオ属ヨウジウオ Syngnathus schlegeli のそれは、卵の周囲に表皮が被さるように形成される被服型であって、タツノオトシゴのように袋状に閉鎖していない。また、先のリンク先の注で「海藻魚」に同定したヨウジウオ科ヨウジウオ亜科 Phycodurus 属リーフィー・シー・ドラゴン
Phycodurus eques の場合は育児嚢は未発達で、尾の近くの表皮上に卵を載せて接着させるだけで、卵自体はは露出している。ここは「上智大学分子進化学研究室」公式サイト内の「繁殖戦略はどのように進化したのか?」を参考させて頂いた。
『「はぜ」に似た魚で、卵を體の腹面に附著せしめて保護するもの』図にでるものであるが、同定し得なかった。描かれた魚体からは条鰭綱ナマズ目 Siluriformes のようにも見える。識者の御教授を乞う。
『外國産の魚には雌の産んだ卵を雄が口中に銜ヘて保護するものさへある』これは所謂、口内保育、マウスブルーディング(mouth brooding)をする魚類で、こうした特異な育児法を採る生物をマウスブルーダー(mouthbrooder)と呼ぶ。両生類ではチリやアルゼンチンの森林の小川に棲息する無尾目カエル亜目ダーウィンガエル科ハナガエル属ダーウィンハナガエル Rhinoderma darwinii が知られる(本種はウィキの「ダーウィンハナガエル」によれば、メスは約三十個の『卵を産み、オスは卵が孵化するまで、おおよそ』二週間、『それを守る。その後、オスは鳴嚢の中で生き残った全ての子供を育てる。オタマジャクシは卵黄を食べながら、袋状の顎の皮膚の中で成長する。オタマジャクシが』一・二七センチメートル程度まで『成長すると、口の中から飛び出て泳ぎ去る』とある)。マウスブルーディングをする魚類は意外に多く、ウィキの「マウスブルーダー」によれば、『淡水魚・海水魚問わず様々な種類の魚がそれぞれ異なる進化の過程で口内保育を行うようになり、その保育形態もいくつかのパターンに分かれる』とし、『口の中に卵があれば、外敵に卵を食べられる恐れはなく、仔魚になってからも、周辺に危険が迫ると口の中に隠れることで、捕食される確率は大幅に下がる。ただし、卵および子供の総量は親の口腔内部の大きさで制限される。また、親はその間の採餌が困難になる』。『托卵する魚の中にはマウスブルーダーに托卵することにより自身の卵を守らせ、そして托卵した魚の稚魚を餌に成長していくものもいる』。タンザニア西端にある淡水湖タンガニーカ湖に生息する条鰭綱ナマズ目サカサナマズ科シノドンティス属シノドンティス・マルチプンクタータス(Synodontis multipunctatus) 『がその代表例』とし、彼らは、マウスブルーダーである
条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目ベラ亜目カワスズメ(シクリッド)科 Cichlidae のシクリッド類(タンガニーカ湖産の Cyphotilapia 属 Cyphotilapia frontosa などか)
に自らの卵を寄託する托卵を行うとある。本邦産のマウスブルーダーとしては、
スズキ目スズキ亜目テンジクダイ科テンジクダイ亜科テンジクダイ属テンジクダイ Apogon lineatus
が最も知られるものの一種であろう。ウィキの「テンジクダイ」によれば、『日本など太平洋北西部を中心に分布する。分布域は広く北海道噴火湾以南から台湾、中国、フィリピンなどに分布が広がる。この種は内湾から水深』百メートル付近の『砂泥底に生息し、あまり浅いところや岩礁域、漁港などではあまり見られない。大きな大群で沖合いを回遊しながら生息していると思われる。そのため、一般の人が目にする機会が少ない種であるが、意外なことに東京湾内は本種が生息している』。『関西、岡山・広島県の備後地方では「ねぶと」(広島県の備後地方以外「ねぶとじゃこ」)とよばれ、他に「いしもち」(岡山、香川)、「めぶと」(岡山県の一部地域)、「めんぱち」(広島県の一部地域)などがある』。『最大体長』十センチメートルほどの夜行性の小型魚類で、淡黄色の体色を持ち、『体側に暗色の細い横帯が』十本『近くある。背びれ棘の上縁部が暗色』、同類のテンジクダイ属ネンブツダイ Apogon semilineatusと比べると、『色合いが地味で目立ちにくく、意外と数も多く捕獲されているが知らない人も多い。比較的沖合いの深い所を好むため目にすることが少ない。そのためか、生きている姿も普段見ることもない』。『親魚が受精卵を孵化するまで口にくわえて保護する、いわゆるマウスブルーダーを行う。卵の保護は雄が行うと推測されている』(下線やぶちゃん)。
「とげうを」条鰭綱トゲウオ目トゲウオ亜目トゲウオ科 Gasterosteidae に属する魚類群。ウィキの「トゲウオ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を省略した)、『トゲウオ類はすべての種が、雄による巣作りと卵塊の保護を行う。海産種は海藻を、淡水産種は水草または水底を利用した巣を形成する。本科魚類は進化学・遺伝学・動物行動学・生理学の研究対象として古くから利用され、多くの業績が導かれている。オランダの動物行動学者であるニコ・ティンバーゲンは、イトヨの本能行動を詳細に解析した研究により、一九七三年のノーベル生理学・医学賞を受賞している『トゲウオ類、特にイトヨ属の雄が示す繁殖行動の特徴として、鮮やかな婚姻色、分泌物を利用した巣作り、求愛のダンス、および卵の世話が挙げられる。繁殖期を迎えた雄の腹部は赤色を呈し、水底に縄張りを形成するようになる。腎臓から分泌される特殊な粘液状の物質(グル―)を使って巣作りをし、ジグザグに泳ぐ独特なダンスによって雌を呼び込む。背鰭の棘条で突き上げる仕草(ブリッキング)によって巣に誘導された雌は、数十秒かけて産卵した後ただちに雄から追い立てられ、子育てに参加することはない』。『こうして何匹かの雌に卵を産ませると、雄は巣をグル―によってさらに固め、卵塊を保護する。雄は鰭を使って卵に新鮮な水流を送り(ファニング)、胚発生が進むにつれて徐々に巣を壊し、充分な酸素が供給されるようにする。孵化した仔魚はしばらく巣にとどまり、離れた仔魚を雄が口に入れて連れ戻す姿が観察される』。『本科の中で最も原始的な群とされるウミトゲウオでは、繁殖行動はやや単純化されている。海産の本種は藻場に縄張りをもち、海藻の根元に鳥の巣に似た巣を形成する。雄は求愛のダンスはせず、巣に近づくものは雌雄を問わず攻撃する。産卵の意思をもつ雌は攻撃にひるまず、これを確認した雄は吻を巣に突っ込んだり、雌の尾柄をかんだりして巣に誘導する。産卵と受精が済むと、イトヨと同じように雌は雄の攻撃によってすぐに巣から追い払われる。これを何度か繰り返した後、雄はファニングで新鮮な水を卵塊に送り、胚の成長につれてその頻度が増加する』。『ウミトゲウオの雄は他の巣に産み付けられた卵を奪い、元親に代わって育てるという特異な習性も知られている。この習性の意義はよくわかっていないが、繁殖経験を有する(強い)雄であることを雌にアピールしている可能性が指摘されている』とある。本邦産はイトヨ属の二種、
イトヨ Gasterosteus aculeatus
ハリヨGasterosteus
microcephalus
及びトミヨ属の五種、
トミヨ Pungitius sinensis
エゾトミヨ Pungitius tymensis
キタノトミヨ(イバラトミヨ)Pungitius
pungitius
ムサシトミヨ
Pungitius sp.(学名未定)
ミナミトミヨ Pungitius kaibarae
の計二属七種が報告されているが、この内、ムサシトミヨは『埼玉県の一部(熊谷市)にしか生息しない日本の固有種で』、『関西地方に分布していたミナミトミヨ』は残念ながら一九六〇年代までに『絶滅したとみられている』。『日本のイトヨには陸封型と降海型の二グループが存在する。生涯を淡水域で送る陸封型は北海道(阿寒湖など)と本州(福島県・福井県など)の内陸部に、海で成長して産卵期に河川に遡上する降海型は北海道・本州の平野部に分布する。これに加えて、イトヨは日本海型と太平洋型という遺伝的に異なる二型にも分けられ、両者に生殖的隔離が存在することが明らかにされている。ハリヨは滋賀県ならびに岐阜県に分布し、後者の生息地はトゲウオ科魚類の南限の一つとみなされている』。『トミヨ属の残る三種は、エゾトミヨが北海道、トミヨとイバラトミヨはそれぞれ福井県以北、新潟県以北の河川に分布する。このうちイバラトミヨは秋田県雄物川水系と山形県のみに生息する「雄物型」』(おものがた:イバラトミヨ(通称ハリザッコ)と呼ばれていた五センチメートルほどのトゲウオ科の淡水魚で、秋田県内にはトミヨ属淡水型もいるが、雄物型は分布が雄物川水系に限定される希少種である。環境省の「レッドデータブック」では絶滅危惧1A類(近い将来、絶滅の危険性が極めて高いグループ)に指定されている。ここは『朝日新聞』の「キーワード」の解説に拠った)『と、「淡水型」および「汽水型」に分けられ、それぞれが独立種である可能性が指摘されている。それぞれ単独の種として記載されておらず、いまだ学名をもたない』とある。]
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