日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(30) 東京女子師範学校全焼す
図―739
高嶺氏が校長をしている女子師範学校が焼け、古い支那学校に近い美しい会堂も焼けて了った。支那学校は幸にして助かった。この火事の熱は恐しい程で、消防夫が近づいて仕事をすることが出来なかった。消防夫が示す勇気は無限ではあるが、いくら勇気があっても、使用する適当な武器が無くては、何にもならぬ。図739は、この火事の時急いでした写生図である。
[やぶちゃん注:モース先生は正直、火事場がお好きで、即座に現場に趣き(消火後の火事場後整理も含まれる)、何枚も消火活動をスケッチされておられる。但し、ここにあるように火消しの勇気を讃えはするものの、龍土水のパワーの無さや、日本の延焼防止を主とした家屋破壊型の消火作業に対しては概ね前近代的で改良の余地がかなりあるといったスタンスを持っておられる。
「女子師範学校」現在の東京都文京区湯島にあった東京女子師範学校。明治七(一八七四)年に設立された官立師範学校で、この後の明治一八(一八八五)年に東京師範学校に統合され、その後の明治二三(一八九〇)年に女子高等師範学校として分離改組され、更に明治四一(一九〇八)年には東京女子高等師範学校に改称された、現在のお茶の水女子大学の旧制前身校である。
「支那学校に近い美しい会堂」東京に冥い私には不詳。識者の御教授を乞う。
「古い支那学校」湯島にあった旧孔子廟、湯島聖堂。]
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