日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(21)
私は竹中に、米国の男の子は、非常に小さい時には、人形や紙の兵隊を持って遊ぶと話した。彼は、武士の男の子供達は、断じて人形やそんな様な物を持って遊ぶことは許されず、彼等の教育は、彼等を武士とすることを目的として行われ、他の人々が笑う時でも真面目でなくてはならぬのだといった。食事の時には、男の子達は、若し話をするにしてもそれは極めて稀で、だから外国人が食事中喋舌(しゃべ)り続けることが、非常に妙に感じられる。彼等にとっては、我々の冗談のある物を了解することが困難であり、我々が「茶化す」と称するところのものは彼等にはまったくわからない。
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