「笈の小文」の旅シンクロニティ――星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉
本日 2015年12月11日
貞享4年11月 7日
はグレゴリオ暦で
1687年12月11日
星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉
講談社学術文庫版山本健吉「芭蕉全発句」には、鳴海滞在中のこの日、先の寺島菐言の分家であった根古屋寺島安信亭で巻いた歌仙の発句がこの句であるとする(但し、サイト「俳諧」の「笈の小文」では九日とする。同歌仙の全容は同サイトのこちらで見られる)。ここは後に掲げる本貞享四年の奥書を持つ如行(じょこう)編の「如行集」の前書に従い、七日と採る。
「笈の小文」では、既に述べた通り、この句を前にし、二日前に読まれた「京までは」を後に回すという文学的操作が行われている。
鳴海にとまりて
星崎の闇を見よとや啼く千鳥
飛鳥井雅章公の此宿にとまらせ給ひて、都も遠くなるみがたはるけき海を中に隔てて、と詠じ給ひけるを、自ら書かせ給ひて賜はりける由を語るに、
京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲
中村俊定校注岩波文庫版「芭蕉俳句集」(一九七〇年刊)によれば、如行編「如行集」には、
貞享四年卯十一月七日鳴海
とする(これを七日の根拠とした)とあり、さらに「伊良湖崎」(子礼編・宝暦九(一七五九)年自序)には、
笠寺
と前書するとある。この「笠寺」とは一般に「笠寺観音」の通称で知られる、尾張四観音の一つである、愛知県名古屋市南区笠寺町にある真言宗智山派の天林山笠覆(りゅうふく)寺を指す。さらに山本氏の「芭蕉全発句」によれば、「如行集」の別写本とされる「如行子」には、
ね覺は松風の里、よびつぎは夜明てから、
かさ寺はゆきの降(ふる)日
と前書するとあり、『松風の里・呼続・笠寺・星崎は、すべて鳴海附近の地名で、おそらく連衆の間での座談に出た諧謔であろう。前書』の「鳴海にとまりて」『から続けて、星崎は星さえ見えない闇の夜がよい、と言ったの』であるとする。「闇を見よ」というのは私には芭蕉の公案と思えてならない。
□「笈の小文」やぶちゃん注(「飛鳥井雅章」以下、「京まではまだ半空や雪の雲」の評釈はブログ・カテゴリ「松尾芭蕉」の前記事を参照されたい)
「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」新潮社日本古典集成版の富山奏校注「芭蕉文集」(昭和五三(一九七八)年刊)の評釈には『鳴海は千鳥の名所であるが、単なる歌枕ゆえの吟ではなく、「闇を見よとや」の語には、古歌の類型的抒情(じょじょう)を踏み越えた切実な寂寥感(せきりょうかん)は表白されていると記す。
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