深夜の耳(村山槐多自筆草稿断片より 附「深夜の耳」やぶちゃん完全復元版)
深夜の耳(村山槐多自筆草稿断片より 附「深夜の耳」やぶちゃん完全復元版)
深夜の耳
奇妙な金色の耳が何かしらにじっときき澄まして居る
ぴくぴくと動いて居る。深い深い夜中の闇に、
なる程ある幽かなれど滋味ある物音が傳はって來
るのだ、遠くから、まるで世の果からでも來る樣な
遙けさの、耳はしきりにそれを明にせんとしてもがく、
その物音の端で私は恐ろしい物にさぐりあてた、
そこには一人の力強い男がかよわい女の身体の上に乘り
上がって不思議にも美しい運動をやって居たのであ
る、
[やぶちゃん注:県立三重美術館蔵「詩『深夜の耳』」の手書き稿を視認して起こした(リンク先は同美術館公式サイトの拡大画像)。字配もそのままである。使用漢字はなるべくそのままのものを採用したが、「様」「乗」の略字などは正字化した)。なお、標題の「深夜の耳」の前行には「夜」の右手と「の」との間辺りにㇾ点のようなマーキングが二つ続いてある。
これは現行の長詩「深夜の耳」の第一連目であるが、驚くべきことに、現行の平成五(一九九三)年彌生書房刊の「村山槐多全集 増補版」では、ここは、
奇妙な金色の耳が何かしらにじつときき澄まして居る、ぴくぴくと動いて居る。深い深い夜中の闇に、なる程ある幽かなれど滋味ある物音が傳はつて來るのだ、遠くから、まるで世の果からでも來る樣な遙(はる)けさの、耳はしきりにそれを明にせんとしてもがく、その物音の端では私は恐しい物にさぐりあてた、
そこには一人の力強い男がかよはい女□□□□□□□□□□□□不思議にも美しい□□□□□□□□のである。
のように伏字にされてしまっているのである!
なお他に、
「その物音の端で私は」は 全集では「その物音の端では私は」
「恐ろしい物」は 全集では「恐しい物」
「かよはい女」は 全集では「かよわい女」
「運動をやって居たのである、」は 全集では「運動をやって居たのである。」
となっている。
さても! 我々は遂に完全なる村山槐多の「深夜の耳」に出逢うことが出来たのである!
無論、上記の異同から、これは草稿であって決定稿ではない可能性もあるが(但し、異同箇所を御覧戴ければ分かる通り、草稿の方がほぼ正しいではないか!)、少なくとも訳の分からない、読もうとする意欲を殺ぐ伏字を除去することがこれで出来る――因みに伏字のマスの数はこの草稿の同箇所と同字数なのである!!――のである!
ここに伏字を復元した上記と全集の二連以降を恣意的にジョイントして私なりの完全版の「深夜の耳」として、以下に示すこととする(復元第一連の拗音はママとしたが、改行部を全集のそれと比較して繋げておいた。その際、「じっときき澄まして居る」の後は一マス空けた)。
深夜の耳
奇妙な金色の耳が何かしらにじっときき澄まして居る ぴくぴくと動いて居る。深い深い夜中の闇に、なる程ある幽かなれど滋味ある物音が傳はって來るのだ、遠くから、まるで世の果からでも來る樣な遙けさの、耳はしきりにそれを明にせんとしてもがく、その物音の端で私は恐ろしい物にさぐりあてた、そこには一人の力強い男がかよわい女の身体の上に乘り上がって不思議にも美しい運動をやって居たのである、
×
環状の燈光はわが眼うばひ
撒いた樣に町の上に
荒木町の上に
三味線のひびきは耳に
辛いたばこは口に
夜の窓が私は好きだ
×
わが命は燃えさかる
靑空のかなたに延ぶ
女の股より頭に突拔く
白と赤との境に輝やく
ああああ狂ほしくも
幽靈の如く人魂の如し
また鐵工場の火花の如し
強く鋭とくあつし
音して燃ゆる命よ
音させて投げ
音させて物をくだかん
ダイナマイトの如きわが命
戀よ戀よ戀よ
酒よ酒よ酒よ
わが命を消し止めよ
苦し苦し苦し
×
どうするんだい、
どうするんだい、
女がどなる
金切聲でどなる
美しい男をとらへて
怒る樣に泣く樣に
腐つたざくろがちぎれておちた、
紫のあぶくが空に浮く
苦しい血つぽい夕ぐれだ、
女がどなる
金切聲でどなる
小鳥の樣な男をつかまへて
あまえる樣にいぢめる樣に
ああああ
聞く身の辛さよ。
×
裸の女がうんと
薄着をして神樂坂を歩く
そいつらは香水の瓶の樣に
樣々なにほひを空に殘こす
ああ惡鬼、雌の鬼ども
そいつらはそいつらは
眞白い顏には熱がさし
につと薄明りの中に笑ふ
笑つてばかり居る
それから瞳だ、ぴくぴくとしだらなく
美しくなまめかしく
氣をそそるではないか、
にぎやかな夜の空氣
消えては起る蓄音機のうた
藝者が紫の花をちぎりすてた
すつと女の一群が飛んだ、
*
素晴らしい! 実に素晴らしい! 新しい槐多が蘇生した!]
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