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2016/01/01

梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注 (2)

 

 枕崎から汽車に乗って、或る小さな町についた。そこでバスに乗り換えるのである。しかし日に一回のそのバスが、もはや、通過したあとであった。

 軍隊のトラックを呼び止めて、それに便乗する手は残っていた。しかしそれも物憂(ものう)く、街の中央にある旅館に入って行った。そして飯をたべた。縁側に立って、夕方の空のいろを眺めていると、通りかかった若い海軍士官が私に声をかけて来た。私は、私の旅行の用向きを答えた。それから此の士官の部屋に行き、煎豆(いりまめ)を嚙みながら、暫(しばら)く雑談をした。

 やはり坊津の、山の上にある挺身(ていしん)監視隊長、谷中尉と言った。背が低い、がっしりした、眼の大きい男である。二十三四歳に見えた。先日、博多が空襲にあった際、博多武官府にいたと言う。その時の話をした。博多は、私の古里であり、博多にいる私の知己や友人のことを思い、心が痛んだ。

「美しく死ぬ、美しく死にたい、これは感傷に過ぎんね」

 谷中尉は、煎豆(いりまめ)の殻(から)をはき出しながら、じろりと私の顔を眺め、そう言った。

 日が暮れた。そして一泊することに、心をきめた。遊ぼうと言うので、宿屋を出て、駅の裏手にあるという妓楼に出掛けて行った。宿の婢(おんな)に教えられた家は、暗い路の、生籬(いけがき)に囲まれた、妓楼らしくもないうらぶれた一軒屋である。前の崖の下を、煙突から赤い焰(ほのお)をはきながら、機関車がゆるゆる通る。パッと火の粉が線路に散ったりした。星の見えない空には厚い雲の層が垂れているらしかった。

 妓(おんな)が一人しか居なかったのだ。そして、酒はなかった。

 谷中尉の発議で、私が籖(くじ)をつくった。此のような場所で女と寝るのも侘(わび)しく、私は短い籖を引きたいと願った。しかし、私が長い籖にあたった。谷中尉は、お茶を一杯飲んだだけで、では、とわらいながら立ち上った。やや経(た)って、玄関から門までの石畳を踏んで出て行く谷中尉の靴の音がきこえて来た。暫くして、妓(おんな)が部屋に来た。

 妓には、右の耳が無かった。

 女と遊ぶ、このことが生涯の最後のことであることが、私にははっきり判っていた。桜島に行けば、もはや外出は許されぬ。暇さえあれば眠らねばならぬような勤務が、私を待っているのだ。私は窓に腰かけ、黙って妓を眺めていた。女は顔の半分を絶えず私の視線から隠すようにしながら、新しく茶をいれた。俄(にわ)かに憤怒に似た故知らぬ激しい感傷が、鋭く私の胸をよぎった。

「耳がなければ、横向きに寝るとき便利だね」

 此のような言葉を、荒々しい口調で投げて見たくてしようがなかった。言わば、頭をかきむしるような絶望の気持で――妓を侮辱したかったのではない。此の言葉を口に出せば、言葉のひとつひとつが皆するどい剣のようにはねかえって、私の胸に突き刺さって来るにきまっていた。口に出さずとも、もはや私の胸は傷ついているのではないか。私は、私自身を侮辱したかったのだ。生涯、女の暖い愛情も知らず、青春を荒廃させ尽したまま、異土に死んで行かねばならぬ自身に対し、此のような侮辱がもっともふさわしいはなむけではないのか。私は窓に腰かけたまま、じつと女の端麗な横顔に見入っていた。

「こわいわ」

 視線を避けるように、妓は一寸(ちょっと)横を向いた。かすかに身ぶるいしたようであった。一瞬、右の半面が乏しい電燈の光に浮き上った。地のうすい頭から、頰がすぐにつづいていた。耳のついているべき部分は、ある種の植物の実の切口のように、蒼白(あおじろ)くすべすべしていた。

「瞼を、どうしたの」

「崖から落ちたのさ」

「あぶないわね」

 私は立ち上って上衣を脱いだ。そして、時間が過ぎた。何の感興もない、ただ自分の肉体の衰えを意識するだけの短い時間のあいだ、私はぼんやり外のことを考えていた。此の町に、小さな汽車に乗ってやって来た。明朝はやくバスに乗って去る。一生のうち、初めて訪れた町であり、もう訪れることはない。此のうらぶれた妓楼の一夜が、私の青春のどのような終止符の意味をもつのだろう。私は窓の下を通る貨物列車の音をわびしく聞きながら、妓(おんな)と会話をかわしていた。

「桜島?」

 妓は私の胸に顔を埋めたまま聞いた。

「あそこはいい処よ。一年中、果物がなっている。今行けば、梨やトマト。枇杷(びわ)は、もうおそいかしら」

「しかし、私は兵隊だからね。あるからといって勝手には食えないさ」

「そうね。可哀そうね。――ほんとに可哀そうだわ」

 妓は顔をあげて、発作的にわらい出した。しかしすぐ笑うのを止めて、私の顔をじっと見つめた。

「そして貴方は、そこで死ぬのね」

「死ぬさ。それでいいじゃないか」

 暫(しばら)く私の顔を見つめていて、急にぽつんと言った。誰に聞かせるともない口調で――

「いつ、上陸して来るかしら」

「近いうちだろう。もうすぐだよ」

「――あなたは戦うのね。戦って死ぬのね」

 私は黙っていた。

「ねえ、死ぬのね。どうやって死ぬの。よう。教えてよ。どんな死に方をするの」

 胸の中をふきぬけるような風の音を、私は聞いていた。妓の、変に生真面目(きまじめ)な表情が、私の胸の前にある。どういう死に方をすれはいいのか、その時になってみねば、判るわけはなかった。死というものが、此の瞬間、妙に身近に思われたのだ。覚えず底知れぬ不吉なものが背骨を貫くのを感じながら、私は何気ない風を装い、妓の顔を見返した。

「いやなこと、聞くな」

 紙のように光を失った顔から、眼だけが不気味に私の顔の表情につきささって来る。右の半顔を枕にぴたりと押しつけた。顔がちいさく、夏蜜柑(なつみかん)位の大きさに見えた。

「お互いに、不幸な話は止そう」

「わたし不幸よ。不幸だわ」

 妓の眼に、涙があふれて来たようであった。瞼を閉じた。切ないほどの愛情が、どっと私の胸にあふれた。歯を食いしばるような気持で、私は女の頰に手をふれていた。

[やぶちゃん注:「海軍士官」ウィキの「海軍士官」によれば、大日本帝国海軍に於いては、広義には、将校(『海軍兵学校を卒業した兵科将校及び海軍機関学校を卒業した機関科将校』)・予備役将校(予備役(一般社会で生活している軍隊在籍者で有事の際や訓練の時にのみ軍隊に戻る在郷軍人)に編入された将校)・予備将校(『召集中であるか否かを問わず、高等商船学校航海科を卒業した予備兵科将校及び同機関科を卒業した予備機関将校。あるいは予備学生及び予備生徒から少尉に任官した兵科・機関科・飛行科将校(いわゆる、予備士官)』・特務士官(『現役・予備役を問わず下士官』(上等兵曹・一等兵曹・二等兵曹。なお、梅崎春生はこの下士官である通信科二等兵曹であったから、この村上も同じと考えてよかろう)『から少尉に進級した将校及び将校相当官』・将校相当官(『現役・予備役を問わず技術科、法務科、主計科、軍医科等において少尉以上の階級にある者』)とする。但し、狭義即ち法制上の「海軍士官」は『現役将校(兵科・機関科)』と『現役の将校相当官(技術科、法務科、主計科、軍医科等)』のみを指す、とある。

「挺身監視隊」勤労動員された少年らを海防監視兵に即席で仕上げた部隊であろう。

「博多武官府」この「武官府」という言い方が、幾ら調べて見てもよく判らない。少なくとも「博多武官府」ではヒットしない。当時、博多を含む福岡は陸上・海上ともにほぼ第三海軍区佐世保鎮守府の管轄であった(海上の一部は第二海軍区呉鎮守府管轄)。ここで言う「武官府」というのは単に海軍武官(武官は職業軍人である士官・下士官のみを指す)の博多に於ける海軍官庁(役所)の謂いとしか読めない。識者の御教授を乞う。

「博多は、私の古里」前に注した通り、梅崎春生は福岡県福岡市簀子(すのこ)町(現在の中央区大手門簀子地区)に陸軍士官学校十六期出身の陸軍少佐梅崎建吉郎の次男として生まれている。

「美しく死ぬ、美しく死にたい、これは感傷に過ぎんね」本作を一本貫く命題の提示である。

「妓には、右の耳が無かった」「女は顔の半分を絶えず私の視線から隠す」「女の端麗な横顔」「右の半面が乏しい電燈の光に浮き上った。地のうすい頭から、頰がすぐにつづいていた。耳のついているべき部分は、ある種の植物の実の切口のように、蒼白(あおじろ)くすべすべしていた」「瞼を、どうしたの」ここは慄っとするほど切れるように美しく妖しい。外耳のない女――瞼を裂いた男――これは明らかに「生」=「性」の生々しい聖痕(スティグマ:stigma)に以外の何ものでもない。実は私はここを読んだ時――『あの女だ……』――と思わず独りごちたものだった。先に読んでいた梅崎春生の遺作「幻化」の中に出て来る「白い花」に登場するあの不思議な女である。設定は異なるけれど、私にはこれは同じ女なのだという思いが今もしている。彼女の話は後に回想される。因みにそこを読む限りでは、彼女は先天的な外耳欠損奇形であったように読める。さればこそなおのこと、それは、スティグマである、と私は思うのである。

「いやなこと、聞くな」この「な」は禁止の終助詞ではなく、詠嘆の「なあ」の「な」である。少なくとも私が俳優なら、そう、台詞を言う。]

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