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2016/01/01

梅崎春生「猫の話」語注及び授業案   藪野直史

 梅崎春生「猫の話」語注及び授業案   藪野直史

 

[現在のやぶちゃん注:私は正直、本作は朗読するだけでよかったと思っている。くだくだしい分析など、いらなかったと思っている。事実、何人かの生徒が、私が朗読し終ったとき、鼻をすすったのをよく覚えている。それでも、私の懐かしい思い出のために、これを電子化しておきたい(因みに、三年前に再会した十年前の教え子の男子が私の授業のノートを見せてくれたが、そこには私が喋った雑談まで克明に記されてあって、涙がでそうになるほど嬉しかった)。

 私は五十五で早期退職した際、三十三年間総て残してきた段ボール二箱あった紙ベースの自分がオリジナルに作った教材や授業案及び関連資料の殆んど総てを断捨離した(例外的に残した中島敦の「山月記」の原典「人虎傳」のダイジェスト・プリント(『中島敦「山月記」授業ノート 藪野直史』内のここここここ)や、「こころ」の「先生」の家(以上はブログ版。サイト版は「心 先生の遺書(一)~(三十六)附やぶちゃんの摑み」の(十六))や下宿の推定作画(以上はブログ版。サイト版は「先生の遺書(五十五)~(百十)附やぶちゃんの摑み」の(六十五))などは既に公開済である)。電子データの中には残っているものの、その内の2/3は最早廃棄した旧ワープロで作成したもので、文字列だけしか復元出来ない。本授業案では生徒に絵コンテを描かせる試みなどもしたことから、表形式で作ったシナリオなどの箇所もあるが、ワードでそれを再現するのは労多き割に私の限られた時間の有意な浪費となるため諦めた。なお、語注は高校生向けのものであるから、成人した諸君には言わずもがなの注も含まれる。悪しからず。
 なお、本テクストと同一の縦書版PDFファイル も用意した。そちらの方が遙かに読み易いものと思われる。
また、全三篇合わせたPDF縦書版「輪唱」(附やぶちゃん注)も用意した。そこでは驚愕の発見があるはずである。「輪唱」全体を未読の方は是非、読まれたい。【二〇一五年十二月十九日復元補正注追加本文省略暫定版ブログ公開】【二〇一六年一月一日完全決定版公開】]

 

○本文[現在のやぶちゃん注:授業案と対照させるために、便宜上、全体をの大パートに分けて各冒頭にそれを表示し、また、各パート内の形式段落に丸囲み数字で番号を振った。これは私の教師時代の常の流儀である。教師向けの指導書ではしばしば最初に作品を、「生徒に大パートの構成段落に分けさせる」などという作業を掲げるが、私は三十三年高校教師時代、一度として生徒にシークエンス段落を「分けさせた」ことは、ない。少なくとも小説作品は文章の生きた流れであって、しょっぱなから物理的構造分割を「生徒に強いさせる」ことは意味がないとずっと考えて来たし、今もそう思っている。ここで分けるのもあくまで私の稚拙な授業案をせめても読み易くするための方便に過ぎないことを断わっておく。従って、くれぐれも一緒に公開したベタ・テクストでまず本文を読まれたい。これで読んでは、感興を殺がれるからである。なお、「ぼろ」に附された傍点「ヽ」はブログ版では「ぼろ」と太字に代えた。]

 

大通りに面した運送屋の二階を借りて、若者と一匹の猫が住んでいた。

この猫は、ある日とつぜん、彼の部屋にやってきた。どこからともなく板廂(いたびさし)をつたって、彼の部屋に入ってきたのであった。そのまま猫は彼の部屋に居ついた。彼も孤独であったから、なんとなくこの猫に愛着をかんじるようになった。

猫の皮は、茶色のぶちで、耳たぶがうすく鋭く立っていた。身体のあちこちが、しなやかにくぼんでいて、尻尾はながく垂れていた。

それまでひどい生活をしていたと見えて、猫はすっかりやせていた。眼だけが大きく澄んでひかっていた。彼は外食券食堂にゆくたびに、食べのこした魚の骨やパンの耳を、紙につつんで持ってかえった。猫はそれを待ちかねて食べた。そのほかに自分で、部屋にやってくるカナブンブンや蠅(はえ)をとらえて食べたりした。猫がいちばん好きだったのは、蟋蟀(こおろぎ)であった。運送屋のとなりが空地であったので、そこから蟋蟀が何匹も入ってくるのであった。

蟋蟀が部屋に入ってくると、猫は急にしんけんな眼付になって、畳の上にひらたくなり、蟋蟀の姿をねらった。その姿勢はなにか力にみちていて、眺めていると、自分が蟋蟀をねらっているような錯覚に彼はおちた。猫がぱっと飛びあがると、かならずその蟋蟀は猫の口にくわえられていた。猫はそれからばりばりと蟋蟀を嚙み、触角だけを残して、他はみな食べてしまうのであった。

彼の部屋には、だからあちこちに、細い剣のような触角がたたみの上にちらばっていた。それが足の裏にざらざらふれるたびに、彼は次のような句を思い出した。

 

  蟋蟀在堂  歳聿其莫

 

それはむかし、伯父さんから習った文句であった。意味はわからなかったけれども、彼は何とはなく、これを記憶していた。その他伯父さんから、いろいろなことを習ったが、覚えているのはこれだけであった。あとのことは、すべて忘れていた。

夜になると、猫は彼に身体をすりよせて寝た。そのしなやかな皮のしたに、彼はかぼそい猫の骨格をかんじた。もっといろんなものを食わせて、肥らしてやりたいと思ったが、貧乏でそれも出来ないのであった。食堂から魚の骨をつつんでかえるのが精いっぱいであった。

昼間、ときどき猫はどこかへ出かけて行った。しばらくしてかえってくると、おなかがふくらんでいて、ぐったり横になり、舌で顎(あご)の辺を舐め廻したりした。どこかに行って、何かを食べて来るにちがいなかった。そんな時は蟋蟀がそばまできても、あまり見向きもしなかった。

「何を食べてきたんだい。おまえは」

彼はよく指先で、やわらかい脇腹をぐりぐりとつついてやったりした。いまどきよその猫に食物をあたえる家もないだろうから、どこかの台所でぬすんで食っているにちがいないと思ったが、彼にはそれを叱るすべもないのであった。

「ぬすむのもいいけれど、見つからないようにしろよ」

彼はこの猫にカロという名をつけてやった。意味もない名前であった。それから三箇月ほど過ぎた。

ある曇った日、彼が窓から大通りを見おろしていると、向う側の横町から、カロが出てきた。なにかへんにふらふらした歩きかたで、いつものような確かさがなかった。頸(くび)をしきりに曲げるようにしながら、ひょろひょろとよろめいて、大通りを横切ろうとした。切迫した予感が背をはしって、彼は窓べりをにぎりしめたまま、身体を思わずのり出した。そのとたん、右手の方から走ってきた黒い自動車が、あっというまに視野に入ると、茶色のカロの姿は、ひょろひょろとその車輪のしたに吸い込まれた。

頭のなかが燃え上るような気持で、彼はそれを瞬間に見た。カロの身体がぐしゃっとつぶれる音を、彼はその時全身でありありと感じとった。自動車はちょっと速力をゆるめたが、すぐにスピードを増して左手の方へ小さくなって行った。暗い空のした、ひろい車道のまんなかに、カロのつぶれた死骸だけがぼろ布のようにころがっていた。それを一目見たとき、彼は大声でわめき出したい衝動をこらえながら、眼を大きく見開いて、指をがくがくと慄えさせていた。

その夜、彼は蒲団にもぐって、長いこと泣いた。カロをこんなに愛していたとは、今まで意識しないことであった。こみあげてくる涙のなかに、生きているカロのいろんな姿体がうかんできて、彼はなおのこと泣いた。外では雨が降ってきたらしく、板廂をはじく水音が聞え、遠く近くで雷の音がごろごろと鳴った。前の大通りを、自動車が水をはねて疾走してゆく音が、ときどき聞えた。

翌朝になると、雨はあがっていた。彼は寝巻のまま、はれぼったい瞼の下から、乾いた眼で大通りを見おろした。濡れてだだっぴろい車道のまんなかに、カロの死骸があった。やはり夢ではなかった。それは昨夜なんども自動車のタイヤにひかれたと見えて、板のようにうすっぺらになって、舗道にひらたく貼りついていた。猫の身体のかたちのまま、面積は生きているときの五倍にもひろがっていた。彼は急に無惨な気がして、また涙が流れ出そうな気がした。そしてあわてて、窓からはなれた。

大通りを、一日中何十台何百台ともしれぬ自動車が往来した。彼は一日中部屋にいて、 その音を聞いていた。

翌日は日が照って、道が乾いた。道が乾くのといっしょに、カロの死骸も乾いた。乾いてみると、それは猫の死骸という感じではなくて、猫の形をしたよごれた厚紙のような感じであった。そしてそれは舗道に貼りついてはいたが、四囲の部分が疾走するタイヤの圧力で少しめくられ、ひらひらと動いていた。その上を容赦なく、いろんな型の自動車やトラックが通った。彼はそれを窓から見おろしていた。

彼はその日一日中、カロのことをぼんやり考えていた。蟋蟀(こおろぎ)をねらうカロの姿とか、蒲団にねむっているカロの格好だとか、彼の着物の裾にじゃれつくカロの感触などが、なまなましく彼によみがえってきた。そのカロがすでに実体をうしなって、あそこによごれた紙みたいになって拡がっていることを思うと、胸をかきむしりたくなるような悲哀感が彼をおそうのであった。あの横町から出てきたとき、どうも歩き方がおかしいと思ったが、ものを盗んでいるところを見付けられ、どこかをしたたか殴られたにちがいない、と彼は思った。そうすると彼は新しく涙が垂れた。

そしてまた翌日になった。彼が窓から通りを見おろすと、カロの死骸の感じがすこし変わったように見えた。彼は眼をこらして、しばらくじっと眺めた。確かに昨日より、形が小さくなったような感じであった。彼が見ている前で、その時また一台のトラックがカロの上を通りぬけた。その反動でカロの死骸がすこし動いたような気がしたが、はっと気がつくと、死骸の縁のささくれだった一部を、たしかに今のタイヤがくっつけて持って行ったにちがいなかった。

彼は身体のなかから、何か引きぬかれるような感じがして、凝然と立ちすくんだ。

カロの死骸が、乾くにつれて風化して、皮も骨も内臓もぼろぼろの物質になり、四囲のめくれた部分からすこしずつ、車輪がかすめてゆくに相違なかった。一廻り小さくなったところを見ると、昨日から相当量、千切って持ち去られたにきまっていた。そう思うと彼は、何か言いようのない深いかなしみが、胸にひろがってくるのを感じた。

彼はその日、窓辺に椅子をおいて、一日中通りを見張っていた。カロの死骸をかすめてゆく自動車がいるのを、どうしても放っておけない気持がするのであった。そうして昼の間、何十台という自動車が、カロの上を通った。それは恰好のいい乗用車もあったし、がたがたのトラックもあったし、またオートバイや、まれに霊柩車(れいきゅうしゃ)が、カロの部分をすこしずつ持って逃げた。そのたびに、彼は両掌で眼をおおった。

夕方になると、カロは半分になっていた。

次の日も、彼は朝から、窓辺の見張りをつづけていた。カロの死骸はすでに猫の形をうしなって、一尺四方ぐらいの、白茶けたぼろに過ぎなかった。しかし彼は昨日から、ずっと見張っているせいで、それがカロのどの部分であるかは、はっきりと知っていた。

この日もさまざまな自動車が、カロの上を通った。道が乾き切ったので、カロの死骸も貼りついている支えを失ったのか、今日はことに脆(もろ)く持ち去られるようであった。顔の部分はまだ残っていたが、昼ごろ炭俵を積んだトラックがきて、両方の耳を一挙に持って逃げた。彼はあの薄いするどい耳たぶの形を思い出して、声を出してうめいた。

黄昏(たそがれ)のいろが立ちこめてきた頃、カロはすでに手帳ほどの大きさになっていた。それは最後までのこったカロの顔の部分であった。彼は異様な緊張を持続しながら、黄昏(たそが)れかかった通りを見張っていた。

通りのかなたから自動車の影をみとめるたびに、彼は身をかたくした。そしてその車輪がカロにふれないように、必死に祈願した。

しかしついに、最後にカロを持ち去られる瞬間がきた。それはぼろぼろのタクシーらしく、ななめに揺れながらごとごと走ってきたのであった。ちらと見た印象では、なかに中年の男たちが五六人、ぎっしりと詰めて乗っていて、それがみんな酔っぱらっているらしかった。窓から手が出たり入ったりした。まるで自動車自体が酔っぱらっているような具合であった。それの後尾のタイヤが、あっという間もなく、カロの顔をぺろりとすくいあげたと思うと、がたごと軋(きし)みながら、その酔っぱらい自動車は一目散に遠ざかって行った。

彼は窓からはなれ、部屋のまんなかにくずれるように坐りこんだ。そうして両掌を顔にあて、しずかな声で泣いた。カロがすっかり行ってしまったことが、深い実感として彼におちたのであった。カロの死骸が、いまや数百片に分割され、タイヤにそれぞれ付着して、東京中をかけめぐっていると考えたとき、彼はさらに声をたかめて泣いた。

カロがいなくなって四日になるから、蟋蟀が何匹も床の間や壁のすみに、安心してとまっていた。本箱のかげにいたその一匹が、その時触角をかすかに慄わせながら、畳の上にはい出してきた。そしていい音を出して一声高く鳴いた。

 

〇語注及び授業案

第【】段 若者と猫

・板廂(いたびさし):木の板で葺いた粗末な庇(ひさし)。建物の窓などの上部に張り出させた片流れの日除け・雨除け・雪除けを目的とした小さな屋根。軒(のき)。

 

運送屋で一階はガレージも兼ねているかも知れぬが、くれぐれもその総体が木造の粗末な造作であることを十全にイメージさせる。二階であるにも拘わらず、コオロギが多く侵入してくるというのは、壁も古い土壁のような構造を説明した方が腑に落ちる。その壁が古くなって外側も内側も一部の土が剥落し、格子状の枠(木舞(こまい))がちょっとのぞいているような感じを想起させる。

 

・「カナブンブン」は狭義には鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科コガネムシ科ハナムグリ亜科カナブン族カナブン亜族カナブン Rhomborrhina japonica (緑色と銅色の個体がよく見られる)を指すが、一般人はコガネムシ科Scarabaeidae 全般、特に金属光沢のあるものをひっくるめてこう呼ぶから(ここまではウィキの「カナブン」に拠る)、コガネムシ科スジコガネ亜科スジコガネ族スジコガネ亜族コガネムシ Mimela splendens (成虫の体色は時に赤紫の混ざった光沢の強い緑色・赤紫色・黒紫色のものもある。ここはウィキの「コガネムシ」に拠る)などのコガネムシ類全般としておくのが無難であろう。

・蟋蟀(音は「シッシュ」)直翅(バッタ)目剣弁亜(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科の昆虫類或いはその下のタクソンのコオロギ亜科 Gryllinae の、

 フタホシコオロギ族エンマコオロギ属エンマコオロギ Teleogryllus emma

 コオロギ亜科 Modicogryllini 族オカメコオロギ属ハラオカメコオロギ(オカメコオロギ)Loxoblemmus campestris

 オカメコオロギ属ミツカドコオロギ Loxoblemmus doenitzi

 Modicogryllini 族ツヅレサセコオロギ属ツヅレサセコオロギ Velarifictorus micado

 Modicogryllini Gryllodes 属カマドコオロギ(イエコウロギ) Gryllodes sigillatus

などが代表的な種である。鳴き声は種によってかなり異なり、一般には、

 エンマコオロギ 「コロ、コロ、コロ」「ヒヨ、ヒヨ、ヒヨ」

 オカメコオロギ・ミツカドコオロギ 「リッ、リッ、リッ」

 ツヅレサセコオロギ 「リィ、リィ、リィ」

 カマドコオロギ 「キリ、キリ、キリ」「チリ、チリ、チリ」

などと音写されるようである。個人的なSE(サウンド・エフェクト)としてはエンマコオロギか。

[現在のやぶちゃん注:この注は原授業案では『蟋蟀(音は「シッシュ」)』のみであったのを、今回、追加した。「兵庫県立人と自然の博物館」公式サイト内のこちらで各種コオロギ鳴き声を聴ける。]

 

・外食券食堂:第二次世界大戦中の昭和一六(一九四一)年から戦後にかけて、主食の米の統制のため、政府が外食者用に食券を発行し(発券に際しては米穀通帳を提示させた)、その券を持つ者に限り、食事を提供した食堂。というより、これ以外の飲食店には主食は原則、一切配給されなかった。

[現在のやぶちゃん注:授業ではここで、確か、古本屋で入手した昭和二〇年(一九四五)年十月の戦後最初の『文芸春秋』復刊号の編集後記に記された、調理人の手洟や蛆が鍋の中で煮えているという凄絶な外食券食堂の不潔さを具体に訴える内容を読み上げた。書庫のどこかに現物が埋まっているはずだが、見出せない。発見したら追記する。追加しておくと、小学館の「日本大百科全書」梶龍雄氏の「外食券食堂」によれば、外食券は闇値で取引されることも多くなり、昭和二二(一九四七)年入浴料が二円の当時、一食一枚分の闇値が十円もしたという例もある。しかし昭和二五(一九五〇)年ごろより食糧事情が好転、外食券利用者は激減し、飲食店が事実上、主食類を販売するようになってからは形骸化して、昭和四四(一九六九)年には廃止されたとある。因みに、私は昭和三十二年生まれであるが、券も食堂も記憶にはない。]

 

☆時代背景(以上から)

 敗戦後数年経った昭和二十年代前半の東京 

★敗戦直後ではないと思われるが、本作(本作は昭和二三(一九四八)年九月号『文芸』に掲載された「いなびかり」「猫の話」「午砲」の三篇からなる「輪唱」の第二篇目)初出時期と外食券食堂の雰囲気から見ると、昭和二十二・二十三年辺りと考えてよい。

 

☆「若者」について

・孤独な猫に愛着を感じる「彼も孤独」であった

   ↓

 平凡ですこぶる純真な若者像

   ↓

○第段落「夜になると猫は彼に身体をすり寄せて寝た。」

   ↓

  猫に対する対等な強い共感表現に着目 

 

・粗末なおんぼろの狭い(推定)蟋蟀が入ってくるような「運送屋の二階」に部屋を借りている

・貧しい生活

  定職なし (推定)

   ↓

★作中、主人公は猫と対峙し続け、仕事に出るシーンが全くないことに気づかせる。

 

猫について(第③・④段落)

 皮膚が茶色のぶち・耳が薄く鋭く立っている・尻尾が長く垂れている 

☆耳について《★伏線》

 敏捷さ・鋭敏さの暗示 

   ↓

直後の蟋蟀を捕獲するシーン(第段落)の描写への伏線《だけではない!》

 すっかりやせている・(しかし)眼だけは澄んで光っている・好物は蟋蟀 

☆身体つきと眼について

 若者自身と同様に、貧しい(貧弱である)が、そこに純真なものを感じさせる 

   ↓

 若者と猫の重層性の暗示 

 

蟋蟀を捕獲する猫の描写(第段落)

 真剣な眼つき 

「何かに満ちていて、眺めていると、自分が蟋蟀をねらっているような錯覚に彼はおちた

 「猫の」飢え  「若者」自身が現実の生活の中で痛烈に実感しているところの飢え 

★当時の敗戦国日本の食糧事情の劣悪さを具体的な例を挙げて解説する。

   ↓逆に「猫」と「若者」の

 本能としての「生」のエネルギ-生命の強い存在感 

としてもそれが立ち現われれてくることに注意!

   ↓同時に

 若者と猫の重層性の明示 

 

段落

★これが実は不吉な伏線あることに気づかせる

「細い剣のような触角が畳の上に散らばっていた。それが足の裏にざらざら触れる

   ↓

第【】段第段落の描写

「カロの死骸が」「分割され、」「タイヤに」「付着して、東京中をかけめぐ」る

 

漢詩について(第段落)

 

蟋蟀在堂 蟋蟀(しつしゆ) 堂(だう)に在(あ)り

歳聿其莫 歳(とし) 聿(ここ)に 其(そ)れ 莫(く)れん

 (しっしゅどうにあり、としここにそれくれん)

 

中国最古の詩集「詩経」唐風(現在の山西省の歌謡で周王朝の重要な位置を占めた晋(しん)国の歌群)にある詩「蟋蟀」の冒頭の二句(全三章構成で後で二度冒頭でリフレインされる)。「莫」は「暮」に同じ。「こおろぎが家の中で鳴く季節となった。まさに今年も暮れようとしている。」という意味で、詩全体は『時の過ぎゆくのは速い、人の命は短い、今を楽しまないと取り返しがつかないよ』といった内容。

[現在のやぶちゃん注:授業では一切、原詩を示さなかったので、今回はオリジナリティを出すために全部を引いておく。底本は一九五八年刊岩波中国詩人撰集吉川幸次郎注「詩経國風 下」に拠った。下の訓読は吉川氏によるものを参考にしつつ、私が独自に附した。何故なら、底本の訓読文は納得出来ない新字現代仮名遣だからである。また、読みは振れるもののみとした。

 

  蟋蟀

 

蟋蟀在堂   蟋蟀 堂に在り

聿其莫   歳 聿に 其れ 莫れん

今我不樂   今 我れ 樂しまずんば

日月其除   日月(じつげつ) 其れ 除(さ)らん

無已大康   已(はなは)だ大いに康(たの)しむ無く

職思其居   職(つと)めて其の居(つと)めを思へ

好樂無荒   樂しみを好むも荒(すさ)む無く

良士瞿瞿   良士は瞿瞿(くく)たり

 

蟋蟀在堂   蟋蟀 堂に在り

聿其逝    聿に 其れ 逝かん

今我不樂   今 我れ 樂しまずんば

日月其邁   日月 其れ 邁(ゆ)かん

無已大康   已だ大いに康しむ無く

職思其外   職めて其の外(そと)を思へ

好樂無荒   樂しみを好むも荒む無く

良士蹶蹶   良士は蹶蹶(けいけい)たり

 

蟋蟀在堂   蟋蟀 堂に在り

役車其休   役車(えきしや) 其れ 休(や)まん

今我不樂   今 我れ 樂しまずんば

日月其慆   日月 其れ 慆(す)ぎん

無已大康   已だ大いに康しむ無く

職思其憂   職めて其の憂ひを思へ

好樂無荒   樂しみを好むも荒む無く

良士休休   良士は休休(きうきう)たり

 

底本の吉川氏の注には、本詩篇について『朱子は、勤倹な晋の人民が適宜な快楽をお互いにすすめあう唄とする』という一解釈を載せる。「除」は「去る」の意。「無已大康」は『といってむやみに遊びすぎずに』と訳されてある。「職」は副詞の「つとめて」で心を集中しての意で「職思其居」は『せいぜい任務のことを考えよう』と訳され、「居」は、一説にこればかりは従わねばならない「国中の政令」の意であるらしい。「好樂無荒」の訳は『遊びずきだがはめははずさない』。「良士」はよき若者。「瞿瞿」は気配り、細かなとろこまで行き届いた心遣い。「外」周囲の外の人や出来事。「蹶蹶」は擬態語で、動きがきびきびしていることを言うとある。「役車」は『百姓が農具をのせて野良へゆく車』で、それが「休」むというのは『冬の農閑期に』なったことを言うとある。「休休」やはり擬態語で、のびのびとしていることを指すとある。]

   ↓

 時間の無情な流れ人間存在の孤独性や徒労が匂わされた主題 

   ↓

 ひいては今の生の快楽から近い将来の死というイメージを内包した不吉な伏線 

 

段落の意味

「この詩の一節だけを記憶していた」~ 読者への強い意味深長な印象付け 

 

★実際、この小説を読むと、訳が分からん、と感じるのは、この白文の漢詩箇所だけである。さればこそ、この作品のテーマを解く秘密の鍵がこの詩片に隠されていると、多くの読者は思うはずである。

★但し、この訓点もない「詩経」の一片から、以上の生の無常感を感じとることの出来た当時の食うことに精一杯だった読者は、必ずしもそんなにはいなかったのではないかとは思われる。作者梅崎春生も、そうした読者にとって顕在的で自明であるような伏線として、この詩片をここに伏線として配置した訳ではないように思われる。実際、春生の体験や記憶(本文にあるような実際の伯父――戦死した臭いが漂う――にこの詩を教えて貰ったというような)への個人的なオマージュであった可能性なども否定は出来ないであろう。

[現在のやぶちゃん注:てなことを黒板に書き、補足説明したのであるが、寧ろ、この解釈や解説は生徒には牽強付会とさえ思われてしまったかも知れない。されば、コオロギからこの「蟋蟀」(詩題自体が「蟋蟀」)が引き出され、それが、「秋」から「人生の秋」そして「死」という連想の意味合いで翳を落しているという程度に留めて構わなかったのでは、と今となっては思っている。]

 

擬音語擬声語擬態語(オノマトペ:onomatopee フランス語)の効果1(第段落)

「ぱっと」「ばりばりと」「ざらざら」「ぐったり」「ぐりぐりと」

平易なリアリズムの表現~猫の存在が極めてリアルに浮かび上がる効果

★オノマトペの多用は逆に安っぽい日本文にも見えてしまう弱点も指摘。

 

なぜ「それを叱るすべもない」のか?(第⑩段落)

 若者が持ってくる残飯では、到底、猫が満足するはずもないことが分かっているが、かといって、彼は貧しく、十分な餌を与えることはできないから。

 

命名(第段落)

 カロ ~名づけることによって、猫の存在感と現実感がぐっとアップする

★その構成上の位置の上手さを指摘する。

 

   *   *   *

 

第【】段 カロの死

擬音語擬声語擬態語の効果2(第段落)

「ふらふら」「ひょろひょろ」「あっと」「ひょろひょろ」「ぐしゃっと」「がくがく」「ごろごろ」

 轢死の瞬間の奇妙にして鮮烈な生と死のリズム感 

☆カロが轢死する場面を、実感的に表現しようとする意図と共に、凄惨な雰囲気から場面が過度に重くならぬよう、多少の軽さを配慮の意も果たしていよう。

 

段落

「何かへんにふらふらした歩き方で、いつものような確かさがなかった。」

   ↓これは

段落「ものを盗んでいるところを見付けられ、どこかをしたたかなぐられた」に繋がり、餌を十分に与えられなかった自分にもカロの死の責任の一端はあると若者は考えていることが明らかとなる。だからこそ、

「新しく涙が垂れた」

のである。

 

☆切迫した(不吉な)予感

カロと若者の一体化(第段落)

「カロの身体がぐしゃっとつぶれる音を、彼はその時全身でありありと感じとった」

カロと若者の強烈にして凄惨な生と死の皮肉な一体性→第【】段第段落との共鳴

 

映像的手法のよる場面処理(第段落)~映像化の試み

★監督やカメラマンにクロース・アップさせるためのシナリオの書法を解説する(実際のシナリオには、カメラ・ワークやショット数などを書き込んだり指定してはならないし、実際にしないことを断わっておく)。「長回し」について例を挙げて述べ、現代の映画のショット数の多さについて補足する。私がカラーにしない理由を述べる。

《モノクロで。1シークエンス3ショットの例》

○暗い空。(下にパンして)

○左の方へ小さくなったなっていく黒い自動車。(ロング・ショットからズーム・イン)

○広い車道の真ん中。カロ。そのぼろ布のように、ころがっている、つぶれた死骸。(ミディアム・ショット)【長回しの1ショット】

○若者の眼!(クロース・アップ)【1ショット】

○窓枠の、若者のがくがくと震える指!(同)(F.O.)【1ショット】

[現在のやぶちゃん注:何度かは、この前後の絵コンテを生徒に自由に描かせた。私は、文学作品の一場面を映像シナリオ風に授業したり、生徒に絵コンテやピクトリアル・スケッチに描き起させるのが好きであった。一番やったのが横光利一「蠅」で、私の映像シナリオは『横光利一「蠅」の映像化に関わる覚書/シナリオ』で公開しており、生徒の描いた優れた何枚かは、例外的に現在も保存している。その中でも私の最後の教え子(当時、藤沢総合高等学校三年の女子生徒)の「蠅」からのものを本人の許諾を得て、画像で公開している。未見の方は、是非、ご覧あれ。絵もすこぶる上手く、撮り方も絶妙で実に素敵だ!]

 

段落

「カロをこんなに愛していたとは、今まで意識しないことであった」

第②段落での無意識のカロとの一体感~事件を契機として覚醒した感覚

 「カロ」という「生」の実体存在を把握した若者 

 

□「猫の話」第二段第段落~映像化の試み

ショットとSE(音響効果)

◎1シークエンス10ショットの例(《 》はSE)

★先に述べた通り、実際のシナリオはこんあものではあり得ないことを再指摘しておく。カット・バックを解説し、フラッシュ・バック(凡そ二コマ〇・五秒切りかえし)との違いを説明する。

(モノクロで)

○裸電球。(クロース・アップ)《嗚咽〈クレッツェンド〉》【1ショット】

○若者の部屋。蒲団にもぐって泣いている若者。(フル・ショット)【1ショット】

○布団の中。その顔。(クロース・アップ)【1ショット】

○生前のカロのいろいろなショット。(カット・バック)【3ショットほどでよろしく】

○布団の中。さらに激しく泣く若者の顔。(クロース・アップ)【1ショット】

○蒲団にもぐって泣いている若者。(ミディアム・ショット)

《雨、降り始めている。雨音〈クレッツェンド〉。(オフで)》

《雨、だんだん激しく、板廂をはじく。板廂をはじく雨音。〈クレッツェンド〉(オフで)》【長回しの1ショット】

○板廂をはじく雨。(クロース・アップ)【1ショット】

○蒲団にもぐって泣いている若者。(ミディアムからゆっくりフルへ)

《遠い雷の音。近くの雷の音。》

《雷、小さく、突然大きく。》

○若者の部屋。まだ泣いている若者。

 近くの雷光、一閃! 電球、消える。停電。

《自動車が水をはねて疾走する音。(オフで)》

 雷。部屋の中を一瞬照らす。

《自動車の水切り音〈断続的に〉(F.O.)》【長回しの1ショット】

[現在のやぶちゃん注:これが生徒に配布したものでは、これは確か三段(場面・音響・ショット数)に分けたチャートになっていた。]

 

カロの死を実感し、その悲しみにくれる若者の嗚咽を、

 雨音 

 ↓

 板廂をはじく音 

 ↓

 遠く/近くで鳴る雷の音 

 ↓

 断続する自動車の水切り音 

といった順で、音響が追いながら、彼の悲哀に満ちたウエットな心象風景を本文に即して切なく撮ってみた私の例である。本文自体がカロの回想をカット・バックの映像的手法で浮かび上がらせ、蒲団にもぐった若者の涙を誘う辺り、極めて映像的である、優れたシーンを構成していると思う。

 

翌朝(第段落)

 内向していく感傷 ~泣くだけ泣いてしまって一種の放心状態にいる若者

 

カロの死骸の描写~何度も轢かれたカロ

「板のようにうすっぺらになって」いる。

「舗道に平たく貼りついてい」る。

「猫の身体のかたちのまま、面積は生きている時の五倍にもひがってい」る。

   ↓

乾いた客観的な表現ながら強烈なリアリティを持つ存在

 

見ることをやめる若者~無惨さに耐えられない

 実際に見てもカロの死をどこかで認めたくない

   ↓

*前文「やはり夢ではなかった」

 

☆往来する自動車の音だけを聞いている若者(第段落)

 しかし、その心はさらにさらに平べったくのされていくカロを 心の眼で見る苦しみ に満ちている

 

その翌日~轢死後二日(第段落)

再び「見る」ことを始める若者

・カロの死骸の変化

 乾燥した、カロの死骸への奇妙な感覚の変化を「かわく」を四度繰り返すことで示している。

「猫の死骸という感じではな」い

「猫の形をしたよごれた厚紙」

「四囲の部分が」「めくられ、ひらひらと動いてい」る

 

段落

カロの回想とカロの轢かれた身体の無惨に強いられる変化(立体から平面へ)との対比

〔「ぼろ布」第段落〕

   ↓

〔「板」第段落〕

   ↓

〔「よごれた厚紙」第段落〕

   ↓

〔「よごれた紙」第段落〕

それが、

〔生前のかわいらしいカロの仕草表情〕とカット・バック

され、

 生き生きとしたかわいらしいカロ 

   ↑

「胸をかきむしりたくなるような悲哀感」

   ↓

 無機質化され実体を失った「物」にされてしまったカロ 

 

存在を否定されることへの強烈な怒りがあるが、それはどこへぶつけようもないという現実

 

カロの死について現実的な解釈を考える若者

 ここでは確かに激烈な悲しみは既に収まっているとは言えるが、カロの死の責任の一端が自分にもあると考えている若者にとって、悲哀はさらにさらに重く哀しいものとなっていくことに着目せねばならない。

   ↓

「新しく涙」を「垂」らす若者

 

   *   *   *

 

第【】段 消滅するカロ(轢死後三日(第段落)

・「凝然と」形容動詞タリ活用で、凝(じ)っと動かずにいるさま。

「見続けること」を始める若者

 カロの死骸の更なる変化~少しずつ、その身体を理不尽にも持ち去られていくカロ

「何かに引き抜かれるような感じ」

   ↓

 再び襲ってくる悲痛な一体感 

   ↓

「何か言いようのない深い哀しみ」

   ↓

それは、『たとえ薄っぺらい紙のようになっても、カロは存在感を主張し続けている』と若者は「思いたい」「思わずにいられようか」

   ↓ゆえにこそ

「一日中通りを」=カロを「見張っていた」

~「カロ」と表現しているところに注意(「死骸」ではなく)

~「どうしてもほおっておけない気持」

★ここに限らず、カロが轢かれた直後のシーンから既に生徒の中には、何故、若者はカロを道から移して葬ってやらないのか、という疑問を持つ者も多くいるであろう。しかし、では、それは小説になるか? そうしたシーン展開を君が作家としてした場合、その作品はどんなものになり、どんなことを読者に訴えるものとなるかを考えて見てほしい、と問いかけたい。それは、批判ではない。寧ろ、本作のテーマを考えるよすがと実は、なる。

 

 カロの死と向き合うことの決意する若者 

 

霊柩車の皮肉

 死を悼み、遺体を鄭重に運ぶべき霊柩車が、遺体を轢いて、しかもその一部を持ち去る~ 一種の非情なパラドックス 

 

段落「夕方になると、カロは半分になっていた」~痛烈な一行(★一文単独段落にしている手法に着目)

 

轢死後四日(第段落)

「見張ること」に徹する若者(「昨日から、ずっと」)

 カロの死骸の極端な変質

・確認

「ぼろ布」【Ⅱ】→【Ⅱ】「板」→「よごれた厚紙」【Ⅱ】→「よごれた紙」【Ⅱ】

が、遂にここでは、

「一尺」(三〇・三センチメートル)「四方ぐらいの、白茶けた」襤褸(ぼろ)

とされてしまう。

そして、それは、カロのどの部分だったのか?

☆頭部~第段落「顔の部分はまだ残っていた」

 

段落

「薄い鋭い耳たぶの形を思い出して」(第【Ⅰ】段第段落)~伏線の強化

 

声を出してうめいた」= 同一体としての激烈な痛み 

 

轢死後四日の夕方(第段落)

「手帳ほどの大きさ」

「カロの顔の部分」

~が最後まで残っている

~それは僕は『カロなんだ!』という存在の証しへの執念の叫びのようなもの

 

「異様な緊張を持続しながら」見守り続ける若者

 カロの執念を共有する存在としての若者 

 

☆第段落

「祈願」~ 「若者」=「カロ」の神への祈りに等しい叫び 

カロにとって=若者にとって

 唯一の実在した証し 

であり、

  存在証明(レゾン・デートル)であり、最後の尊厳であるもの 

raison d'être :フランス語。「存在理由」「存在意義」「生き甲斐」などとも訳される。

 

最後の瞬間(第段落)

・擬音語擬声語擬態語の効果3

「ぼろぼろ」「ごとごと」「あっという間もなく」「ぺろりと」「がたごと」「一目散に」

 

酔っぱらいの乗った、ぼろぼろのタクシーに持ち去られねばならない〈最後のカロ〉

 

まるで冗談か喜劇のような幕切れ

 馬鹿げた理不尽なものによって〈カロ〉の実在が否定されるゆえにこそ、救いようのない哀しみがダメ押しで強調される対位法的手法

★音楽用語の対位法から、映像的なそれについて説明する。

 

その直後~泣く若者(第段落)

「カロがすっかり行ってしまったことが、深い実感として彼に落ちた」

*ここも「カロ」であって「カロの死骸」でないことに注意。

 

☆「カロの死骸が、いまや数百片に分割され、タイヤにそれぞれ付着して、東京中を駆けめぐっていると考えた」時、「さらに声を高めて泣」く若者

 

エピローグ~その夜(第段落)〔カロの死後四日〕

 カロがいなくなったから、蟋蟀は安心して何匹も部屋の「すみに、安心してとまっい」る

   ↓

「本箱のかげにいたその一匹が、その時触角をかすかに慄わせながら、畳みの上にはい出してきた。そして」/「いい」音(ね)「を出して」/「一声」/「高く」/「泣いた。」

 

 蟋蟀とカロ 

   ↓の哀しい連想~余韻

 蟋蟀の触角とカロの薄い鋭い耳たぶのオーバー・ラップ 

 

●存在を完全に消し去られてしまうということの恐怖と怒り

 

●風化する「カロ」(消滅させられつつあるカロという存在)=現実の世界の中でのちっぽけで無力な存在としての主人公の「若者」

 

若者のカロに寄せる感情は、同情ではないということをはっきりと認識することが必要であろう。現実世界で、若者が自分の存在理由をはっきりさせることが出来ないように、カロも「生」を持つものとして実体が在ったにもかかわらず、結局、存在そのものさえ理不尽に否定されてしまうことへの深い哀しみという、強い同一化が行なわれているのである。〔若者とカロのアイデンティティの問題〕

 

現実世界の「生」に対する不条理性への言いようのない怒りと哀しみという主題

[現在のやぶちゃん注:「●存在を完全に消し去られてしまうということの恐怖と怒り」以下は、言わずもがなで今の私には不快以外の何物でもない。授業単元終了勝利の狼煙といった塩梅のクソの糞の部分である。こうしたキリは、受験教育に特化した私の国語の授業のまさに腐臭部分であるが、私はこの夏、前頭葉を損傷して嗅覚も失ったことで、臭い臭いもしなくなったことだし、ともかくも過去の私自身への批判指弾の意味も込めて、敢えて曝し残すこととしたい。]

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