梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (23)
火
九時三十四分の準急。ぎりぎりまで待ったが、女は来なかった。五郎は風呂敷包みを提げ、決然と改札口を通った。座席はわりにすいていた。汽車は動き出した。
〈やはり来なかったな〉
弁当二人分が入った包みを網棚に乗せながら、五郎は思つた。失望や落胆はなかった。来ないだろうという予想は、今朝からあった。ぱっとしない中年男と山登りして、面白かろう筈はない。
〈しかも拐帯者と来ているからな〉
昨日の指圧の後味は悪くなかった。自分が自分でない男に間違えられた。つまり本当の自分は消滅した。彼は自分が透明人間になったような気分で、夜の盛り場を歩き廻り、パチンコをやったり、ビヤホールに入ったりした。街の風景は、昼間と違って、違和感はなかった。そして宿に戻る。部屋は上等の方にかわっていた。ぐっすり眠った。
今朝眠が覚めた時、また声にならない声を聞いた。幻聴とまでは行かないが、それに近かった。
「化けおおせたことが、そんなに嬉しいのか?」
彼は顔を洗い、むっとした顔で朝食をとった。食べながら、女中に弁当を二人分つくることを命じた。阿蘇に登るのももの憂(う)い。計画を中止して、ここでじっと待とうか。そうしたいのだが、女指圧師が駅で待っているかも知れない。おそらく来ないだろうと思うが、約束した以上、駅まで行かねばならぬ。
駅まで行った。とうとうすっぽかされたと判った時、よほど宿屋にこのまま戻ろうかと考えた。が、ついに決然と乗ってしまった。坐して迎えを待つのは、やはりいやだったのである。
彼は窓ぎわに腰をおろし、外の景色を眺めていた。しばらく平野を走り、しだいに高地へ登って行く。右側に時々白川が見える。大体白川に沿って汽車は走っているらしい。発電所が見え、大きな滝が見え、火山研究所の建物が見える。天気は昨日につづいて好かった。風もない。阿蘇中岳の火口から、白い煙が垂直に上っている。
昨夜の一時的の躁状態(と言えるかどうか)の反動で、五郎の気分は重く淀(よど)んでいた。彼は脱出した病院のことを考えていた。電信柱もチンドン屋も大正エビも、相も変らずベッドに寝そべっているだろう。いなくなった五郎のことなど、もう忘れたかも知れない。彼は今一番興味をもって思い出せるのは、診察室や廊下で顔を合わせるエコーラリイの患者である。その男はまだ三十にならぬ青年だ。病人は多少とも卑屈になり、おどおどした態度を示すものだが、その青年はその気配は微塵(みじん)も見せなかった。昂然として廊下をまっすぐ歩くのだ。
〈あれはうらやましいな。無責任で〉
医師や看護婦から、病状の質問を受ける。たとえば、
「昨夜はよく眠れたかね」
すると青年はすぐ言い返す。
「昨夜はよく眠れたかね」
何を訊ねても、同じ言葉を返すだけだ。壁を相手にして、ピンポンをやる具合に、同じ球がすぐに戻って来るのである。動作も同じだ。そっくり相手の動作を真似る。
答弁するということは、責任をもってしゃべることだ。その青年は答弁をしない。責任を相手に投げ返すだけだ。すべての責任から逃れている。エコーラリイというのは、病気の本体ではない。症状なのである。その症状がちょっとうらやましい気がするのだ。
一時間余りで、阿蘇駅に着いた。
駅前はごたごたしている。土産物屋や宿屋や、歓迎と書いた布のアーチまで立っている。阿蘇駅が坊中と言っていた時は、もっと素朴で、登山口らしい趣きがあった。
〈なぜおれは阿蘇に登るのか?〉
〈登らなくてはならないのか?〉
五郎はその理由を忘れている。確かにあった筈だが、どうしても思い出せない。睡眠療法を受けると、記憶力がだめになるのだ。それは療法を受ける前に、医師に告げられていた。
バスは八割ぐらいの混み方であった。彼は後部の座席に腰をおろす。バスガールが説明を始める。うねった道がだんだん高くなり、景色が開けて来る。放牧の牛の姿が、ところどころに見える。
草千里というところで、ちょっと停車した。
〈あれは映画セールスマンじゃないか〉
そう気がついたのは、そこを発車してしばらく経ってからである。その丹尾らしい男は、前から三番目の席に坐っていた。坊中からいっしょだったのか、草千里から乗って来たのか、よく判らない。うつむき加減の姿勢で、時々頭を立てて、景色をきょろきょろ見廻す。黒眼鏡をかけている。五郎は視線を網棚に移した。見覚えのある小型トランクが、そこに乗っていた。
〈なぜ丹尾が阿蘇ヘ――〉
彼はいぶかった。しばらくして思い出した。鹿児島から枕崎へのハイヤーの中で、丹尾がそんなことを言っていた。すると丹尾は鹿児島での商取引は済ませたのか。五郎はじっと丹尾の様子を眺めていた。丹尾は洋酒のポケット瓶を取出し、一口ぐっと飲んで、またポケットにしまう。貧乏ゆすりをしている。何だか落着きがない。――
[やぶちゃん注:「阿蘇中岳」熊本県の阿蘇山を構成する山の一つで、中央火口丘群のほぼ中央に位置し、最も活発な活動をしている標高千五百六メートルのピークである。外輪山と数個の中央火口丘から成る阿蘇山の内、カルデラ内部に出来た中央火口丘群の中核を成す、ほぼ東西に一列に並んだ五つのピークを「阿蘇五岳」と呼ぶが、この中岳はその中の最高峰で中岳の少し東に位置する標高一五九二・三メートルの高岳(たかだけ)に次ぐ(五岳の他は、最も東の根子岳(ねこだけ:一四〇八メートル)と、最西に南北にある烏帽子岳(えぼしだけ:一三三七メートル)・杵島岳(きしまだけ:一二七〇メートル)で、それ以外にも往生岳(一二三五メートル)などの千メートル級の峰が連なる)。
「昂然」「こうぜん」は、意気盛んなさま、自信に満ちて誇らしげなさま。
「阿蘇駅」「阿蘇駅が坊中と言っていた時は、もっと素朴で、登山口らしい趣きがあった」大分県大分市の大分駅から熊本県熊本市西区の熊本駅に至る豊肥(ほうひ)本線の阿蘇駅は、この当時は熊本県阿蘇郡阿蘇町であった(現在は阿蘇市黒川)。大正七(一九一八)年一月二十五日に坊中(ぼうちゅう)駅として鉄道院が開設したが、昭和三六(一九六一)年三月二十日に阿蘇駅に改称している(ウィキの「阿蘇駅」に拠る)。五郎は先に「学生時代、二度阿蘇に登ったことがある」と述べており、五郎より五つ年上になる梅崎春生の熊本五高時代も、ここは「坊中」という名の駅であったのである。
「草千里」烏帽子岳の北麓に広がる直径約一キロメートルの草原地帯。もと二重式火口の跡で中央には大きな池があり、前には噴煙を上げる中岳が聳える。放牧馬が草を食み、阿蘇でも最も知られるロケーションである。御多分に洩れず、ただ一度、二十九年も前、修学旅行の引率で行っただけなのだが、担任していた女生徒の後ろ姿をここで写真に撮ったら、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」のワン・シーンのように見え、とても気に入ったのを思い出す。]
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