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2016/01/14

梅崎春生 詩 「嵐」   (初出形復元版)

 

     

 

        梅  崎  春  生  

 

目を上げると、今まで芝生に影を投げて居

たにれの木が、藍一つ一つに濕氣を含み今

は雲の影におされて、影は芝生の中に吸ひ

込まれる。此の風は芝生の一本一本を搖り

動かすのだらうか。風の意志は此の搖り動

かされる芝生の樣な俺の心にのぞみ、嵐を

畏れながらもいらだち待つ心だ。庭にはは

たはたと洗濯物があふり、淸潔な曹達の匂

ひを大地にふり落す。雲足の速さは刻々に

れの皮をかぎろはせ、俺の心は一枚の濡れ

た旗となる。嵐の豫感に今緣に立てば遠景

をわたる風の意志は、遠景の樹々の屈服を

强ひつつ。おお、にれの木は爭鬪の前の亢奮

に我を忘れて葉をざわめかす。緣に立つて

双手を伸し、嵐を望み待つ俺の心は、はた

はたはたと聲をあげて手もふるふ程の緊張

の中に今影の樣に、嵐は大きな手を擴げて

渡つて來る。 

 

[やぶちゃん注:昭和八(一九三三)年十一月五日第五高等学校龍南会発行『龍南』二二六号に所載された初出形(発行日は「熊本大学附属図書館」公式サイト内の「龍南会雑誌目次」により確認)。底本は「熊本大学学術リポジトリ」内の同初出誌誌面画像「226-005.pdfを視認、活字に起こした。

 沖積舎版とは一行字数が異なり(沖積舎版は二十字、初出は基本十九字で「强ひつつ。おお、にれの木は爭鬪の前の亢奮」の行の句読点が表記のように半角化されている)、以下の句読点異同が見られる。

初出形二~三行目

「藍一つ一つに濕氣を含み今は雲の影におされて、」

   ↓(「含み」の後に読点を追加)

「藍一つ一つに湿気を含み、今は雲の影におされて、」

初出形終わりから四行目

「緣に立つて双手を伸し、嵐を望み待つ俺の心は、はたはたはたと聲をあげて手もふるふ程の緊張の中に今影の樣に、嵐は大きな手を擴げて渡つて來る。」

   ↓(「聲をあげて」の後に句点を、「緊張の中に」の後に読点を追加)

「縁に立って双手を伸し、嵐を望み待つ俺の心は、はたはたはたと声をあげて。手もふるふ程の緊張の中に、今影の樣に、嵐は大きな手を擴げて渡って来る。」

前者はあった方がよいとは思うが、後者は如何か? 前の句点は、前の文脈の調性との対句構造とすれば、奇異ではあるものの、よしとするとして、後の読点は、果たして? ここでよいか? 私が編者であり、敢えて読点を追加するとするなら、ここは、

「手もふるふ程の緊張の中に今、影の樣に、嵐は大きな手を擴げて渡つて来る。」

或いは大胆にも、

「手もふるふ程の緊張の中に。今、影の樣に、嵐は大きな手を擴げて渡つて来る。」

とするであろう。朗読して御覧になれば、私の焦燥の意味が解かるであろう。

 なお、沖積舎版では「曹達」に「ソーダー」とルビを振るが、これも私はイケ好かないのだ。振るんなら、ここは――「ソーダ」――だろう!

 因みに、改行を除去した形で以下に示してみる。

   *

     

 

        梅  崎  春  生  

 

目を上げると、今まで芝生に影を投げて居たにれの木が、藍一つ一つに濕氣を含み今は雲の影におされて、影は芝生の中に吸ひ込まれる。此の風は芝生の一本一本を搖り動かすのだらうか。風の意志は此の搖り動かされる芝生の樣な俺の心にのぞみ、嵐を畏れながらもいらだち待つ心だ。庭にははたはたと洗濯物があふり、淸潔な曹達の匂ひを大地にふり落す。雲足の速さは刻々にれの皮をかぎろはせ、俺の心は一枚の濡れた旗となる。嵐の豫感に今緣に立てば遠景をわたる風の意志は、遠景の樹々の屈服を强ひつつ。おお、にれの木は爭鬪の前の亢奮に我を忘れて葉をざわめかす。緣に立つて双手を伸し、嵐を望み待つ俺の心は、はたはたはたと聲をあげて手もふるふ程の緊張の中に今影の樣に、嵐は大きな手を擴げて渡つて來る。 

   *]

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