日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (24) 大雪の景その他
ここ一週間、私は助手と一緒に、蜷川の陶器に関する原稿のままの書物何冊かを、翻訳するのに多忙を極めた。彼の家族は、これが別に役に立つものとも思えぬのに、売ろうとしない。これ等の中には、いろいろと私に教える点が多く、そして蜷川が如何にたゆまず陶器を研究したかが、よく判る。
上流の婦人にあっては、靨(えくぼ)は美しいものとされぬ。靨は笑に伴い、笑は上品でないからである。だが下女だと、靨のある、太った、ずっしりした身体つきが、好意を以て見られる。
一八八三年二月二日には、数年来かつてなかったような大雪が降り、地上一フィート近く積った。私を大学まで曳いて行くのに、二人かかった。子供達は素足に下駄をはき、学校へ行って何か乾いた物をはく為、足袋を袂に入れて登校した。人力車夫その他の労働者が、雪と雪解水との中で、素足素脚でいるのは、奇妙に見える。第一回の降雪の直後に、第二回のが、激しい風を伴って襲来した。雪は深い吹きだまりをなし、メイン州にあっても、この暴風雪は「どえらいこと」と思われるであろう。とにかく二日間、往来を歩くことが出来なかったのだから。この嵐の後で気温が下ったので数日間、雪が大きな吹きだまりをなして残りつつある。
[やぶちゃん注:「一八八三年二月二日」金曜日。
「一フィート」三〇・四八センチメートル。
「メイン州」モースはメイン(Maine)州ポートランド(Portland)生まれで、ポートランドは厳しい冬に代表される土地柄で降雪もある。]
日本人の芸術趣味が、彼等が雪でつくるいろいろな物にあらわれているのは面白いことである。非常に一般的なのに達磨がある。これは仏陀の弟子でよく絵にあり、金属や陶器でつくられ、象牙できざまれる。また沢山の橋や弓形門がつくられ、提灯をつけたのもあった。私はまた、小径や東屋や石灯籠やその他のある、箱庭も見た。餅の大きな球をつくり、形の小さいのを順々に積み上げたものも、沢山ある。二つのとがった岩の頂上から頂上へ藁繩をかけ、これから藁がぶら下っている絵は、極めて普通に見るところであるが、それも雪で見事につくってあった。また波間の旭も出ていた。波は品よく刻み込み、太陽は洗い盥に雪を押し込んで、大きな乾酪に似た円盤にしたものである。これ等や、その他の多くの意匠が、往来を人力車にのって行く者の注意を引く。歩き廻る人々の多く、殊に女子供は、竹の杖を持って、ころばぬ用心をする。彼等はこのような深い雪にあうと、完全に手も足も出ぬらしく、また市当局も、除雪すべく、何等の努力をしないらしい。
[やぶちゃん注:「乾酪」チーズ。石川氏はルビを振っていないから、「かんらく」と読んでいる可能性も高い。]
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